ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ジャズと散歩とおうちリフォームと

2024年03月09日 | ひとりごと
うちから車で15分ばかりのところにある教会が、ジャズフェスティバルをするというので、大雨の中行ってきた。
前回行った、今から4年前のコンサートでは、海野さんという日本人ジャズピアニストが演奏して、わたしは一瞬で彼の奏でるピアノと音楽の虜になったのだけど、彼は同年9月、地下鉄構内で理不尽な暴力を受け、ピアノを弾くことができなくなった。
この記事は事故当時の2020年に書かれたものだ。
海野氏は再起不能とまで言われていた状況から復活し、今はまたニューヨークに戻って演奏活動を再開している。

彼のWikiぺディアからの引用:海野雅威 - Wikipedia
2020年9月27日、コロナ禍のニューヨークにてアジア人ということだけで襲われ、重傷を負う。
緊急手術後に一時帰国し、約半年に及ぶ治療を行った後、アーティスト活動を再開すべく、2021年に再度ニューヨークへ渡航。
8月にブルーノートNYにジョン・ピザレリ・トリオで演奏に復帰、秋には日本でも「奇跡の復活ツアー」を敢行し、ブルーノート東京で千秋楽を迎える。
差別や暴力に屈せず、混沌とした時代だからこそ音楽の力を信じる姿は、NHKスペシャル『素晴らしき世界〜分断と闘ったジャズの聖地〜』でも取り上げられ、大きな反響が寄せられる。
ー中略ー
また、惜しまれつつ世を去った日本の名ジャズ・ピアニスト世良譲、ジャズ・ピアノの巨匠ハンク・ジョーンズ、テナー・サックス&フルートの巨匠フランク・ウェスが、晩年最も期待を寄せていたピアニストでもあり、CDでの共演の他、音楽のみならず人生の師として交流を深めていた。
2010年5月16日、世界中のジャズファンに愛され最後まで音楽への情熱を燃やし続けたハンク・ジョーンズが91年間の人生に幕を閉じる時、その最期に立ち会う。
師の志を受け継ぎ、自己の音楽を追求することで本分を全うしていきたいと強く感じているという。

なんともすごい人なのである。

さて、今回の演奏者はSullivan Joseph Fortier Jr.という名のジャズピアノ&ハモンドオルガン奏者で、初っ端から飛ばす飛ばす!
このビデオは単にわたしがみなさんに、彼がどんな感じでオルガンを弾くかをお見せしたくて選んだもので、コンサートとは全く関係がない。
が、彼はこんなふうにいかにも楽しく、軽やかに、歌心いっぱいの音楽を聴かせてくれた。
普段はちょっと苦手であまり好まないぶっ飛びのジャズなのだけど、ドラムもベースもノリノリで、オルガンの音色の微妙な変化やリズムに引っ張られているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。
久々の至福の時である。

この教会はなんかほんわかとしていて心地良い。



こんな舞台の端っこで演奏するっぽい。

わたしはたまたま彼ら側の端っこに座ったので見えたけど(ドラムは全く見えない)、他の人たちはほとんど会場の左右横に設置されたスクリーンを見ながら聴いていた。


今年の初春は雨だらけ。
来る日も来る日も雨が降るので、たまに晴れると気分はハンパなく上昇する。

以前から夫は、健康管理の進捗状況がわかるように設計された、Fitbitという名のスマートウォッチが示す睡眠の質や歩数の記録をわたしに見せていたのだが、それをわたしも使うことになった。
ごく最近のことである。
わたしはそんな小道具を使わない限り、ダラダラと夜更かししたり寝坊したりするタチなので、自制のために使うことにした…情けないけど…。
それで、使い始めて分かったのだが、そんなふうに超適当で、いまだにベッドに入る時間が夜中の12時近くになってしまうわたしなのに、眠りの質が健康オタクの夫より遥かに良い。
それから笑えることに、腕時計なので手を動かすと歩数として換算されてしまうらしく、レッスンでハノンを生徒たちと一緒に弾いているだけでガンガン数字が加算されて、あっという間に5千歩近くになる。
わたしは座ってるんですが…いいんですかねfitbitさん。

