問題作“Hotel Rwanda”をついに観た。
あまりの衝撃に見終わった後しばし放心状態となる。
呆然とソファに腰掛けつつ、遠のく意識に抗ってこの映画を形容し得るうまい言葉はないものかと必死に脳みそをしぼってみるのだが、いい表現は一向にみつからない。。。
そういえば映画評論家の町山智浩氏が自身のHPでこんなことを書いていたっけ。
「『ホテル・ルワンダ』は現実版『ドーン・オブ・ザ・デッド』だ」と(観てない人にはなんのことかさっぱりわからないとは思うが、、)。
ふざけた言い方に聞こえるかもしれないが、実は僕も同じことを考えていた。
つまり、ゾンビもののホラー映画を観終わったあとの感覚に似ているのだ。。。
この映画の舞台は1994年のルワンダ。
ベルギーから独立以降、アフリカのほぼ中央に位置するこの小国ではフツ族とツチ族という二つの部族の間で紛争が続いていた。93年に一旦国連主導の停戦合意が発効するも、その直後、フツ族側の大統領の乗った飛行機がツチ族側民兵により撃墜されたのを機に再び衝突が激化し、フツ族によるツチ族に対する大量虐殺へと発展した。その虐殺による死者の数は一説には50万人とも100万人ともいわれている。
この物語は、大虐殺を生き延びたある実在の人物の逸話に基づいている。
主人公のポールは首都キガリにあるベルギー資本の最高級ホテルのマネージャーである。
停戦合意が破られフツ族による大量虐殺が開始されると彼は、虐殺を逃れて集まってきたツチ族難民を片っ端からホテルに匿う。しかし、やがて暴徒と化したフツ族の民兵達がホテルにも押し寄せて。。。。。
このへんの雰囲気がなんとなく「ドーン・オブ・ザ・デッド」を彷彿とさせるのだ。
ところで、この映画には、地域紛争が抱える普遍的問題を象徴する印象的なシーンがいくつも登場する。特に、国連を中心とした国際社会の対応に関する描写は示唆に富んでいる。いずれも映画の鍵となるシーンであり、ネタばれの可能性もあるので、最も印象的だったエピソードを一つだけ紹介する。
キガリに駐留するPKO部隊の司令官が記者たちの質問に答えるシーンがある。
「国連は今回の事態にどのように対応するのか?」とのジャーナリストの問いに、
彼は「我々はpeace keeperであって、peace makerではない。国連は内戦には介入できない」と答える。
そして、その言葉を裏付けるようにその後のシーンでは、PKO部隊はツチ族の難民が暴徒たちによってトラックから引きずり出され、鉈(なた)でめった切りにされるという事態を目前にしながら決して暴徒たちに発砲しようとはしないのだ。
「なぜ発砲できないのか?」このシーンを観るおそらくすべての人々が同じ疑問を持つに違いない。しかし同時に、このシーンが、歴史上何百回も何千回も繰り返されてきたある究極の問いに対する解答を提示しているということにも気が付くのである。
すなわち “平和のための戦争(武力行使)は正当化されるべきか否か”という問いである。
旧ユーゴ紛争やソマリア、そしてこのルワンダの例が示すように、国連主導の迅速な武力介入がいまや紛争解決の重要な手段であることにもはや議論の余地はない。
当時、国連のガリ事務総長は事態収束のためにPKO部隊の大幅な増員もしくは多国籍軍の投入を各国に要請するが、各国はPKO隊員にも死者が出ていることを理由に、逆に部隊の引き上げを決定してしまう。自国民の犠牲を払ってまで内戦に介入するだけの旨味がルワンダにはないというわけだ。特にアメリカはソマリアでの痛い失敗を引きずっていたため積極的には動けない国内事情があった。しかし、このことが結果的に、目の前で起きているジェノサイドを放置させてしまう一因となったのである。
