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(患者を生きる:3302)我が家で 腹膜透析:1 血液透析の日々に自問

【出所:2017年5月15日 朝日新聞】

 福岡県田川市の吉田秀文(よしだひでふみ)さん(66)の左の脇腹からは、直径5ミリの管が出ている。吉田さんの命をつなぐカテーテルだ。

 「では、コーヒー休憩」。2月、自宅に集まったマージャン仲間に笑顔で告げると、吉田さんは寝室に消えた。腎臓の代わりに体内の尿毒素などを排出する腹膜透析の作業のためだ。おなかに入れた透析液をカテーテル経由で取り換え、20分後には再び仲間の所に戻り、マージャンを再開した。

 42歳だった1992年、吉田さんはがんで右の腎臓を摘出した。その後、転移を警戒して精密検査を続けた。最初の5年間は半年ごと。その後は年1回だった。

 異常なく過ぎた14年目、担当医に聞いた。「いつまで検査せんといかんのでしょうか」。担当医は「ご苦労さま。今年で最後にしましょう」と声をかけた。

 ところが、「再発は見られません」と言われて安心して帰宅する途中に携帯電話が鳴った。「もう一度、CTを撮ります」。嫌な予感が走った。再検査で、左の腎臓にがんが見つかった。

 2006年夏、福岡大学病院で左の腎臓の一部を切除する手術を受けた。すべてを摘出しない温存療法のはずだった。だが、残した腎臓からも2ミリの小さな腫瘍(しゅよう)2個が見つかった。結局、左の腎臓すべてを摘出した。「がんが見つかった再検査で、天国から地獄に落ちたのか。それとも命拾いをしたのか」。気持ちは複雑だった。

 腎臓を二つとも失い、尿が出なくなった。透析を受ける日々が始まった。手術後すぐに、内ももに針を刺し、初めて血液透析を受けた。1週間後、今度は左腕のなかに、動脈と静脈をバイパスする「シャント」と呼ばれる管を埋めた。血液透析の出入り口だ。

 1カ月あまり後、地元の田川市立病院に転院し、2週間後に退院した。以来、吉田さんは週3回、市内のクリニックに通い、血液透析が必要になった。

 血液透析では、ベッドに横たわり5時間、腕から血液を抜き出して機械に循環させる。通院を含めるとほぼ1日がかり。体も疲れた。「このまま血液透析に束縛されたままの人生でよいのか」。自問を重ねた。
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