でも、晴れた日ぐらいは真っ正直な歩数を稼ぎに散歩に行こうではないか、というわけで、先日近所の公園に行ってきた。
入り口近くにある老木の木肌が、べろり剥がれ落ちていた。


ここから落ちたみたいだ。なんとも痛々しい。

枝もたくさん落ちていた。


晴れていると何でもかんでもいい感じに見える。


カモさんたちもご機嫌だった。

ここはいつ来ても人が少ない。


今日はうちの前庭と横庭、それから裏庭のあれやこれやを整えてくれる庭師さんに来てもらって、こちらの要望を伝えた。
昨日は屋根と雨樋、それから裏庭に降りる階段の補修をしてくれるリフォームの専門家さんに来てもらって、こちらの要望を伝えつつ、予算を出してもらうようお願いした。
複数の業者に同じ話をして予算を出してもらい、彼らの評判と予算の高低のバランスを吟味して、どの人にお願いするかを決めなければならない。



この家に引っ越してきて丸15年。
そもそもこの家は『as is』という条件(あるがまま、何のリフォームもされていないまま)で買ったので、最初から修理の宝庫のような家だったのだけど、この15年間でやれたことは床の研磨とコーティング、そして2階の浴室のリフォーム、そして放っておくと危険なまでに劣化した玄関口の階段のみ。
そして今年、屋根がいよいよこのままだとヤバいということが判明し、そういや雨樋も、いやいや雑木の枝ぶりもと、どんどんと課題が押し寄せてきて、この際思い切って全部やってしまうことにした。
勢いで念願の、いや、悲願だった1階のシャワー室のリフォームもやる。

2階の浴室のリフォームでは、業者のトンデモな失態続きに疲弊して、もう2度とこちらの業者とは関わりたくないと地団駄踏んだことをふと思い出し、胸の奥にモヤモヤとした不安雲がわいてきたりするのだけど、わたしたちもそれなりに経験を積んで学んだわけで、とにかく無事に全てが終わることを祈るばかりの今日この頃である。

国民の65%は、キックバック裏金議員は 「議員辞職すべき」と思っている!

2024年02月27日 | 日本とわたし
政治家の裏金問題、ひっどいですよね。
ずっと追いかけてますが、なんだかまた有耶無耶になりそうで…。
選挙区別の自民党裏金リストを作ってくださった方がいます。拡散します!

政治家の顔写真をタップすると、奴らがまんまと手に入れた裏金の総額が出てきます。

経営者も従業員も、それ以外のいろんな立場の人たちも、働いても働いても一向に楽にならないという感じをずっと持ち続けているのではありませんか?

税金だって延々とむしり取られてきて、

悪党らは開催する費用を1日に換算すると3億円になる、とてつもなく高額な国会の場で怠け放題やりたい放題。

そりゃ思いますよ、当たり前です。

ほとぼりが早く冷めてくれないかと待っている悪党の代表格。

献金と裏金まみれの政党に政治なんか任せられなと思います。

いろいろなことをほっこりと

2024年02月24日 | ひとりごと
日本は寒暖の差が激しいと聞いている。
こちらはただひたすらに寒さが厳しい。
早く零下ではなく零上になって欲しいものである。
これは表に立てかけてあるハシゴについた氷柱。

ドライブウェイには、怪しい足跡が点々と…。




ついさっき、去年のクリスマスのことをまるで書き残して無かったことに気がついた。
クリスマスは例年通り、夫の姉の家で行われた。


クリスマスディナーでお腹が膨れたら運動運動!
長男くん&奥さんのTちゃん VS 次男くん&ガールフレンドのEちゃん。
4人は本当に仲が良くて、観ているだけでめっちゃ幸せ💜

このクリスマスには久々に、次男くんとガールフレンドのEちゃんもシアトルからやって来て、うちの一家6人が揃った嬉しいクリスマスだった。
次男くんは、もう10年ほども前にぶっ壊れてしまったTOTOのウォシュレットを、不便ながらも使い続けていた我々に、新しい便座をプレゼントしてくれた。
彼がTOTOに問い合わせたところ、うちの型はもう廃番になっていて、面倒なことにサイズが一般のものよりかなり小さい。
なのでTOTO以外の製品の中からサイズが合うものを見つけるのにかなり難儀したようだ。

