「俺がファンを動かすとなれば、積極的にやりたいね。
人生の中で、なにかを求める気持ちがあれば、自分自身に耳を傾け、あらゆる結果をよく考え、それでもまだ求める気持ちが変わらなければ、思いっ切りやってみるんだな。
最悪の結果は失敗、ということになるが、成功を得るためには、失敗の可能性もあえて気にしない、ってことさ。
ミュージシャンとピープルの“デッド・オア・アライヴ”が、挑戦を合言葉に頑張っている。
俺たちと一緒に働く連中は、いつもどんなプレッシャーにもまず挫けることはないからね。
たとえばダンサーだけど、みんながトレーニングを充分に積んでなくても、言い換えると、選び抜かれたのではなく、偶然がつくり出した並みのダンサーでも、彼らは俺が尊敬し、感心するエネルギーと野心、それに街の事情に通じた偉大なる役者なんだ。
だからダンサーになってるんだ。
ミュージシャンは、俺は思うんだけど、芸術的に成長するためには、もっと実験してみる必要があるんじゃないか。
これら写真の“クリーンアップ・オア・ダイ”のモチーフは、若者があらゆる点でシリアスに受け止めなくちゃならないメッセージなんだ。
これは、人類としての俺たちの人生や未来に当てはめることができる。
すなわち、安全なセックス、麻薬の根絶、俺たちを取り巻く環境や絶滅の危機に瀕した動植物に対する思いやりのことなんだ。
そして最後に認識すべきことは、俺たちは強欲というものに、ブレーキをかけなくてはならない、ということだな。
今日の若者は、明日の大人、ってことなんだ。
もし明日というものが来ないで終わっちまったら、一体どうなると思う?」
(89年来日公演ツアーパンフレットより)
何度か往復して熟読したものの、意味不明な箇所がいくつか…。
翻訳がいまひとつであるためにこうなったのか、あるいはどう頑張って訳してもこれ以上の言葉にならないのかは不明です。
いつも思うのですが、こうしたインタビュー記事などを20数年経た現在に読んでも得られることはそれほど無いです。
記事中の文には取材者の主観が入っているかもしれない。
また、非常によく喋る、録音テープが止まってもまだ喋り続ける、という噂のピート・バーンズですから、かなり割愛されている可能性もあるわけで。
部分抜粋では受ける印象も違ってきますもの。ここに挙げたものも完全な部分抜粋ですし。
わたしがピート本人に会って話を聞いているわけではないので相手の顔も見えないし口調もわからない。
日本語のフィルターを通すと受ける印象がかなり変わる可能性も高い。
そういうこともあって、わたしは文字となったものを読んで好き勝手に推測、あるいは妄想しているだけなのですが。
スター、芸能人と呼ばれる方々は、一方的な理想像を押し付けられたり、マスコミが作ったイメージで見られることがとても多いと思います。
いや、多いというよりほとんどそうしたことばかりなんだろうね。
ご本人はまったく“作られたイメージ”と違うかもしれないのに。
自分は見世物、あるいは虚像だからそれでいい、好きに想像すれば?と割り切れる人なら異論はないでしょうけど、そんな方ばかりじゃないでしょう。
ピートはどうなんでしょうね。
50代となった現在はかなり性格も丸くなり、自分の立ち位置も、巷間ではどういうキャラクターとして認識されているかも充分に心得ているようです。
毒舌でちょっと怖い、ビッチな姐さんを楽しんで演じているように思えます。
しかし、20代のピート・バーンズといったら、そりゃもう、チェッ●ーズの歌か、っつーぐらいトゲトゲとんがっていた(ように思う)。
触れただけで切れそうなほど鋭くて、攻撃的。全身を棘で鎧って「近寄るんじゃねえ」なオーラがビシバシですよ(に見える)。
『Someting In My House』のPVなんてさ、実生活もこんな感じじゃないの、なんてね(と勝手に思っている)。
癇癪起こしてその辺にあったものを放り投げるなんて日常茶飯事…八つ当たりされる方は決まっているでしょうけど。
何てね。これも完全なわたしの主観、というよりほぼ思い込みですね。
ただ、これだけは間違っていないだろうな、とちょっとだけ自信を持って言えるのは、ピート・バーンズは意外と真面目な人だということです。
スター…特にミュージシャンという職業の人は、セックス&ドラッグに溺れ、アルコールに依存し、昼夜逆転した不健康な生活をしていなくてはならない、というような変な認識がまかり通っているようですが、すべてがそういうわけではない。
