今日も、夕方6時に役場の防災無線から聞こえてきたのが、
ドボルザークの「新世界から」の中の『遠き山に日は落ちて』の曲です。
この時期の6時と言えば、森の中の我が家では、
夕日がちょうど森陰に落ちていく時間になります。
まだ冬枯れていて、木々には葉がなく、木立の間に沈む夕日が見えます。
真っ赤なその色で、森が燃えているようにさえ見えます。
その景色を見ながらブラインドを閉めている時に聞こえてくる曲は、
なんとなく、哀愁が漂う感じですので、胸にジーンとくるのです。
改めて、今日一日が無事に終わっていくことに感謝の気持ちがわいてきます。
一日一日を大切に過ごしたいという気持ちは、ここ数年、特に感じるようになりました。
まだまだ、この年(?)ですから、元気でいるのが当たり前…
そんなことは思っていません。
むしろ、いつ、何が起こっても、「お蔭さまで、いい人生を過ごせました。」と感謝の気持ちを伝えたいと
思っています。
寄り添い、護り、共に歩んでくれた主人に…、
また、私を生み育ててくれた両親に…、
そして…、私達を見守ってくださった神様に…。
今日は、胸キュンの夕暮れでした。
毎年、我が家のお庭に咲きます。
自生の花の逞しさと可憐さを感じます。
ドボルザークの「新世界から」の中の『遠き山に日は落ちて』の曲です。
この時期の6時と言えば、森の中の我が家では、
夕日がちょうど森陰に落ちていく時間になります。
まだ冬枯れていて、木々には葉がなく、木立の間に沈む夕日が見えます。
真っ赤なその色で、森が燃えているようにさえ見えます。
その景色を見ながらブラインドを閉めている時に聞こえてくる曲は、
なんとなく、哀愁が漂う感じですので、胸にジーンとくるのです。
改めて、今日一日が無事に終わっていくことに感謝の気持ちがわいてきます。
一日一日を大切に過ごしたいという気持ちは、ここ数年、特に感じるようになりました。
まだまだ、この年(?)ですから、元気でいるのが当たり前…
そんなことは思っていません。
むしろ、いつ、何が起こっても、「お蔭さまで、いい人生を過ごせました。」と感謝の気持ちを伝えたいと
思っています。
寄り添い、護り、共に歩んでくれた主人に…、
また、私を生み育ててくれた両親に…、
そして…、私達を見守ってくださった神様に…。
今日は、胸キュンの夕暮れでした。
毎年、我が家のお庭に咲きます。
自生の花の逞しさと可憐さを感じます。