プレゼントを取り付けてくれる超親切な若者カップル。


月に2回?時には1回ぐらいの割合で行く日本食マーケットのミツワでは、去年あたりからこんなコーナーが出現した。
週末はもう大賑わいである。子どもは見当たらない。
中を覗いてみると、カードゲームらしきものをしているっぽいのだけど…何が何だかよくわからない。



家から歩いて5分強のところに、ミドルイースタンのレストランが開店した。
前菜だけでお腹が満腹になりそう。
上にあるのが牛のレバーなのだけど、今まで食べたレバー料理の中で一番美味しい。


わたしが日本とここを行ったり来たりしている間に、すっかり拗ねてしまった海。
まあ、この仔は普段からこんな目つきなんだけども…。


バタバタしつつも、とりあえずジャムなど作ったりもしているわけで、けれどもやっぱり気が急いているからか、煮込みが足りなくていいジャムにならなかった😭


虫ではなくて、うちの息子たちの方が飛んで逃げていくヤツが、いきなり目の前の壁をサササっと降りてきた…あだ名はゲジチュウ。


最近マイブームの飲むお出汁。
毎日朝一番に、アオサかとろろ昆布、そして刻みネギを足して飲んでいる。
ありがとうK子!ありがとう田口商店!

日本でいただいた旨いもんたち

2024年02月23日 | ひとりごと
まずは前回の記事にも載せたおせち料理。
義父は長い間、まともに正月を祝えない職業に就いていたので、義父と母がおせち料理をゆっくり食べるようになったのはつい最近のことなのだ。
なのでなんとなくぎこちない雰囲気が漂っていて、それがなんとも可笑しかった。


やっぽんぽんの宿でいただいた会席料理の数々。







そして朝食。

ご多分に洩れず、ここも現状維持が難しいからか、バイキングの料理の種類が減っていて、それがちょっと寂しかったけれど、盛り付けは美しく、味付けはいつも通り素晴らしい。
客の身勝手な願いだけど、どうか頑張って乗り越えてほしいと思う。


姉思いの弟が、ねえちゃんに食べさせてやろうと用意してくれたカニ尽くし。

出刃でガツンガツンと切り取っていく。

網で焼いたカニ身の甘いこと甘いこと。

蟹味噌のグラタン(だったっけか?)の表面をバーナーで焼いて食べさせてくれた。


番外編:日本に行くと必ず手にいれる干し柿。
子どもの頃は嫌いだったのに、なんでこんなに好きになったんだろう?

弟の友だちが焼いてくれた広島焼き。絶品だった。
つまみの料理の数々もめっちゃ美味しかったのだけど、写真に撮るのをすっかり忘れた。


ほんの数時間でもと寄らせてもらったM子先生宅でいただいた美味しいランチ。



東京での最後の夜に、ちょっと奮発して入ったイタリアンのお店で。


残念ながらどれも塩気が多すぎて、わたしの口には合わなかったが、最後に出てきたこれでおあいこになった。


アメリカに戻る日のお昼に、浅草界隈を散歩していたら、パンケーキ屋さんが目に止まった。
日本に居る間は、グルテンも白砂糖もカフェインも解禁にして、暴飲暴食にひた走ってしまうのだけど、これがトドメだとばかりにお店に入った。
もうすでに胃も腸も荒れに荒れていて、お腹周りはどこから見ても妊娠8ヶ月半の妊婦オババに成り果てている。
グルテンフリーになってから、なぜだか小麦粉入りの粉ものを食べると、お腹がプーっと見る間に膨らむ。
まるでプーっという音が聞こえてくるほどの素早さで、いつもそのことに驚かされる。
でもこれはやっぱり見逃せない。
いただきます!



