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(「子どもがほしい」の向こう側)流産・死産編:上 不育症、妊娠7回目で出産

【出所:2017年4月20日 朝日新聞】

 大阪府内の住宅街に、夫(39)と妻(38)が暮らす家がある。リビングのゆりかごで、昨年生まれた長男が眠る。流産や死産を繰り返す「不育症」に悩みながら、7回目の妊娠で授かった子だ。

 2009年に結婚。3カ月後、妊娠検査薬に反応があったが、受診する前に生理が訪れた。それが3回続き、4回目に初めて胎児の心拍が確認できたものの、流産した。

 検査をして、胎児の染色体異常が原因ではないとわかった。医師の勧めで受診した専門の病院でも、原因は分からなかった。胎盤の血流が悪かった可能性があると指摘を受け、不育症と診断された。

 不育症は両親の染色体や免疫の異常による場合もあるが、半数は原因不明という。妻は処方された血流を改善するためのアスピリンと、漢方薬を飲み始めた。

 その後も流産し、14年5月に妊娠したときは、継続する可能性を高めるため、薬の種類を増やした。初めて妊娠12週を超え、うれしさと同時に育った子どもを失うかもしれないと、不安が膨らんだ。

 それからしばらくして、妻の体調が激変した。嘔吐(おうと)を繰り返し、顔や体が見るからにむくみ始めた。病院に駆け込むと、血圧が急激に上がっていた。母子の命が危ないと、大学病院に救急搬送された。妊娠高血圧腎症だった。

 急きょ入った分娩(ぶんべん)室は、強い光で症状が悪化しないよう、豆電球ほどの黄色い明かりがわずかにともっていた。産科と腎臓内科の医師が、妊娠をやめれば症状が改善するかもしれないと告げた。中絶の同意書を手渡され、夫妻は無言で署名した。

 中絶手術は2日後だった。「生まれた子を見せてください」。妻は無意識に声をあげていた。胎児は手のひらに収まるほど小さく、おなかから細いへその緒が伸びていた。

 翌日、体調が戻らない妻を病院に残し、夫は小さな棺を火葬場に運んだ。帰り道、火葬場の脇に置かれた地蔵の前で手を合わせた。慌ただしい日々が落ち着いた瞬間、涙が止まらなくなった。「もう耐えられない」と感じた。

 妻が退院した後、2人は新婚の時に購入したマンションを手放し、郊外の戸建てに移った。子ども部屋にしようと空けていた一室は、最後まで使わなかった。その部屋を見ることもつらくなっていた。妻は仕事を始め、夫婦だけの生活を歩もうと話し合った。

 医師は「次の妊娠は大丈夫かもしれない」と言った。心は揺れた。「子どもをあきらめよう」と9割、決めているのに、1割の希望が捨てられない。互いに子どもの話題を避けるようになった。

 転居から約1年が過ぎ、夫妻は再び子どもを望んだ。妻の体調が戻ったからか、中絶から時間が経ち、少しだけ悲しみが癒えたからか。説明はできないが、医師の言葉が理由の一つだと思っている。

 昨年10月、7回目の妊娠で長男を出産した。

 妊娠したことは、出産直前まで家族以外には告げなかった。「生まれるまでは『おめでとう』と言われたくなかったから」と、妻。不安な時、周囲から「赤ちゃんを信じて」と励まされると、「私は信じられないダメな母親だ」と感じ、傷つく。夫も同じ気持ちだった。不育症という病気を知っている人は、ほとんどいないと思った。

 夫が職場で出産を報告すると、同僚からは「水くさい」と言われた。ただ、上司の一人が歩み寄り、「私も同じ経験がある」と明かしてくれた。気持ちが軽くなったように感じた。

 「私たちも、同じ悩みを持つ人に『あなたは一人じゃない』と伝えたい」と、妻はいう。リビングの一角には、治療中に亡くした胎児の超音波写真や、へその緒が置かれている。夫は「それぞれに比較できない悲しみがあります。それは忘れません」と話す。
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