(聞き手)―できあがった作品を見たときはどんな印象でしたか?
(藤竜也)「とにかく終わった。これでいいんだろうか?」って。作品を見る、なんてことはできなかった。
―カンヌでは人気を集めたでしょう?
海岸で寝っ転がってばかりいたからね(笑い)。みんな、ひっちゃきになって映画を見ているけど、言葉もわかんない映画を見てもつまんないしね。ま、でもかなりセンセーションを巻き起こしてる感じはしました。おかしいこがあってさ、カンヌって一つのマーケットでしょ。いろんな会社の出店みたいなものがあるんですよ。で、街を歩いてて、タバコを一服しようと思って、「フジフイルム」ってのがあったから、そこへ腰かけてタバコ吸ってたらさ、映画の業界人が三人来てね、僕が藤だというのは強いているんですよ。で、フジフイルムでしょ。だから僕はそこのオーナー兼俳優だと思ったらしいんだよね(笑)。それでね、フランス語でビジネスの話を持ちかけるわけ。こっちはフランス語ができないから焦ったんだけど、フランス映画社の柴田駿さんがたまたま通りかかったので、「すいっません、なんか言ってください」って助けてもらって(笑い)。
あと、ニューヨークに行った時の話をしましょうか。フィルムフェスティバルに行ったんですが、大島さんの旧作を流して、そのあとパネルディスカッションみたいなのが終わって劇場を出ようとしたら、廊下の向こうから一人の男が歩いてくる。地味な背広着て。誰だと思う? わからないよね、そんなこと聞いても。なんとジャック・ニコルソンだった。俺に飛びついてきたの。「飛びついてきた」というのはちょっとオーバーだけど、ダダダダダッと、俺の目を見て走ってきて、「握手してくれ」って。
―彼が『カッコーの巣の上で』に出演したころですね?
そう。すごくいい俳優だなと思っていたし、その男が何物かはすぐわかりました。だけどカタまっちゃってさ(笑い)。日本人特有の無反応(笑い)。サムライ(笑い)。まわりのスタッフから「ジャック・ニコルソンですよ」っていわれても、「わかってます、そのくらい…」って(笑い)。ちょっと自慢話。
―外国の俳優から見たら、藤さんのような演技はかなり魅力的なんじゃないですか。ああいう照れと苦みとの妙というのは。
そうですかね。それはあんまり考えたことないけど。ほかに演技ができませんから。演技、嫌い(笑い)。生きることが好き。うん。
―で、『愛のコリーダ』のあとは、二年間テレビも映画も出演していませんね。
失業。
―それはご自分のほうから出なかった?
そうじゃないです。
―猥褻裁判もあって?
それもあったし、使いにくかったんじゃないのかな。だけど、最高の休暇でしたよ。毎日海へ行ったり、スカッシュをしたり。スカッシュの名選手になっちゃいました。最初のうちは、スポーツクラブで「次(の作品)はなんですか?」ってよく聞かれたけど、しまいには聞かれなくなっちゃってさ(笑い)。毎日のように見かけるものだから、「これは聞いちゃいけねえな」って思ったんじゃない?
―焦りませんでした?
全然。だって、『愛のコリーダ』を受ける時、「これでダメになってもいい」と思ってたから。だけど、貯金が少なくなっていくのはちょっと心細かった。スカッシュのコーチじゃ、あんまりカネにならないし(笑い)。
―そこまで覚悟を決めていたんですね。
うん、自身もあったしね、ひそかな。俳優はいつ仕事が来るかわからないでしょ。絶対来るんだっていうぐらいの自信がないと、もたないですよ。
―で、二年後はまた大島監督『愛の亡霊』で、その後はすぐまたテレビですね。
ダダダッと依頼が来て。テレビは最初、NHKが呼んでくれたんですよ。それがすごく記憶にある。NHKが読んだんだから、もうこれは大丈夫だろうと思った。だから呼んでくださった廣瀬満監督の名前は忘れないです。
―『愛のコリーダ』が転機になったと思いますか。
うん、やっぱり僕個人の歴史の中で、「エポック」だと思いますね。俳優としての腰の据わり方が変わりましたからね。
―腰の据わり方?
曖昧な表現かもしれないな。ふてぶてしくなったっていうか。自由になったっていうのかな。うん、自由に生きられるようになった。カチンコとカチンコの間を。
―この映画をはじめてみる若い人たちは、どう思うでしょう?
ねえ? 二十五年前、フランスでは理解した人が多かったわけだよね。あられもない肢体の向こうの美しさっていうのを感じたわけでしょ? 二十五年たったら日本も成長しましたかね。まあ、裸本位で見たって自由ですけれども。だけど何かは心に引っかかるんじゃないかな。昔、「全然オレ興奮しなかったよ」って言った記者がいたけど。
―興奮する映画とはちがいますから。
違う、違う。まあ、興奮してもらってもけっこうだし、本当言うと興奮してもらったほうがいいんだけれども、その興奮の向こうにキラッと光る何かがあるはずでしょ?
(完)
(藤竜也)「とにかく終わった。これでいいんだろうか?」って。作品を見る、なんてことはできなかった。
―カンヌでは人気を集めたでしょう?