2度目の帰省では、新大阪駅から伯母の家までの車中で、弟が買ってくれた551蓬莱の肉まんとシューマイをいただいた。
めっちゃ懐かしくて、相変わらず美味しかった。

伯母の家では、伯母の一人娘のKちゃんが、生協で注文した冷凍食品やレトルトを使って、夕飯を振る舞ってくれた。
彼女の手が痛々しいほどに荒れていたので、彼女の水仕事の量をできるだけ減らそうと、わたしも料理や食器洗いをしたのだけど、やっぱり冷蔵庫や冷凍庫の管理はその家の人がする方がうまくいく。
三重生協の冷凍おかず、どれもすご〜く美味しくて食べ応えがあった。

伯母の家ではWi-Fiが使えなかったので、Wi-Fiが無くては連絡手段が無くなってしまうわたしは、初めて電子SIMカードなるものを購入した。
だけど、そのSIMをインストールするにはWi-Fiが必要で、けっきょく親友のT夫妻宅やピアノの師匠宅に押しかけて、その際にも小腹に入れるご馳走をいただいた。
にんじんしりしりにネギてんこ盛りのラーメン、看護の合間のほんわかとした雰囲気と旨いもん、本当にありがとう!
身も心も慰められました。

日本に行くと必ず2〜3キロ体重が増え、こちらに戻ってから元に戻すのに苦労する。
ただ、グルテンフリーに戻した途端、お腹周りだけはシュルシュルと縮んでくる。
ミシュランのタイヤマンに変身していた、米国在住の小太りの初老女に戻るわけだが、今更ながら粉もんには目が無かった時の腹は一体どうだったんだろうと不思議に思う。
こちらに戻ってから今日で10日、今日の夕飯は昨日と同じ、醤油なしで作ったおでんと、黒豆入りのオーガニック玄米と餅米のミックスご飯。
これもまたよしなのである。

2023年の終わりから2024年の初めにあったこと

2024年02月23日 | 日本とわたし
2024年が明けてもう3ヶ月が経とうとしていることに呆然としている。
去年の末の29日にこちらを発って日本に行った。
空港はまだクリスマス気分を残していて、だからなのか飛行機がいつまで経っても出発しない。

配膳機能が故障しているので待って欲しいとアナウンスがあって、それから45分ほど後に、今度は電気系統に故障が見つかったので待って欲しいとアナウンスがあって、結局2時間半ほど機内で待たされた。
ようやく羽田に到着したが、当然何もかもが遅れており、乗り継ぎをしなければならない乗客たちは本当に困り果てていた。

こんなこともあろうかと、念の為に東京のホテルに予約を入れていたので、地下鉄に乗る。
車掌さんの仕事に興味津々の小学生の男の子があまりに可愛くて、思わず盗撮😅。

翌日はもう31日の大晦日で、母と義父が注文したおせち料理を見せてもらった。
わたしが作るおせちとは段違いの豪華さである。

新年のお祝いをして、居間でくつろいでいると、いきなり母たちの携帯電話が恐ろしく大きな音を発し始めた。
何事かと驚いて携帯を確認しようと椅子から立ち上がった時、足元がぐらっとした。
え?地震?
そうつぶやいて数秒後、家全体が横にぐらぐらと揺れ出した。
長い。そして揺れが大きい。
平屋建ての一軒家だが、揺れるごとに軋む音が聞こえてきて、いよいよ不安は頂点に。
そしてふっと揺れが止まった頃に、今度はテレビから大音響の警報が流れてきた。


アナウンサーなのだろうけれど、女性が大声で、極めて感情的に、「逃げてください!今すぐ逃げて!」と叫んでいる。
津波が地震の発生とともに起こるようなことを言っていて、聞いているだけで胸が苦しくなってくる。
よりにもよってなぜ元旦に、とぶつぶつと繰り返し言う母と義父は、画面から目を離せなくなっている。

今はもう、あれからもう3ヶ月近く経っていて、被害状況や復興の現状が明らかになっている。
被害に遭われた方々、命や生活を奪われた方々に、心からのお見舞いとお悔やみを申し上げる。

地震から2日後の1月3日に、高校の同窓会に出席した。

長らくの間、行方不明者となっていたわたしにとっては、実に50年ぶりの参加だった。
もともと人の名前と顔を覚えるのが大の苦手なので、出席して大丈夫だろうかと悩んでいたが、わたしのことをよく覚えていてくれる人たちがちらほらといて、懐かしい話に花が咲いた。

