津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

築港用石材運搬船団

2016-12-07 | 尼崎汽船部
貨物船「咲花丸」の種船となった曳船「第三咲花丸」は、大阪築港工事用として、大阪市の発注により建造さ
れた。慶応4年に開港した大阪港は、淀川分流の河口に位置し、堆積する土砂により水深は浅く、川口波止
場まで遡行できるのは、小型船のみであった。また、天保山沖合に投錨する大型汽船も、冬季季節風時の停
泊は厳しく、次第に神戸港寄港船が増えていった。大阪築港計画は、1885(M18)淀川明治大洪水等を経て、
「淀川改修」と「大阪築港」の分離施工が打ち出され、調査・設計はオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケに委託された。
1897(M30).10.17天保山旧砲台にて築港起工式は開催され、当初予算総額2249万円、工期8年の大規模工
事はスタートした。
主要工事として防波堤及び桟橋築造、埋立地造成、港内浚渫等があり、また、工事に伴う採石場、コンクリートブ
ロック製造工場、船舶・機械器具類の整備等も行われた。
大阪市は、西方海上65浬にある犬島群島に採石場を設け、防波堤工事用石材(捨石)を採石した。犬島群島
は良質の花崗岩を産出する。閉塞船「彌彦丸」を記した際、若宮神社(久里浜)にある記念碑台石は、犬島産
花崗岩である可能性に触れた。



大阪鉄工所の写真集には、採石場を背景に、石材を積載中の「犬島丸」の画像が掲載されている。煙突に大
阪市の市章を付けている。
大阪市は、1898-99(M31-32)に70立坪積自航式石材運搬船「犬島丸」6隻を建造した。当初、12隻を建造する
計画もあったが、予想以上の好成績により6隻の建造に止め、非自航式「早潮」を増備した。
犬島丸6隻の貨物倉は底開式で、築堤築造予定海域に着くと船底の扉を開き、捨石を投入した。工事の進捗
に伴い、水深が浅くなると底開式での石材投入が困難となり、改造により固定式石材運搬船となった。真っ先
に改造された第四犬島丸は、1902(M35).11に扉を閉塞した。
なお、「第五犬島丸」は犬島からの復航において、M33.12.08風波により明石沖に沈没した。約10ヶ月の稼働
であった。6隻の主要目は次のとおり。

第一犬島丸 3547 / HTSV 611.01G/T、鋼、1898(M31).12、大阪鉄工所(大阪)、169.00尺
第二犬島丸 3634 / HVFQ 611.01G/T、鋼、1899(M32).03、大阪鉄工所(大阪)、169.00尺
第参犬島丸 4397 / JCLP 611.01G/T、鋼、1899(M32).05、大阪鉄工所(大阪)、169.00尺
第四犬島丸 4403 / JCLT 608.94G/T、鋼、1899(M32).07、大阪鉄工所(大阪)、169.00尺
第五犬島丸 4459 / JCNB 590.63G/T、鋼、1899(M32).10、東京石川島造船所(浦賀)、165.85尺
第六犬島丸 4522 / JCPM 592.33G/T、鋼、1899(M32).12、東京石川島造船所(浦賀)、165.80尺

なお「第一~第四犬島丸」は『船名録』初記載のM33年版において、「長」は「船舶積量測度方法に依る量噸
甲板上最大の長」とされ、各々「169.50尺」だが、M34年版以降「船舶積量測度方法に依る量噸甲板下の長」
となり、「169.00尺」に変化する。

大阪築港工事に用いる石材は、3隻の「咲花丸」によって曳航される「早潮」でも運ばれた。20立坪積非自航
式石材運搬船「早潮」15隻は、「犬島丸」を補完する役割を担っていた。
「早潮」には底開式(第3~第10)8隻、側開式(第1、第2、第11~第15)7隻があり、第1~第10は鋼製、第11~
第15は木造。
一方、「早潮」を曳航する「咲花丸」は、「第一咲花丸」「第二咲花丸」は木造、「第三咲花丸」は鋼製だった。
「咲花丸」は3~5隻の「早潮」を曳航し、最後尾に舵効きの良い底開式を配置した。大阪港~犬島群島間の
航海には、大凡、往航12時間、復航18時間を要した。『大阪築港誌』には、木製と鋼製を比較し「両者の利害
は猶ほ早潮に於ける如く木造船は価格廉なるも船体の歪み甚しく且修繕頻繁なるを以て結局鋼製を以て優
れりとす」とある。3隻の主要目は次のとおり。

第一咲花丸 3548 / HTSW 142.31G/T、木、1898(M31).09、福井造船所(大阪)、102.50尺
第二咲花丸 3549 / HTVB 142.31G/T、木、1898(M31).09、福井造船所(大阪)、102.50尺
第三咲花丸 4513 / JCPG 154.45G/T、鋼、1900(M33).02、川崎造船所(神戸)、101.30尺



曳船当時の船影は無いものかと、『大阪築港誌』の図面を参考に絵葉書を眺めていたところ、築港桟橋沖合
にその船影はあった。いきなり、絵葉書の画面に引き込まれた瞬間であった。絵葉書の仕様は、明治末期か
ら大正初期にかけてのもの。絵葉書に記録された何気ない光景も、当時の貴重な覗き窓であることを、改め
て痛感した。





図面と画像の煙突附近を対比すると、同一船であると判る。「第三咲花丸」と「第一咲花丸」「第二咲花丸」
は、明らかに外観が異なっている。







この図面に記された船名が「SAKUHANA MARU No.3」であった。
大阪築港工事は、1905(M38).09.30で8年の工期を終えた。しかし、護岸・埋立などの残工事も多く、工期
は10年延長された。「第三咲花丸」は1925(T14)尼崎汽船部に売却され、1930(S05)貨物船に改造、「咲
花丸」と改名された。
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