
ブログのお知り合いである宮崎さん(多くのYAMAHA・2st250を所有されています)が、ご自身のブログで加西市の鶉野飛行場をガイドブックのことを紹介されていました。
何でも加西市の教育委員会が作成したようです。早速、下記のサイトを見て送付していただきました。
加西・鶉野飛行場跡ガイドブック
表紙・目次などは、下の写真のとおり・・・A5番48ページという立派なガイドブックです。しかも2番目の写真で登場する九七式艦上攻撃機と天山艦上攻撃機は、ちゃんと鶉野飛行場(姫路航空隊)の所属機の写真です。また、現在も残る飛行場施設の写真も掲載されています。



私も二度ばかり鶉野飛行場跡に行きましたが(詳しくは、昨年の3/2の記事を参照)、田園風景が続く中、突然、飛行場が現れ驚いたものです。送料が180円必要ですが、興味のある方にとっては貴重な資料と言えるでしょう。
何でも加西市の教育委員会が作成したようです。早速、下記のサイトを見て送付していただきました。
加西・鶉野飛行場跡ガイドブック
表紙・目次などは、下の写真のとおり・・・A5番48ページという立派なガイドブックです。しかも2番目の写真で登場する九七式艦上攻撃機と天山艦上攻撃機は、ちゃんと鶉野飛行場(姫路航空隊)の所属機の写真です。また、現在も残る飛行場施設の写真も掲載されています。



私も二度ばかり鶉野飛行場跡に行きましたが(詳しくは、昨年の3/2の記事を参照)、田園風景が続く中、突然、飛行場が現れ驚いたものです。送料が180円必要ですが、興味のある方にとっては貴重な資料と言えるでしょう。











まだ、あのエリアの中には入ったことがありません。
しかし、加西市教委の資料に川西飛行場(西宮市?)、姫路飛行場の資料が入っているのは何故???
また、教えてください(笑)
上空からの写真ではなるほど見事な滑走路だとわかります。
現在も一部保存されているようですが、社会見学的なことにも利用されてるのでしょうか?
今時の親御さんには理解され難いことのようにも思えてしまいます。
これだけのものをよく出されたものと思います。
以前、跡地巡りツアーを加西市が企画したところ、定員いっぱいだったそうですね。
川西航空機ですが、ご指摘のように当時の工場は鳴尾浜(西宮市)でしたが、空襲のこともあり姫路にも工場がありました。
そして姫路工場で組立てられた紫電改は、最終的には今回の加西市鶉野飛行場で試験飛行の後、各部隊(と、いっても大部分は松山の343空)に引き渡されたのです。
では、なぜ加西の飛行場なのに姫路航空隊か?それは「姫路」と呼んだ方が、全国的に分かり易かったからでしょう。姫路は84師団(だったと思います)が駐屯するなど、兵庫県内では有名な軍事拠点でした。
まささん、そうです。その時の飛行場です。写真の現存する施設ですが、神戸大学農学部のキャンパス(研究所)内ということで簡単には見学するこことができません。
まささん同様、一般開放していただければ嬉しいのですが、どうも現在の日本は先の大戦の遺物に対して冷たいですね。
終戦時には数多くあった陸海軍飛行場も、戦後は米軍や自衛隊基地になったり、元々の地主さんに返還されたこともあり、現存するのは今回の鶉野飛行場ぐらいでしょうか。
貴重な遺跡ですが、私のようなミリタリーマニアや近代史に興味がある方を除けば、価値を見出すのは難しいことかもしれません。
宮崎さん、ありがとうございます。宮崎さんのブログを拝見していなかったら見逃すところでした。
最初はMaj(マジェスティ)で加西市までひとっ走りのつもりでしたが、宮崎さんからの「最後の一冊・・・」ということから郵送をお願いしたものです。
跡地巡りツアーですが、私もぜひ参加したいですね。本やネットではなく実物に触れてみたいものです。
是非、{パン処 森庵}へ・・・
加西方面を楽しんだオフロードバイカーが{ココ}のテラスで{購入したパン&牛乳?}を食べながらマッターリしている姿を・・よく見ましたヨ〜http://r.tabelog.com/hyogo/A2804/A280403/28024020/
K79はいつもWESTどまりなので、今度(多分、18日か19日)に行った時に訪れてみましょう。
オフローダーが寄るということは、何か林道コースかモトクロスコースがあるのでしょう。
柳本飛行場は海軍の飛行場ですね。ご推測のとり、本土決戦のために造られた飛行場です。もし戦争が継続されていれば、連合軍の本土上陸を阻止するための特攻基地になっていたでしょう。
また柳本飛行場のレポートをお願いします。いろいろと施設が残っているようです。