この帰省は、母のリハビリを促すためと、この同窓会の出席のためだったのだけど、やはり母の一番好きなこと(みんなでやっぽんぽんの宿に行く)も実行することになった。
母はいよいよ歩きづらくなっていて、だからこれまでなら無理矢理にでも連れて行けていた温泉の湯に浸かることもなく、独りで部屋で待つことを選んだ。
ここの湯に浸かると肌がぬるぬるになり、体の芯まで温まる。
彼女はそれがとても気に入っていて、だからなんとしても浸からせてやりたかった。
他に何もやることが無いので、ボードゲームを予め購入しておいて、それをホテルに持ち込んだのだけど、案の定母はそんなものは全然やりたくないと言う。
ならばカラオケしかないではないか。
というわけで、母と義父、従兄弟のKちゃん、弟夫婦とわたしの5人で、ホテルのカラオケルームを2時間借りた。
弟の奥さんのFちゃんが、なんとも楽しい人で、お酒が入るといちびりに拍車がかかる義父と一緒に大いに盛り上げてくれたので、母もよく笑い、とても楽しい時間を過ごせた。

部屋からの眺めの美しいこと。

が、一夜明けてこんなことに😱


わたしは大阪在住の弟の車に乗せてもらって大阪に行き、そこから羽田経由でアメリカに戻ることになっていたのだが、鈴鹿峠越えをして戻らねばならない母たちが心配で、天気予報から目が離せなかった。
幸いこれほどの積雪は山の上にある宿の周辺だけで、下山するとまるで雪など降らなかったような様子で、すっかり気が抜けてしまった。

大阪ではえべっさんが、コロナ禍を経て復活していた。
わたしはそのことを全く知らなかったのだけど、弟が連れて行ってくれた。

子どもの頃に連れて行ってもらってたえべっさんは、もっと賑やかで人出が多かったような気がすると言うと、まだ今日から始まったばっかりやし、昼間やし、屋台もいつもより少ないしな、と弟が言う。

お賽銭箱にも5分ほど待ったら到着できた。

「商売繁盛で笹持って来い!」

大阪人の弟が、見事な値切り買いのテクニックを見せてくれて感動した。😆

懐かしい屋台の数々。





夜はお馴染み道頓堀のグリコ見物。


なんかオシャレになってないか?

コテコテの大阪デコレーション。








法善寺横丁はやっぱり夜がいっちゃんええ雰囲気やね。



水かけ不動さん。
いっぺん剥がされてしまったコケも随分復活していた。

水かけのためのバケツの水を、次の人たちのために補充する良き大阪市民。

そして、最後の夜を一人でぼーっと過ごしに浅草に戻った。

SNSやガイドブックのおかげ(せい)で、外国人観光客が長蛇の列を作っているのがあちこちで見受けられる。

ざ、浅草〜!

どうしても写真を撮りたくなってしまうバンダイ社。


天気がいいので散歩した。



浅草寺の裏側も散策。



まだまだお正月気分が残っている。


表側。

裏側。


そしてこちらに戻り、14時間のズレを2週間過ごした時差ボケと闘いながら3週間経って、ようやく本調子に戻ってきたなと自覚し始めた時に、弟からメッセージが送られてきた。

「おばちゃんが相当危ないらしい」

こないだ日本に行った時、ものすごく胸騒ぎがして、会いに行こうかどうか散々悩んだ末に、時間がないからと会いに行かなかったことを猛烈に後悔した。
いやだ。絶対にいやだ。このまま永遠に別れてしまうわけにはいかない。
夫に話すと、当然のことだと言わんばかりに、すぐに行けと言う。
去年の11月の中旬に発表会、下旬に感謝祭があり、年末年始にかけてクリスマスだのわたしの帰省だのでレッスンの予定が狂いに狂い、やっと元のペースに戻ってきたばかりだったので、生徒たちにも申し訳がない。
けれどもわたしは、伯母に何一つ恩返しができていない。
そのことがずっと、本当にずっと気がかりだった。
なのに伯母には、この世に生きる時間があまり残されていない。
それは同時に、わたしが伯母に恩返しができる時間も残されていないことなのだ。