“そういう人”も、そういう人を演じている可能性が無きにしも非ず。
ピート・バーンズその人は、と言えば、外見は派手ですが、意外なほど静かな生活を好むようで…。
今はすっかりヘヴィスモーカーになってしまいましたが、若いころは煙草、お酒はいっさいやらなかったみたいですし。
夜遊びもせず、家でのんびり過ごすのが好きだったということなので、世間で思われているよりもずっと普通の人なのかもしれない(普通じゃないかw)。
冒頭のインタビュー文にも「麻薬の根絶」という言葉が出てきます。
ドラッグに関する発言は、80年代後半のピートによく見られるのですが、ドラッグで早死にした同業者を多く見てきたということがあるのではないでしょうか。
薬物依存(これはいわゆるドラッグではなく、精神安定剤などの薬のこと)だった母の姿にずっと胸を痛めてきたこともあるのかもしれません。
「俺たちは強欲というものにブレーキをかけなくてはならない、ということだ」
これってどういう意味なんだろう。
強欲はキリストの七つの大罪にもあるのですが…宗教的な意味ではないんだろうな。
安全なセックス云々なんてのも、あの過激な歌詞と正反対のイメージだよなあ。
性に関しては保守的な方のようなので、こうした言葉も頷けるんですけどね。
詞は想像でも書けますもん。むしろ実生活を反映しない方がいいのが書けると思うよ。
奔放なイメージで見られることも多いようで。セックス・シンボル的な面もあるし。
ピートは男性的な面も女性的な面も非常に強く出ていて、ものすごく男らしくてものすごく女らしい。
だからつい“そういう目”で見たくなってしまうのだけど。
結局、わたしは何が言いたいのだろう。
またしても着地点を間違えた…というより最初から定めていないからダメなのね…。

Web会議改め、淑女の夜会(爆)を3月2日(金)に予定しております。
別名、ネット女子会(爆爆)。
ひな祭り前日、侍従お誕生日直前、ぴーちゃん一歳目前記念としての開催です(半分うそ)。
ご参加いただける方は、コメント欄あるいはメッセージにてご連絡くださいませ。
人生の中で、なにかを求める気持ちがあれば、自分自身に耳を傾け、あらゆる結果をよく考え、それでもまだ求める気持ちが変わらなければ、思いっ切りやってみるんだな。
最悪の結果は失敗、ということになるが、成功を得るためには、失敗の可能性もあえて気にしない、ってことさ。
ミュージシャンとピープルの“デッド・オア・アライヴ”が、挑戦を合言葉に頑張っている。
俺たちと一緒に働く連中は、いつもどんなプレッシャーにもまず挫けることはないからね。
たとえばダンサーだけど、みんながトレーニングを充分に積んでなくても、言い換えると、選び抜かれたのではなく、偶然がつくり出した並みのダンサーでも、彼らは俺が尊敬し、感心するエネルギーと野心、それに街の事情に通じた偉大なる役者なんだ。
だからダンサーになってるんだ。
ミュージシャンは、俺は思うんだけど、芸術的に成長するためには、もっと実験してみる必要があるんじゃないか。
これら写真の“クリーンアップ・オア・ダイ”のモチーフは、若者があらゆる点でシリアスに受け止めなくちゃならないメッセージなんだ。
これは、人類としての俺たちの人生や未来に当てはめることができる。
すなわち、安全なセックス、麻薬の根絶、俺たちを取り巻く環境や絶滅の危機に瀕した動植物に対する思いやりのことなんだ。
そして最後に認識すべきことは、俺たちは強欲というものに、ブレーキをかけなくてはならない、ということだな。
今日の若者は、明日の大人、ってことなんだ。
もし明日というものが来ないで終わっちまったら、一体どうなると思う?」
(89年来日公演ツアーパンフレットより)
何度か往復して熟読したものの、意味不明な箇所がいくつか…。
翻訳がいまひとつであるためにこうなったのか、あるいはどう頑張って訳してもこれ以上の言葉にならないのかは不明です。
いつも思うのですが、こうしたインタビュー記事などを20数年経た現在に読んでも得られることはそれほど無いです。
記事中の文には取材者の主観が入っているかもしれない。
また、非常によく喋る、録音テープが止まってもまだ喋り続ける、という噂のピート・バーンズですから、かなり割愛されている可能性もあるわけで。
