ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

「坂の上の雲」に対する批判的な書物

2009-11-29 00:26:51 | 書評ほか書籍関係
いよいよ本日11月29日(日)、NHKが放送局としての歴史と誇りをかけて(と書いても決して大げさではないはず) 製作する「坂の上の雲」が放送されます。よかれ悪しかれ、ここ数年の日本を代表するテレビドラマになるのは間違いないでしょう。なにしろ3年をかけて放送される予定ですから、かなりの気合をいれて製作されることになることは疑いのないところです。

坂の上の雲」(wikipedia)は、司馬遼太郎が1968年から1972年にかけて「産経新聞」紙上で執筆・連載した小説です。まさに、高度成長時代の最後に発表された小説というところです。

司馬は、高度成長時代の日本を代表する小説家であり、1996年に亡くなるまで国民的な人気を誇りました。まさに20世紀を代表する日本の作家でしょう。

この小説が本格的にテレビドラマ化されるため、書店にもこの作人に関する解説本その他がいろいろと単行本やムックの形式で並んでいます。それらをいちいち手にとっているわけでは無論ありませんが、ともかく相当な量です。

さて、司馬遼太郎といいますと、なかなか批判をされにくい人間です。わりあい保守的なイデオロギーの持ち主ですが、かといって「左翼」も必ずしも彼に言うべきことを言っているとは思えません。それだけ国民的な作家というべきなのでしょう。正直、彼については微温な批評ばかりでつまらんという気もします。

なにしろ朝日新聞は、週刊誌で彼の連載を実に長く続けていましたし、その朝日を何かというと批判する産経新聞も、なにしろ司馬の出身でもあるしまた「坂の上の雲」を連載した新聞ですから、司馬とはなにかと深い関係にあります。司馬人気の幅の広さがわかろうというものです。

かつて藤岡信勝は「司馬史観」に影響を受けたなどと語っていました。もっとも藤岡の言論や行動は暴走がひどくなって、司馬どころの話ではなくなってしまい、すでにそれを言及することもないようですが。

さて、前置きが長くなりました。今回私が書評するのは、一橋大学名誉教授の中村政則著 『坂の上の雲』と司馬史観 です。



著者は、司馬がなくなった直後の1997年に「近現代史をどう見るか-司馬史観を問う」 (岩波ブックレット (No.427)) という本を書きました。これはそれなりの売れ行きを示したそうです。実は私もこの本を買っています。この本は、そのブックレットを第3章に収録しています。

この本執筆のきっかけは、いうまでもなく「坂の上の雲」のドラマ化によります。ある意味私たちが司馬という人物の実態を的確にとらえるためにもこのような本の出版は大いに意義があるというものでしょう。

さて、当たり前ですが、司馬が「坂の上の雲」を執筆した時代と今では、明治時代や日露戦争その他にたいする研究も大変すすんでいます。時代的制約で、今日の水準の知見を得られなかったことによる記述不備は仕方ないとして、当時の研究水準からしても司馬はやや行き過ぎた記述をしているということを著者は冷厳に指摘します。

たとえば、義和団事件において司馬は日本軍の軍紀がよく保たれていたと主張しますが、事実は虐殺事件を行っています(p.16~17)。

また、有名なのは日露戦争の責任問題についても、必ずしもロシアも対日主戦論一本やりだったわけではありませんし(これは日本も同様)(p.37)、明石元次郎についても過大評価をしているし(p.66)、また昭和天皇に対する異常に甘い評価もおおいに問題です(p.215)。

こういったことは司馬の記述がとても社会に強い影響力があり、彼のファンでなくても「そんなもんかな」と思う人が少なくないと思います。しかし必ずしもそうとはいえないということもあるかと思います。

また、著者の指摘で印象に残った点の一つとして、司馬が読者の喜ぶツボをよく押さえていたということがあります(p.220)。

そんなの(ベストセラー作家なのだから)当たり前じゃないかと思われるでしょうが、やはりそれを見抜き的確に押さえる能力が司馬はものすごく高い。そして、ある意味司馬は、それを優先させて確信的に史実の解釈としては妥当とは言いかねる記述をしたり、あえてそのことを書かないで済ませるということもやっています。

もちろん小説家であるのだから、歴史家のような厳密さで批判しても仕方ないという意見もあるでしょうが、しかし司馬はさまざまな意味で別格の物書きですからね。好き嫌いは別としても、彼が日本の社会に与えた(そしてこれからも与える)影響の絶大さを考えれば、やはり指摘しておくべきことはたくさんあるでしょう。正直、司馬は単なる大衆小説家ではないのだからね。その他大勢の物書きと一緒にしてしまっては困りますし、また司馬にも失礼でしょう。これは著者も力説しているところです(p.67~p.69)。

それはそうと、司馬に対して批判的な本も徐々に出てきています。私は勉強不足で読んでいませんが、ぜひ読んでみて、面白かったらこのブログで書評をします。

なんであろうと、長嶋茂雄だろうと昭和天皇だろうと、横田早紀江さんだろうと、犯罪被害者家族(遺族)だろうと、松本清張だろうと、批判できないというのは面白くありません。私は批判すべきものは批判するというポリシーを持ちますので、これからもさまざまなことをいろいろと批判していこうと思います。

*司馬はすでに亡くなって久しい歴史的人物ということで、藤岡信勝についてはとても敬称などをつける気はしないので、敬称は略します。
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4 コメント

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Unknown (BR-S)
2009-11-30 07:56:37
「司馬史観」とは懐かしい響きですね
藤岡・西尾・小林といった「つくる会」周辺が言い出して
そろそろ15年ほど経つんじゃないでしょうか

もっとも、当の司馬本人が旧日本軍の戦車を役立たずだとこき下ろしているのが知られるようになってからは
まるで俎上に載らなくなりましたが…

そんな人物を「日本は悪くない」という歴史修正主義の御旗に仕立てようとした時点でお笑い草だというものです
>BR-Sさん (Bill McCreary)
2009-11-30 20:54:09
けっきょく藤岡や西尾らが産経新聞その他の極右勢力から使ってもらうには、司馬を支持する程度ではだめだったわけですね。まあ、連中の暴走振りは、さすがに司馬も空の上で呆れているでしょうけど。

司馬に対する批判は批判として、藤岡らのお粗末な状況はいくら批判しても批判しすぎることはありません。
Unknown (t)
2009-11-30 23:17:40
中村氏といえば、同じ岩波から出ている「象徴天皇制への道」も良書でした。なお「司馬史観」批判ではこんな本も出版されているようです。これも買わないと。
http://www.koubunken.co.jp/0450/0426.html
しかしNHKも何考えてんですかね、今頃になって「明治礼賛」なんぞを大々的に流す神経が分かりません。
>tさん (Bill McCreary)
2009-12-01 23:06:49
ご紹介いただいた本は、いま私も地元の図書館で予約中です。読んでみて、面白ければ記事を書くつもりです。

それにしても、NHKという放送局も何をいまさらの時代錯誤ですよね。これからも批判的に考えていきたいと思います。

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