ライプツィヒの夏

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

『愛のコリーダ』についての藤竜也のインタビュー 2000年(2)

2011-02-01 00:00:04 | 映画


(聞き手)―定役の松田英子さんは先に出演が決まっていましたが、藤さんのほうは製作発表の前日になったそうですね。彼女とはその場で初めて会ったんですか?

(藤竜也)面識はあったんです。日活の「野良猫ロック」シリーズで、不良少女のグループの一人として彼女が出ていたんですよ。(採録者注:二人は、長谷部安春監督1970年『野良猫ロック マシンアニマル』で共演しています。松田は「市川魔胡」名義)なんで覚えているかというと、彼女が耳に小さなサソリの入れ墨していましてね。それが印象的で。

―演技のやりとりはあったんですか?

彼女はわりと小さな役でしたからね。不良少女のただの一員だった。で、松田さんとお会いして初めて、「あ、会ったことあるな」と。

―ほとんど新人同然の松田さんに不安はありませんでしたか?

全然。だって、ああいう映画ですよ。僕も初めてですから(笑い)。それに、どんな演技だって、バッテンのものってないと思うし。



―監督も演技指導はしないそうですね。

何もしてない、いっさいなし(笑い)。

―芝居を着けずに、ひたすら役者にまかせるというのは、逆にいうと、場の雰囲気をつくるのがうまいのでしょうね。

実に誇りの高い現場でしたね。たとえば、僕はタバコ吸いだけども、セットなのかでは吸う気になれないぐらいの毅然とした雰囲気があった。だからセットに上がるときも、思わず足の裏を見て、汚れてないかな、って見るくらいキチーッとしてね。やはり美術的にも素晴らしいんですよ。鑑賞するだけの値打があるようなセットを、美術監督の戸田重昌さんがつくった。一礼してから入りましょう、っていう感じでしたから。こういうところに映画の喜び、誇りがあるんですね。大島渚というキャラクターも大きいでしょうね。でも、俳優にはむちゃくちゃ優しかった。気持ちが悪いくらい(笑い)。ああいうセンシティブな映画だったので、事情にありがたかったですよ。だけど、スタッフには、まわりが度肝を抜かれるくらい厳しい。こっちを向くか、あっちを向くかとでは、お多福が急に般若に変わるくらい違いました。

―撮影はどんな段取りだったんですか。ワンシーンを何テイクも撮ったりしましたか?

あまりカットを割らないで、移動や長回しが多かったんです。だいたい九時から午後二時くらいまでリハーサルで、本番はほとんど一発で決まりましたね。撮り直した記憶はあまりないです。本番が始まると、ものの一分間かで、「はい、お疲れ様でした」。

―最後、首を絞められるシーンの撮影では、スタッフを締め出して大島さんがカメラを回したそうですね。

監督がライティングとキャメラと両方のスイッチを持って(笑い)、真っ暗な状態の中でしゃがんで待つんですよ。それで行けるということになると、監督がその両方のスイッチを押して、明かりがパッとついてカメラが回り始める。それこそバイアグラでもあれば(笑い)、苦労しないけれども、やっぱり大変なことですからね。だけど、闇の中で人間三人が潜んでいるっていうそのときは、三人が一体化したという感じがすごくしたのよ。

―監督が「一体化」の状態をつくったということですね。

そう。微妙なシーンの撮影でスタッフがスタジオの外に出たことは何度かありました。

―撮影の一ヵ月間は緊張感とかストレスとか、すごかったんじゃないですか?

まったくないです。逆にものすごい高揚感で、監督と一緒に冒険の旅に出ているという感じでした。ぼくはほとんど食べていなかったから、透明感というか精神だけが研ぎ澄まされて。

―吉は食事もろくにしないでセックスのし続けでやつれていくという設定で、実際に痩せようとしたわけですね?

うん。けっきょく、肉体を消して精神だけをつくる…というのはできっこなかったけれども、そこに近づくにはどうしたらいいのか、ということで考えついたんです。食べないでどんどん体重が落ちていく、毎日、定のことを思い続けるということには成功したようですね。

― 一ヵ月間、ずっと?

どんどん食事の量を落としていったんです。最後の一週間はお茶と梅干。みんな大事にいたわってくれました。死ぬんじゃないかと思って(笑い)。

―何キロくらい落したんですか?