部分抜粋では受ける印象も違ってきますもの。ここに挙げたものも完全な部分抜粋ですし。
わたしがピート本人に会って話を聞いているわけではないので相手の顔も見えないし口調もわからない。
日本語のフィルターを通すと受ける印象がかなり変わる可能性も高い。
そういうこともあって、わたしは文字となったものを読んで好き勝手に推測、あるいは妄想しているだけなのですが。
スター、芸能人と呼ばれる方々は、一方的な理想像を押し付けられたり、マスコミが作ったイメージで見られることがとても多いと思います。
いや、多いというよりほとんどそうしたことばかりなんだろうね。
ご本人はまったく“作られたイメージ”と違うかもしれないのに。
自分は見世物、あるいは虚像だからそれでいい、好きに想像すれば?と割り切れる人なら異論はないでしょうけど、そんな方ばかりじゃないでしょう。
ピートはどうなんでしょうね。
50代となった現在はかなり性格も丸くなり、自分の立ち位置も、巷間ではどういうキャラクターとして認識されているかも充分に心得ているようです。
毒舌でちょっと怖い、ビッチな姐さんを楽しんで演じているように思えます。
しかし、20代のピート・バーンズといったら、そりゃもう、チェッ●ーズの歌か、っつーぐらいトゲトゲとんがっていた(ように思う)。
触れただけで切れそうなほど鋭くて、攻撃的。全身を棘で鎧って「近寄るんじゃねえ」なオーラがビシバシですよ(に見える)。
『Someting In My House』のPVなんてさ、実生活もこんな感じじゃないの、なんてね(と勝手に思っている)。
癇癪起こしてその辺にあったものを放り投げるなんて日常茶飯事…八つ当たりされる方は決まっているでしょうけど。
何てね。これも完全なわたしの主観、というよりほぼ思い込みですね。
ただ、これだけは間違っていないだろうな、とちょっとだけ自信を持って言えるのは、ピート・バーンズは意外と真面目な人だということです。
スター…特にミュージシャンという職業の人は、セックス&ドラッグに溺れ、アルコールに依存し、昼夜逆転した不健康な生活をしていなくてはならない、というような変な認識がまかり通っているようですが、すべてがそういうわけではない。
“そういう人”も、そういう人を演じている可能性が無きにしも非ず。
ピート・バーンズその人は、と言えば、外見は派手ですが、意外なほど静かな生活を好むようで…。
今はすっかりヘヴィスモーカーになってしまいましたが、若いころは煙草、お酒はいっさいやらなかったみたいですし。
夜遊びもせず、家でのんびり過ごすのが好きだったということなので、世間で思われているよりもずっと普通の人なのかもしれない(普通じゃないかw)。
冒頭のインタビュー文にも「麻薬の根絶」という言葉が出てきます。
ドラッグに関する発言は、80年代後半のピートによく見られるのですが、ドラッグで早死にした同業者を多く見てきたということがあるのではないでしょうか。
薬物依存(これはいわゆるドラッグではなく、精神安定剤などの薬のこと)だった母の姿にずっと胸を痛めてきたこともあるのかもしれません。
「俺たちは強欲というものにブレーキをかけなくてはならない、ということだ」
これってどういう意味なんだろう。
強欲はキリストの七つの大罪にもあるのですが…宗教的な意味ではないんだろうな。
安全なセックス云々なんてのも、あの過激な歌詞と正反対のイメージだよなあ。
性に関しては保守的な方のようなので、こうした言葉も頷けるんですけどね。
詞は想像でも書けますもん。むしろ実生活を反映しない方がいいのが書けると思うよ。
奔放なイメージで見られることも多いようで。セックス・シンボル的な面もあるし。
ピートは男性的な面も女性的な面も非常に強く出ていて、ものすごく男らしくてものすごく女らしい。
だからつい“そういう目”で見たくなってしまうのだけど。
結局、わたしは何が言いたいのだろう。
またしても着地点を間違えた…というより最初から定めていないからダメなのね…。

Web会議改め、淑女の夜会(爆)を3月2日(金)に予定しております。
別名、ネット女子会(爆爆)。
ひな祭り前日、侍従お誕生日直前、ぴーちゃん一歳目前記念としての開催です(半分うそ)。
ご参加いただける方は、コメント欄あるいはメッセージにてご連絡くださいませ。
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