ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

けっきょく甲子園の「感動」というのは、組み体操の「感動」と同じようなものだと思う

2016-09-13 00:00:00 | スポーツ

昨年、大阪府八尾市の中学校で、組み体操で事故が起き、複数の生徒がけがをしたというニュースがありました。その時の模様の動画をまた貼り付けます。

大中ピラミッド(大阪府八尾市立の中学校における組体操事故)

素人目に見ても、とても体育祭の行事の一環として、全男子生徒を参加させて行う代物には思えませんが、やっぱり失敗して、生徒がけがをしたわけです。しかもこんなことがこの中学では毎年続いているわけです。で、当時引用した記事を再引しますと、次のような発言があります。

> では、これだけリスクの高い人間ピラミッドをなぜ学校側はやり続けるのか。内田さんは「体育祭で大きなピラミッドを披露すると、見にきた保護者は拍手喝采、賞賛しますよね。そうなると、教員もやめられなくなるんです。ピラミッドが作り出す『感動』が負の面を見えなくしているんです。保護者と教員がピラミッドの巨大化を推進してきたと言っても過言ではありません」と話し、この状況を「感動の呪縛」と呼んだ。

まったくの趣味の問題、価値観の問題ですが、私は組み体操なんか見てもまったく感動はしません。ていいますか、仮に感動したところで、生徒にけがなどがあってはどうしようもないでしょう。ましてやこの中学は、

>2015.10.5 12:37更新
組み体操「ピラミッド」など、3年間で8人骨折 大阪・八尾市立中

 9月の体育大会で組み体操の「10段ピラミッド」が崩れて中学1年の男子生徒が骨折、生徒5人が軽傷を負う事故があった大阪府八尾市の市立大正中で、9月の大会前の練習や、平成26年と25年の大会本番や直前の練習でも、ピラミッドや別の組み体操が崩れるなどして、生徒7人が骨折していたことが5日、同校への取材で分かった。

 同校によると26年9月、四つんばいの姿勢で積み重なってつくる10段ピラミッドと、演技者が肩の上に立って4段の塔をつくる「4段タワー」の演目中、当時3年の生徒2人が右足首や足の指の骨を折った。大会前の練習中にも生徒2人が足や手の指を骨折する事故があった。25年は大会前の組み体操の練習中に2人が骨折。今年9月の体育大会前の練習では組み体操の練習中にバック転をした生徒が指の骨を折った。

(後略)

なのですから、お話にもならんにもほどがあります。それで校長氏は

>今後の実施について検討する

とまで言ったのですから、その他人事ぶりもひどいというものです。前の年に4人もの生徒が骨折をしていて、それで今年もやる(そしてまたまた骨折者が出る)って、どういうチャレンジャーなんでしょうか。馬鹿や非常識やクズにもほどがあるというものです。こういう惨憺たる有様を見て私は、

「感動」とは安全に優先するものではないと思う(そもそも「組み体操」で「感動」なんか私はしない)(1)

という題名の記事を書いたのです。上の引用は、今回は上の記事よりしました。安全の確保どころが危険なことばかりしてそれで感動を求めるなんて、どこまでふざけているのかです。そして教員がこんなことを書いているのには心底から驚きました。引用は、拙記事より。

>「55人規模の大きなピラミッドにおいて、最も大きな負担のかかる子どもたちは、外からはその姿を見ることはできません。それでも、その子どもたちは、たとえ膝に小石が食い込んでも、歯を食いしばりピラミッドの完成を願っています。そんな彼、彼女らを信頼しているからこそ、最後の一人は、勇気を出してピラミッドの頂上で両手を広げることができるのです。

 もちろん最初からそんな信頼関係が存在しているわけではありません。何度も失敗を重ねながら、何度も練習を積んでいくからこそ、その信頼が生まれていくのです。保護者たちも、子どもたちのその努力を知っているからこそ、感動してくれるのです。そして、私たち教員も、その過程を知っているからこそ、ピラミッドが完成したとき目に涙を浮かべるのです」(『子どもも観客も感動する! 「組体操」絶対成功の指導BOOK』より)

こういうことを堂々とかける神経の人間に、私は根本的に強い不信感を感じざるを得ないのですが、そもそも論として、組み体操のおかげで子ども同士の信頼関係が成立したり子ども自身も感動するなんていう事実はあるんですかね? そういう子どもも皆無じゃないかもですが、本当は嫌だと考えている子どもも多いんじゃないんですかね。保護者だって、みんながみんな「感動」(?)しているわけでもないでしょうに。

で、夏の高校野球も、私は同じようなものだと思います。全員参加を余儀なくされる組み体操と、一応任意参加である野球部ではまた話が違いますが、でも本質的にはそんなに変わりはないでしょう。

夏の暑さの過酷な季節に、しかも真昼の炎天下で試合をし、そして日本の中でも暑さが過酷な関西で行う(北海道でやるという考えはなさそうです)。球数制限や日程緩和も、最大限嫌がる。それで、いまだ高校球児は、時代錯誤な丸刈りをしている。

おまけに高校野球というのは完全なトーナメントで、一発勝負です。ラグビーなどもそうですが、日本は基本的にトーナメント大好きですが、野球は不確実性の多いスポーツなので、強いチームが勝つということが読めない部分がある。これも高校野球人気の理由の一つでしょう。

全国高等学校野球選手権大会が始まった1915年はいざ知らず、それから100年以上たった2016年でも、こういったへんてこな部分は維持されています。さすがに日程緩和は若干進みましたが、たとえば夏は季節的にそぐわないから、ナイターにするか甲子園に固執するのをやめて他球場で並行開催するとかNHKの全試合中継はこだわらないことにするとか秋の土日祝日にリーグ戦で開催してもいいのではないかとか、いろいろ改善も可能なはずですが、そんな意見は相手にもされません。それでは「感動」が薄れるということなんでしょうね。高校球児の置かれる環境は、過酷であるに限るとか。

地面に子どもを四つん這いにさせて子どもを上に上がらせて、骨折やその他のリスク―そこには半身不随とか死亡もふくまれます―の危険を覚悟しても、感動を追い求める、それが組み体操です。そして同じようなものを全国規模で行いその感動をを現実化する甲子園というのは感動大好き人間にとっては、格好のコンテンツなのでしょうね。だから新聞が主催し、NHKも喜々として中継する。で、一般の人間も好きなわけです。他人の家の子どもに熱狂するのだけでなく、選手の親が喜んでいるのだから(組み体操はともかく、親が本当に嫌だったら高校野球は高校生はしないでしょう)、これまたどうしようもない。私は野球に興味がないので、高校野球なんかに感動はしませんが、そんな私の個人的な意見はともかく、たとえばプレー中に選手が熱中症になって死んじゃうなんてことが、甲子園の大会はともかく、地方予選のレベルでは起きかねないんじゃないんですかね。倒れている生徒は年間何人もいます。でも、組み体操ですら中止を躊躇するんですから、高校野球は何らかの見直しも難しいかという気はします。それもどうかです。

そうこう考えると、つまりは組み体操と同様、甲子園の高校野球なんてものは、世にいう「感動ポルノ」なんでしょうね。純粋に野球の技量を競うのなら、夏休みの期間でなければ開催不可というのなら、北海道ですればいいでしょう。数か所の球場を借りて、全試合生の全国放送なんかにこだわらなければいいのです。でも甲子園でなければいけないんだろ? こういうのを感動ポルノと言わずして何と言いましょうか。どうしようもないとはこのことです。まったく愚にもつかないにもほどのある無様で無残な光景です。

コメント (26)
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