海岸で寝っ転がってばかりいたからね(笑い)。みんな、ひっちゃきになって映画を見ているけど、言葉もわかんない映画を見てもつまんないしね。ま、でもかなりセンセーションを巻き起こしてる感じはしました。おかしいこがあってさ、カンヌって一つのマーケットでしょ。いろんな会社の出店みたいなものがあるんですよ。で、街を歩いてて、タバコを一服しようと思って、「フジフイルム」ってのがあったから、そこへ腰かけてタバコ吸ってたらさ、映画の業界人が三人来てね、僕が藤だというのは強いているんですよ。で、フジフイルムでしょ。だから僕はそこのオーナー兼俳優だと思ったらしいんだよね(笑)。それでね、フランス語でビジネスの話を持ちかけるわけ。こっちはフランス語ができないから焦ったんだけど、フランス映画社の柴田駿さんがたまたま通りかかったので、「すいっません、なんか言ってください」って助けてもらって(笑い)。
あと、ニューヨークに行った時の話をしましょうか。フィルムフェスティバルに行ったんですが、大島さんの旧作を流して、そのあとパネルディスカッションみたいなのが終わって劇場を出ようとしたら、廊下の向こうから一人の男が歩いてくる。地味な背広着て。誰だと思う? わからないよね、そんなこと聞いても。なんとジャック・ニコルソンだった。俺に飛びついてきたの。「飛びついてきた」というのはちょっとオーバーだけど、ダダダダダッと、俺の目を見て走ってきて、「握手してくれ」って。
―彼が『カッコーの巣の上で』に出演したころですね?
そう。すごくいい俳優だなと思っていたし、その男が何物かはすぐわかりました。だけどカタまっちゃってさ(笑い)。日本人特有の無反応(笑い)。サムライ(笑い)。まわりのスタッフから「ジャック・ニコルソンですよ」っていわれても、「わかってます、そのくらい…」って(笑い)。ちょっと自慢話。
―外国の俳優から見たら、藤さんのような演技はかなり魅力的なんじゃないですか。ああいう照れと苦みとの妙というのは。
そうですかね。それはあんまり考えたことないけど。ほかに演技ができませんから。演技、嫌い(笑い)。生きることが好き。うん。
―で、『愛のコリーダ』のあとは、二年間テレビも映画も出演していませんね。
失業。
―それはご自分のほうから出なかった?
そうじゃないです。
―猥褻裁判もあって?
それもあったし、使いにくかったんじゃないのかな。だけど、最高の休暇でしたよ。毎日海へ行ったり、スカッシュをしたり。スカッシュの名選手になっちゃいました。最初のうちは、スポーツクラブで「次(の作品)はなんですか?」ってよく聞かれたけど、しまいには聞かれなくなっちゃってさ(笑い)。毎日のように見かけるものだから、「これは聞いちゃいけねえな」って思ったんじゃない?
―焦りませんでした?
全然。だって、『愛のコリーダ』を受ける時、「これでダメになってもいい」と思ってたから。だけど、貯金が少なくなっていくのはちょっと心細かった。スカッシュのコーチじゃ、あんまりカネにならないし(笑い)。
―そこまで覚悟を決めていたんですね。
うん、自身もあったしね、ひそかな。俳優はいつ仕事が来るかわからないでしょ。絶対来るんだっていうぐらいの自信がないと、もたないですよ。
―で、二年後はまた大島監督『愛の亡霊』で、その後はすぐまたテレビですね。
ダダダッと依頼が来て。テレビは最初、NHKが呼んでくれたんですよ。それがすごく記憶にある。NHKが読んだんだから、もうこれは大丈夫だろうと思った。だから呼んでくださった廣瀬満監督の名前は忘れないです。
―『愛のコリーダ』が転機になったと思いますか。
うん、やっぱり僕個人の歴史の中で、「エポック」だと思いますね。俳優としての腰の据わり方が変わりましたからね。
―腰の据わり方?
曖昧な表現かもしれないな。ふてぶてしくなったっていうか。自由になったっていうのかな。うん、自由に生きられるようになった。カチンコとカチンコの間を。
―この映画をはじめてみる若い人たちは、どう思うでしょう?
ねえ? 二十五年前、フランスでは理解した人が多かったわけだよね。あられもない肢体の向こうの美しさっていうのを感じたわけでしょ? 二十五年たったら日本も成長しましたかね。まあ、裸本位で見たって自由ですけれども。だけど何かは心に引っかかるんじゃないかな。昔、「全然オレ興奮しなかったよ」って言った記者がいたけど。
―興奮する映画とはちがいますから。
違う、違う。まあ、興奮してもらってもけっこうだし、本当言うと興奮してもらったほうがいいんだけれども、その興奮の向こうにキラッと光る何かがあるはずでしょ?
(完)
ありがとうございました。未読の記事でしたので大感激です。
高校生のとき、大学進学のために上京したら、まず池袋の文芸坐というところに行ってみようと決めていまして、実際、上京3日目に行ったんですが、そのとき上映していたのが『愛のコリーダ』でした。私が東京で最初に観た映画ということになります。
私の大島渚ベストは『儀式』ですが、『愛のコリーダ』も、もちろん大好きな映画です。
>文芸坐
いまのでなく昔のほうですね?
私もこの映画はひどいぼかしのやつを銀座かどっかの劇場で見たことがありまして、それにはフランス語の字幕が入っていましたね。正直見るも無残っていう印象でした。現在は見ようと思えば外国からソフトを購入することもできますからいい時代になりました。
それにしてもこの藤のインタビューはいいですね。このブログに遊びに来てくださる方々にもぜひ味わっていただければと思います。
>大感激です。
そういっていただけると嬉しく思います。これからも『愛のコリーダ』については記事を書きたいと考えています。よろしくお願いします。
藤竜也さんの大ファンです インタビューを読めるようになって嬉しいです。韓国では私が中学生の時にこの映画が公開したけど年齢のために見ることはできなかったが、この映画紹介だけで魅了されたのを思い出します ありがとうございます
藤竜也さんのファンでいらっしゃるんですか。彼もこの映画の出演でだいぶ大変だったようですが、現在も活躍されています。