大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

京都松尾 (苔寺・鈴虫寺)

2015-07-01 | 

浄住寺・地蔵院からまたバスの折返し場のまえを西芳寺川に沿って谷の入口に苔寺の通称で知られる洪隠山西芳寺がある。
 
開山は行基と伝え、中興開山は夢窓疎石で、ここの庭園を拝観するには往復はがきで写経参加の事前予約を行わなければならない。桂離宮参観が午前の部で許可になったので、同じ日の西芳寺予約を入れたら、いい塩梅に午後の1時集合の返事が来た。
 
庭園の見学は写経などの宗教行事に参加する事が条件で、写経参加という宗教行事がメインで、庭園の見物料を写経という宗教活動に代えて徴収するのは非常に実務的なやり方だと感心する。参拝証の最後に「細筆を御持参ください」と注意書きがあり、どうせ一回限りだとダイソウで細筆を買って京都に出かけた。
西芳寺を訪ねる前日、この細筆を自宅に忘れてきたのに気が付いた。慌てて京都駅周辺の店を駆けずり廻ったが観光客相手の高価な筆しか見つからず、デパートの文具売り場に最後の希望を賭けて案内係に聞くと特選売り場に筆があるという。目の前が暗くなる。幸いにも特選売り場の鳩居堂に安い写経用筆があった。それでもダイソウと比べると30倍の価格差があった。
写経場所は書院にテーブルがズラリと並べられており、廊下は机と椅子席になっていた。机には筆ペンが用意されていた。目眩がするほどガックリする。昨日、駆けずり回ったのは何だったのだろうとモヤモヤ感が暫らく消えなかった。
 
 
京都府情報館H・Pの世界遺産「古都京都の文化財」記載、西芳寺(苔寺)の説明によれば「この庭園は,建築と庭園との一体化,確実な手法の石組,眺望という視点など,前代までのものにはみられない形式が取り入れられており,後世の庭園に大きな影響を与え,日本庭園史上重要な位置を占めるものだ」という。そうなのだと思っても、どこがどう影響を与えたのか理解できそうもなかった。
 
    
 
 
再びバス停の前を通って華厳寺にいく。
 
都名所図会に「華厳寺は月讀の南谷村竹林の中にあり宗旨は華厳にして本尊は大日如来左に釈迦佛[頭に宝冠を戴いて長一尺計是華厳の相なり]右に開基鳳潭像[左の手に華厳経を持右の手に如意を持]門の額華厳寺は黄檗隠元の筆左右の聯は鳳潭之筆なり此所は最福寺の延朗上人の住給ひし谷堂の旧跡なり[字を寺家の内といふ]近年鳳潭和尚華厳宗を再興あらんとて、松尾安照寺を遷して華厳寺と改め此地において寂す〔元文三年二月廿六日八十五歳〕」とある。この妙徳山華厳寺は西芳寺川北、延朗山の中腹にあり、現在は臨済宗永源寺派に属し、開山は江戸中期の学僧・鳳潭とされている。鳳潭は南都六宗の華厳宗復興を願い、享保八年(1723)、松尾に大華厳寺を建立するも、伽藍の拡張も未完成のまま没している。慶応四年(1868)、慶厳が入寺して臨済宗に改めた。この華厳寺は近年、鈴虫寺と称され参拝者への茶菓のもてなしや鈴虫説法と一つだけどんな願い事でも効いてくれる「幸福地蔵」が有名だという。寺の入口で参加料を取られた。
 
 
書院で説法を聞いた後でなければ買えないお守りを持って、お地蔵さんの前で一つの願掛けをするシステムだという。説法も取り留めのない話で、前に座っていたお婆さんが、また同じ話をしていると呟いたのが印象的だったが、何度も来ているという事に驚く。馬鹿馬鹿しくなって早々に退散した。
 
檀家のいない寺を維持するのは大変なのは理解するが、拝観者の招致に「わらじを履いたお地蔵さん」が願いを叶え、救いの手をさしのべるために、歩いて来てくださるとは、よく考えたと感心する。
   

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