もうだいぶ前のような気がしますが、実際だいぶ前ですが、去年の9月に大学院を修了しました。
イギリスのMAは一年だけで終わるのが多いので、なんだか卒業といっても気持ち的にあっさりしたもので、
その後二年間のポストスタディーワークビザも無事にとりブログのタイトル通り旅行にいったりふらふらしています。
今までいろいろめんどくさがってやらなかったことをこの二年でこなすというのが目標です。
ブログも記録のためにいろいろ書いていこうと思います。
突然ですが、去年から寿司屋でバイトを始めました。しかもキッチンで。
フルタイムのビザを持っているのにパートタイムでしか働かないというやる気のなさですが、
せっせと真面目に寿司を握ったり巻いたり切ったりしてます。
意外と料理が好きなのと働けば食べ物にも困らないだろうというのとどんな人が働いているのか気になり始めてみました。
入ってみるとそこはミャンマー人だらけでした。
最近は国籍にばらつきがあるものの、入ったころはビルマ語しか聞こえてこないときがありました。
店長はイギリス人ですが。
なぜそんなにたくさんいるのかというと、彼らは母国が政治的に不安定なため、イギリスで五年間の就労ビザがとれるらしいのです。いわゆるAsylumというやつですね。
彼らはてきぱきよく働きます。生活かかってるしね。
だいたいみんな滞在して3年目とかです。
ほとんどの人は母国でちゃんと教育を受けているひとばかりで、会計とかエンジニアのデグリーをもっているみたいですが、なにせイギリスのデグリーがなければなかなかそういう仕事につくのはこっちでは難しいという
せちがらい世の中です。
わたしは「Burma VJ」というドキュメンタリー映画をみたいなと思っていて、ちょっとそのことについて聞いてみました。
映画は2007年にお坊さんたちがスーチーさんの釈放を求めるプロテストを行ったことについてです。それを取材していた日本人の映像ジャーナリストの長井さんが射殺されたことなども少し出てくるみたいです。
同い年(26歳)くらいのミャンマー人の男の子一人に映画について聞いてみると、映画のことは知らなかったみたいですが、日本人の記者が軍に射殺されたことは彼も覚えていました。
日本にいたときに射殺の事件のニュースを見たことは覚えていたし、すごい人もいるんだなぁと思っていましたが、それがミャンマーで起こっていた話で、ロンドンに来てミャンマー人とそのことについて話すとは想像もしていませんでした。
彼にとっては2007年のプロテストはそこまでおおごとではなかったようです。
それまでにもいろいろあったという意味で。
以下、会話より。
「あのプロテストはそんなに大きくなくて。」
「え、そうなの?」 (なんかわたしにはすっごく衝撃的なようなきがしたのだけど)
「ミャンマーは軍事国家だから、僕が3歳くらいの時はよくアーミーがモンク(僧)の生首を竹にさして歩いてたりしてたよ。はははは。」
「ええええ! ・・・・・・まじで?・・・えええええええ?」
それは子どもが見るものではないし、子どもじゃなくても見たくありませんーーーー。
これを本当に生き抜くということなんだと思いました。
そういう経験をしつつも健やかに育つってすごいと真剣に思いました。
イギリスのMAは一年だけで終わるのが多いので、なんだか卒業といっても気持ち的にあっさりしたもので、
その後二年間のポストスタディーワークビザも無事にとりブログのタイトル通り旅行にいったりふらふらしています。
今までいろいろめんどくさがってやらなかったことをこの二年でこなすというのが目標です。
ブログも記録のためにいろいろ書いていこうと思います。
突然ですが、去年から寿司屋でバイトを始めました。しかもキッチンで。
フルタイムのビザを持っているのにパートタイムでしか働かないというやる気のなさですが、
せっせと真面目に寿司を握ったり巻いたり切ったりしてます。
意外と料理が好きなのと働けば食べ物にも困らないだろうというのとどんな人が働いているのか気になり始めてみました。
入ってみるとそこはミャンマー人だらけでした。
最近は国籍にばらつきがあるものの、入ったころはビルマ語しか聞こえてこないときがありました。
店長はイギリス人ですが。
なぜそんなにたくさんいるのかというと、彼らは母国が政治的に不安定なため、イギリスで五年間の就労ビザがとれるらしいのです。いわゆるAsylumというやつですね。
彼らはてきぱきよく働きます。生活かかってるしね。
だいたいみんな滞在して3年目とかです。
ほとんどの人は母国でちゃんと教育を受けているひとばかりで、会計とかエンジニアのデグリーをもっているみたいですが、なにせイギリスのデグリーがなければなかなかそういう仕事につくのはこっちでは難しいという
せちがらい世の中です。
わたしは「Burma VJ」というドキュメンタリー映画をみたいなと思っていて、ちょっとそのことについて聞いてみました。
映画は2007年にお坊さんたちがスーチーさんの釈放を求めるプロテストを行ったことについてです。それを取材していた日本人の映像ジャーナリストの長井さんが射殺されたことなども少し出てくるみたいです。
同い年(26歳)くらいのミャンマー人の男の子一人に映画について聞いてみると、映画のことは知らなかったみたいですが、日本人の記者が軍に射殺されたことは彼も覚えていました。
日本にいたときに射殺の事件のニュースを見たことは覚えていたし、すごい人もいるんだなぁと思っていましたが、それがミャンマーで起こっていた話で、ロンドンに来てミャンマー人とそのことについて話すとは想像もしていませんでした。
彼にとっては2007年のプロテストはそこまでおおごとではなかったようです。
それまでにもいろいろあったという意味で。
以下、会話より。
「あのプロテストはそんなに大きくなくて。」
「え、そうなの?」 (なんかわたしにはすっごく衝撃的なようなきがしたのだけど)
「ミャンマーは軍事国家だから、僕が3歳くらいの時はよくアーミーがモンク(僧)の生首を竹にさして歩いてたりしてたよ。はははは。」
「ええええ! ・・・・・・まじで?・・・えええええええ?」
それは子どもが見るものではないし、子どもじゃなくても見たくありませんーーーー。
これを本当に生き抜くということなんだと思いました。
そういう経験をしつつも健やかに育つってすごいと真剣に思いました。
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