メガネヒヨコの生息日記

メガネヒヨコのささいな日常

6月・国内作品悲劇二本勝負!!

2017年07月16日 | 国内エンタメ

今年も半分過ぎたな~なんて思ってたら、7月ももう半分過ぎちゃった!!

そんなんで今更ながら、6月に観た国内のミュージカルの話でもするね。

まずは『パレード』。Broadway初演から20年近く経ってからの日本初お目見え。
メガヒヨにとって初めてのJason Robert Brown作品。(映画版Last Five Yearsは除く)

この作品は前から興味があった。記念すべき初めてNY訪問の年、1999年度のTony賞のパフォーマンスで心惹かれた。

題材となったのは、アメリカ裁判史上でも有名な冤罪判決。
南部アトランタのユダヤ人の工場長が政治的な理由で、工員の少女を暴行し殺害した犯人に仕立て上げられたとするレオ・フランク事件。
Bway初演時と同時期に上演されていた『Ragtime』の原作でも、この事件に関する記述がある。
それほどに20世紀初めのアメリカを象徴する出来事である。

第一幕では平穏無事に毎日を過ごしていた上流階級の主人公が、足元を掬われるかのように政治的な陰謀によって汚名を着せられる様がありありと描かれていた。
いきなり逮捕されて裁判に引きずり出されるレオ・フランク。マスコミも印象操作のような報道で彼に汚名を着せる。
召使も工員たちも彼の身に覚えのないことを裁判でまくしたてる。
ついに下されたのは死刑。
一方、罪を着せる側は盤上でゲームの駒でも進めるかのように平然としている。
観ていてとても辛く、あんなに深く落ち込んで過ごした幕間は初めてだった。

翻って第二幕。か弱い存在だった主人公の妻が再審を求めて立ち上がる。
彼女の健闘により、知事も判決を見直す姿勢を取る。さらに北部のユダヤ人からの支援も得てかすかな希望が見える。
だがそれも虚しく、暴徒と化した市民により主人公に悲劇的な最期が訪れる。
打ちのめされた妻。しかしそのままアトランタの地に毅然として住み続ける。夫の潔白を証明するかのように。
重いテーマだったけど、彼女の姿勢で観客の自分は何とか救われた。

主演の石丸幹二さん、妻ルシールを演じた堀内敬子さんはじめ、日本のミュージカル界でも歌唱力の高い方々が集結したこの舞台。
オリジナルを知らないので翻訳に関してはコメントできないけど、メロディに作品の要素がしっかり乗っていた。

こういう人種問題を扱ったミュージカルは、オリジナルが伝えたいことのすべてを語るのは無理な話かも知れない。
一言に黒人といっても地域差もあるようで、オリジナル版はそういうところまで気を遣った演出になっているけれど、日本だとなかなかそうもいかないし。
(仮に演じ分けても観る側に分かる人は少ないものね。)

ちなみに…。
いろいろ考えさせられながら劇場を出かけたところ、同じく観劇後のお客さんの会話で
「あの検事はなんでコンリーを問い詰めなかったのかな。選挙での黒人票を狙ってたのかもね。」
という会話が耳に飛び込んできた。黒人公民権はこの事件の50年以上も後のことなんだけどなぁ(笑)

重ねて言うけど、外国作品は演じる側が仮に100%再現しきったとしても、受け取る側が100%それをキャッチできるかどうかは微妙なところ。
ただ100%は無理だとしても、洗練された演出と役者の力量により80%も伝われば大成功ではないだろうか。
この舞台はその成功例の一つだと思う。

あともう一つ。
このパレードを観た直後は「アメリカの南部、人種差別ハンパない!! 恐ろしや。行きたくないなぁ。」と正直感じた。
しかしこれはあくまで脚本家のAlfred Uhry氏と作詞作曲のJason Robert Brown氏(ユダヤ人)が作り上げた舞台。
近代史を基にした作品は政治的要素が絡みやすく、全部が全部事実として受け取るのは少々危なっかしいと考え直した。

レオ・フランク事件は後々の証言により無罪が立証されているけれど、アトランタにはまだ彼が犯人だと思っている層も少なからずいるとのこと。
神様が語ってくれない限り、事件の真相は決して明らかにならない。
良い作品だったけど、舞台は舞台として受け取りたいと思った。


さて翌週観に行ったのは『ノートルダムの鐘』。
ツイッターなどで好評の声をよく聞き、久々に浜松町の四季劇場に脚を運んだ。

この劇場もこけら落としから数年はお世話になったなぁ。
竣工当時は3Fのバルコニー席が不評で(2FC席に大幅な見切れ発生、傾斜姿勢が疲れるなどなど)、取り壊せなんて声もあったっけ。


当日のキャストはこんな感じ。
キャストでは野中さんと原田さん以外分からない…。
スタッフの方にこそ知っている俳優さんが多いよ。

とはいえ若いキャストさん達はいい仕事をしてくれていた。
特にエスメラルダ役の岡村美南さんが良かったな。
歌も上手くて色気も醸し出していた。
男性アンサンブルの中にも声量が豊かでよく響く人が何人かいたな。

自分がこけら落とし当時の年齢だったら、目に留まった俳優・女優さんの名前をいっぺんに覚えて、次回のためにチケット取りまくったんだろな。
今は差し向けるエネルギーに限りがあるので、また舞台で拝見出来れば嬉しいくらいの気持ちかな。
でも全般的にミュージカル俳優の層が着々と厚くなっているのはいい事だよね。
今は四季と外部の壁も低くなっているみたいだし。

ところで。この作品の一幕での主役はカジモドではなくてフロローではないかと思っている自分。
久々に観た野中さんは外見は昔と変わらず若々しく、幕開け始めのシーンでもそれほど違和感なく青年時代のフロローを演じられていた。
だけど作品の要であるHell Fireはお疲れモードだったかも…。
あのナンバーは劇場内に響き渡るくらい、その場を支配するべきものだからね。
録音オーケストラにも負けていたので、一番楽しみにしていた曲だけに残念だったな。

ただこの作品に通じるテーマ、「人の崇高さはその外見・身分によるもので無く、魂そのものによって語られるべき」というものは人類にとって普遍。
冒頭のどもりも無く外見も至って普通のカジモドが、顔に背中にハンデを負わされるシーンは魂と外見が別ものということを如実に表している。
この作品の舞台は中世フランスだけど、現代日本の自分にもよく伝わって来た。

キリスト教の原罪の定義、ジプシー(ロマ族)の立ち位置などまだ学ぶ点は多いけど、政治力学を感じる『パレード』より『ノートルダムの鐘』の方が作品として構えずに受け入られたかな。
でもどちらも観に行って良かったと思うメガヒヨなのであった。

 




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