国連が地域紛争の解決にどこまで積極的に関わるべきなのか、という問いに対して何か物が言えるほど僕は知識を持っていないが、少なくとも、このルワンダを教訓として、2000年3月にアナン事務総長が、専門家によるパネルを設置し、PKOを中心とする「国連の平和活動」の包括的な見直しを始めたというニュースは朗報であったと思う。
一方、国際赤十字や各国NGOによる人道支援の役割についてもこの映画は多くの示唆を与えてくれる。
紛争地域のど真ん中を赤十字の車両が難民の保護に奔走する姿は、僕にとっては感動的であるとともにある種驚きでもあった。(国際赤十字発足の歴史についてはここを参照)。
日本では“人道支援は政府の仕事”という考えが未だに支配的だが、世界的には必ずしもそうではない。国連にしろ、各国政府にしろ、思惑としがらみで雁字搦めになった組織が個別の紛争にこまやかに対応することは不可能だ。
その意味では、政府の意思とは無関係に、しかも迅速に行動が出来る非政府系組織の存在が人道支援の場でこれから先、より一層重要となってくることは間違いない。
一方、日本ではNGOに対する理解がまだまだ進んでいるとは言いがたく、下手をするとナイーブな自己責任論の的になってしまうことすらあるのは、なんとも悲しい話だと思う。
この映画の監督であるテリー・ジョージは、一人でも多くの子供達にこの映画を観て欲しいとの理由から多くの虐殺シーンをカットしたという。その結果、この映画はPGこそ逃したものの12Aとなった(イギリスのレーティングシステムについてはここを参照)。
ところが!!なんとこの映画が日本で公開される目途が今のところ全くたっていないというのだ。
そのニュースを耳にしたときは正直「?????」と頭の中に疑問符が並んだ。
この映画の公開を日本の配給会社に思いとどまらせた理由はなんであったか?
映画評論家の町山智浩氏曰く、
「日本の配給会社はカップルがいちゃいちゃ出来ない映画は敬遠するんです。若者にとっては、映画なんて所詮エッチの口実でしかないんですよ」だそうだ。
笑えない話だ。
「この映画を敬遠してるようじゃ日本の常任理事国入りなど未来永劫絶対にありえないだろうな」という考えがどこからともなく浮かんだ。
あまりの衝撃に見終わった後しばし放心状態となる。
呆然とソファに腰掛けつつ、遠のく意識に抗ってこの映画を形容し得るうまい言葉はないものかと必死に脳みそをしぼってみるのだが、いい表現は一向にみつからない。。。
そういえば映画評論家の町山智浩氏が自身のHPでこんなことを書いていたっけ。
「『ホテル・ルワンダ』は現実版『ドーン・オブ・ザ・デッド』だ」と(観てない人にはなんのことかさっぱりわからないとは思うが、、)。
ふざけた言い方に聞こえるかもしれないが、実は僕も同じことを考えていた。
つまり、ゾンビもののホラー映画を観終わったあとの感覚に似ているのだ。。。
この映画の舞台は1994年のルワンダ。
ベルギーから独立以降、アフリカのほぼ中央に位置するこの小国ではフツ族とツチ族という二つの部族の間で紛争が続いていた。93年に一旦国連主導の停戦合意が発効するも、その直後、フツ族側の大統領の乗った飛行機がツチ族側民兵により撃墜されたのを機に再び衝突が激化し、フツ族によるツチ族に対する大量虐殺へと発展した。その虐殺による死者の数は一説には50万人とも100万人ともいわれている。
この物語は、大虐殺を生き延びたある実在の人物の逸話に基づいている。
主人公のポールは首都キガリにあるベルギー資本の最高級ホテルのマネージャーである。
停戦合意が破られフツ族による大量虐殺が開始されると彼は、虐殺を逃れて集まってきたツチ族難民を片っ端からホテルに匿う。しかし、やがて暴徒と化したフツ族の民兵達がホテルにも押し寄せて。。。。。
このへんの雰囲気がなんとなく「ドーン・オブ・ザ・デッド」を彷彿とさせるのだ。