撮影に入るとき七〇キロあったのが、最後は五五キロ。気持ちいいですよ。

―キモチイイ?

気持ちいいよ。風が吹くと身体が揺れるんだもの。ただ、フィルムでは期待したほど痩せて見えなかったですけど。



―あの映画は、二人の肉体、セクシュアリティという視点からのみ見られがちで…。

そうね、僕は逆に捉えたんです。だから、あそこまでできたんじゃないかな。

―藤さんが定に対して、照れた恥ずかしげな表情をしますよね。

そうでしたっけねえ。

―そこが印象深いんです。

ここで「あ、照れよう」とかしないんですよ。感情のキャッチボールみたいなものかな。現場では、定なら定の反応を楽しみにしている演技者としての僕がいるわけですよ。だから相手がちょっと違う動きをすれば、それに対して反応する。そういうのが面白いんです。

―アドリブはきいたんですか?

大島さんの場合はききます。しゃべり口をどっちかというと江戸弁の遊び人風なものにしました。台本はもう少し普通の言葉で書いてあったのを崩したんです。

―当時、藤さんは三十四歳でした。実際の阿部定事件で石田吉蔵は四十二歳ということで、年齢上の工夫などは考えましたか?

何歳だったとか、そういうのはあまり考えない。ただ、実際にあったことだというのは、よりどころにはなりましたよね。

―松田さんとの呼吸は、最初からスムーズに行きましたか?

うーん…スムーズであるとかないとか、あんまり考えないから(笑い)。変にスムーズに行っても気持ち悪いでしょ。

―松田さんとは、現場で台本を見ながら話し合いましたか?

演技の打ち合わせなんかは全然。僕、あんまり好きじゃないんです。みんな生きているんですから無理ですよ。どんなになろうと、定は生きてるんですから、その定を吉は受け入れる。それをその通りにやればいいだけです。彼女がどんな表情をしても、僕には何の抵抗もないですよ。ただ、いつもぴったりくっついていたね。二人で一人っていうかな。撮影以外でセックスがあったとかそういう意味じゃないですよ、まったく。とにかく、いつもそばにいたなあ。僕はそんなにしゃべるほうじゃないし、彼女もそう。で、ずーっと沈黙のまんま。でも、いつもそばにいたね。

―出番を待っている間とか?

そうそう。あと、帰りも。本当にピターッとくっついてた。やっぱりプレッシャーというのがあるわけですよ。そんなプレッシャーも二人一緒だったら支えられるという気持ちだったんじゃないかな。
 あ、そういえば、撮影が終わって(スタジオのある京都から)東京へ帰る前日くらいかな。美術の戸田重昌さんが僕のところに来て、「藤さん、ちょっとお願いがあるんですけど」「はい、なんでしょうか」「松田さんに一つ渡してもらいたいものがある」と。和紙に包んだ白無垢のね、何ていうんだろうか、単衣というか…。とにかく着物ですよ。ああ、これはおそらくスタッフ全員の松田さんへの称賛の意味だな、と思いましてね。これはきちんとしなければと、旅館の一番いい部屋を空けてもらって、きれいに掃除してもらって、冬だったけれども、京都ですからね、バーンとあけて庭が見えるようにして、キリッとした空気をつくってもらった。そして二人になって、「あの、これ、どうぞ」って白無垢を差し出したら、松田さんがポロポロ泣いてね。その白無垢の意味は何なのか、戸田さんには聞かなかったけど、別に聞かなくてもそれぞれに思うところがあればいいんですよね。


―戸田さんもそこは言わないし、藤さんも松田さんもあえて聞かないわけですね。その座では、撮影の時を振り返ったりして?

何もないです。ただ着物をお渡ししただけで。「ありがとうございました」「お疲れさまでした」って。松田さんはきちんと正座していて、そのときの佇まいが非常にきれいだったのを覚えています。

―その後、カンヌでお会いして、それっきりということですね?

そうですね。

―お会いしたくないですか?

いやあ、吉と定の世界はあそこで終わったんです。生身の藤竜也と松田英子が会ったって、ただセンチメンタリズムなだけで、あまり意味がないでしょ。

(つづく)

追記:2月2日、写真をアップしました。
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