ところで、この映画には、地域紛争が抱える普遍的問題を象徴する印象的なシーンがいくつも登場する。特に、国連を中心とした国際社会の対応に関する描写は示唆に富んでいる。いずれも映画の鍵となるシーンであり、ネタばれの可能性もあるので、最も印象的だったエピソードを一つだけ紹介する。
キガリに駐留するPKO部隊の司令官が記者たちの質問に答えるシーンがある。
「国連は今回の事態にどのように対応するのか?」とのジャーナリストの問いに、
彼は「我々はpeace keeperであって、peace makerではない。国連は内戦には介入できない」と答える。
そして、その言葉を裏付けるようにその後のシーンでは、PKO部隊はツチ族の難民が暴徒たちによってトラックから引きずり出され、鉈(なた)でめった切りにされるという事態を目前にしながら決して暴徒たちに発砲しようとはしないのだ。
「なぜ発砲できないのか?」このシーンを観るおそらくすべての人々が同じ疑問を持つに違いない。しかし同時に、このシーンが、歴史上何百回も何千回も繰り返されてきたある究極の問いに対する解答を提示しているということにも気が付くのである。
すなわち “平和のための戦争(武力行使)は正当化されるべきか否か”という問いである。
旧ユーゴ紛争やソマリア、そしてこのルワンダの例が示すように、国連主導の迅速な武力介入がいまや紛争解決の重要な手段であることにもはや議論の余地はない。
当時、国連のガリ事務総長は事態収束のためにPKO部隊の大幅な増員もしくは多国籍軍の投入を各国に要請するが、各国はPKO隊員にも死者が出ていることを理由に、逆に部隊の引き上げを決定してしまう。自国民の犠牲を払ってまで内戦に介入するだけの旨味がルワンダにはないというわけだ。特にアメリカはソマリアでの痛い失敗を引きずっていたため積極的には動けない国内事情があった。しかし、このことが結果的に、目の前で起きているジェノサイドを放置させてしまう一因となったのである。
国連が地域紛争の解決にどこまで積極的に関わるべきなのか、という問いに対して何か物が言えるほど僕は知識を持っていないが、少なくとも、このルワンダを教訓として、2000年3月にアナン事務総長が、専門家によるパネルを設置し、PKOを中心とする「国連の平和活動」の包括的な見直しを始めたというニュースは朗報であったと思う。
一方、国際赤十字や各国NGOによる人道支援の役割についてもこの映画は多くの示唆を与えてくれる。
紛争地域のど真ん中を赤十字の車両が難民の保護に奔走する姿は、僕にとっては感動的であるとともにある種驚きでもあった。(国際赤十字発足の歴史についてはここを参照)。
日本では“人道支援は政府の仕事”という考えが未だに支配的だが、世界的には必ずしもそうではない。国連にしろ、各国政府にしろ、思惑としがらみで雁字搦めになった組織が個別の紛争にこまやかに対応することは不可能だ。
その意味では、政府の意思とは無関係に、しかも迅速に行動が出来る非政府系組織の存在が人道支援の場でこれから先、より一層重要となってくることは間違いない。
一方、日本ではNGOに対する理解がまだまだ進んでいるとは言いがたく、下手をするとナイーブな自己責任論の的になってしまうことすらあるのは、なんとも悲しい話だと思う。
この映画の監督であるテリー・ジョージは、一人でも多くの子供達にこの映画を観て欲しいとの理由から多くの虐殺シーンをカットしたという。その結果、この映画はPGこそ逃したものの12Aとなった(イギリスのレーティングシステムについてはここを参照)。
ところが!!なんとこの映画が日本で公開される目途が今のところ全くたっていないというのだ。
そのニュースを耳にしたときは正直「?????」と頭の中に疑問符が並んだ。
この映画の公開を日本の配給会社に思いとどまらせた理由はなんであったか?
映画評論家の町山智浩氏曰く、
「日本の配給会社はカップルがいちゃいちゃ出来ない映画は敬遠するんです。若者にとっては、映画なんて所詮エッチの口実でしかないんですよ」だそうだ。
笑えない話だ。
「この映画を敬遠してるようじゃ日本の常任理事国入りなど未来永劫絶対にありえないだろうな」という考えがどこからともなく浮かんだ。
そりゃあ、お話になりませんね・・・
といってもこの先どうなるかまだ分かりませんけどね。
国がどうとかというよりこの部族間が
問題みたいですね・・・
アフリカ各地からの友達が増えれば増えるだけそのことを知らされます・・・
この映画を観た後、動けない、言葉が出ないって凄く解るんです。一緒に言った人みんな(私も含めて)そうでした・・・
いまだにどう話してよいのか解らないというのが正直な気持ちかもしれません・・・
彼らにとってみたら、すごく身近は話なのでしょうね。。
ところで、個人的興味なのですが、彼らは国連は、はじめからもっと積極的に関与すべきだったと考えているのでしょうか?
もしこれについて彼らと話す機会があったら、それについてもちょっと教えて欲しいです。
部族間のことで、国単位だけで考えられないってよく言うんです。ものすごくコンプレックスな話だって・・・
多分ね、介入するって言ってもどう介入したらよいのかっていうのが問題なのかもしれないなってよく思うんです。
アフリカって資源がものすごく豊かなんですよ。なのに経済的に貧しい。
とっても均衡の取れない大陸なんです。
不条理だなっていつも思います。
もしそういう機会があったらということで。。。。
どこへ行っても政治と宗教の話はあんまり軽軽しくは出来ませんものね。って、さすがに宗教の話はOKなのかな?神学科では。。
ところで、こういったアフリカをはじめとする世界各地で起こる紛争をみていて時々思うことがあります。
アメリカの覇権主義は、今世界中で批判を受けていますが、その基本的な考え方であるところの、
「世界には、基本的人権という思想を持たない、すなわち民主主義というものの考え方を持たない人々がまだまだたくさん存在する。彼らを民主化することこそが秩序ある世界を構築することにつながるのだ」という思想は、その方法論は別としてもあながち間違ってはいないのではないか?ということです。
それとも、以前に紹介した“ポリティカルコンパス”にもあるように、
“There are no savage and civilised peoples; there are only different cultures.”
なのでしょうか。。。
今回の記事非常に興味深く拝見しました。
ルワンダの虐殺が起きた1994年、丁度私はアメリカにいました。結構ルワンダについてはよく報道されていたと思います。"cease fire"が何度も出てきたので停戦という意味であることを知りました。
>「この映画を敬遠してるようじゃ日本の常任理事国入りなど未来永劫絶対にありえないだろうな」
あれから10年スーダンのダルフールでも民族間の対立による虐殺が起きており、その件が気になって何度か記事にしたのですが、全く反応がないのですね。この無関心さというのは、日本の真の国際化はまだ遠いのかなと思ってしまいます。
逆に日本で配給されなければ、ビデオ化は早いかもしれないかな、それなら早くレンタルで借りて見ることができるでしょうか。
コメント有難うございます。
僕も、この映画を見てはじめて"cease fire"という言葉を知りました。
>>この無関心さというのは、日本の真の国際化はまだ遠いのかなと思ってしまいます。
うーん、おっしゃるとおりかもしれませんね。
当時、日本ではルワンダに関する報道はほとんどなされていなかったと記憶しています。
恥ずかしながら、僕もこの映画を見てあれこれ調べてみるまで、詳しいことは何一つ知りませんでした。
「国際化。。。」この言葉を聞くたびに、日本が今後向かうべき方向とはなんなのか、考えてしまいます。