日本に戻ることにした。
急な予約だったので、一番早く着きそうなカナダエアで飛んだ。

入国手続きはかなりスムーズになっていた。

新幹線で新大阪まで行き、弟の車に乗せてもらって伯母の家に着いた。
弟もわたし同様、伯母にはとても恩を感じていて、「親以上にお世話になった。いやな思いや面倒はかけたけど、その逆は全くなかった」としみじみと言っていた。
本当にそういう人だった。
わたしの父は伯母に、言葉では言い尽くせないほどの迷惑をかけたから、彼女はわたしたちを見るのもいやだという時期があったと思う。
けれども、わたしたちがそれぞれに行き先を失ったときには引き取ってくれて、衣食住の世話をしてくれた。
女で一つで一人娘を育てていて、決して楽な暮らしではなかったはずなのに。
わたしがいよいよ余命1年と宣告されたときは、心の拠り所となる場所を教えてくれて、余命宣告を覆すまでのわたしを見守ってくれた。
家事のイロハを全く知らずに田舎に嫁いだわたしが、第一日目から味噌汁の作り方を教えてくれと、泣きそうな声で電話をかけてきたと、思い出してはからかって笑っていた。
わたしが二人の幼い息子たちを連れて婚家を出て、年若いアメリカ人の男性と一緒に暮らしていることを知ったとき、親族の中でただ一人、「よう決心した、怖かったし辛かったやろ。よう頑張ったな、えらかったな」と言って微笑んでくれた。
だからわたしには返しきれない恩がある。
そのことを伝えに、そして何万回ものありがとうを言いに、わたしは伯母の家に行った。
伯母はもう話せないし目もあまりあけなくなっていた。
けれどもはじめの3日間ぐらいは、こちらの言うことに頷いてくれることもたまにあった。
まうみが来たよ、お礼とお別れを言いに来たよ。
伯母とはそれから8日半の間、ずっと一緒に時間を過ごした。
夜は彼女のすぐ横で寝て、手のひらで彼女の手や腕やお腹や肩に触っていた。
息遣いが激しくなったり、静かすぎたりすると、もう心配でたまらなくなって、伯母の口元に耳を近づけたり、脈を測ったりしていたので、夜はほとんど寝ているような起きているような感じだった。
わたしにとっての最後の夜はいよいよ息が弱ってきて、指先はずっと伯母の脈を測っていた。
でも、伯母は本当にすごい人で、丸14日間、一粒の米も一滴の水も摂らずに、それでもおしっこをおむつの中に出し続け、脈拍も血圧も血中酸素濃度も良い数値を保ち続け、彼女を慕う姪や甥が全員見舞うことができるよう生き続けた。

わたしがこちらに戻った翌日の14日に時差でいうと家に到着した頃に、伯母は眠るように息を引き取ったのだそうだ。
今回の旅の終わりに、新幹線から見えた富士山と、飛行機から見えたトロントの夜景があまりに美しかったのは、きっと伯母からのプレゼントだったのだと思う。
おばちゃん、ありがとう。ほんまにありがとう。


追記。
伯母は1月3日の夜、トイレの前でドンと尻餅をつき、背骨を圧迫骨折した。
それからは寝たきりになり、治療を伴わない入院はできないからと在宅看護を余儀なくされ、6日間の24時間点滴を受けるも苦しさが増し、看護から看取りに切り替えられた。
2月1日から始まった看取り看護中、ヘルパーさんは毎日朝夕2回、看護師さんは一回来てくれて、オムツの替えはもちろん、容態観察、体の清浄などの世話をきめ細やかにしてくれた。
その方たちの親身で丁寧な看護や介護に驚いたり感動したりするわたしに、一人娘のKちゃんは、みんなお母さんが大好きなんよ、としみじみと話してくれた。
伯母の口癖は「ありがとう」で、何かというと「ありがとうありがとう」と言って微笑んでいた。
ヘルパーさんの中には、週末も来て世話をしてくれる人もいて、彼女はいつも「まるで家族みたいに思えて放っておけない」と言っていた。
伯母は家族や親類のみならず、関わった人たちみんなに愛されていたのだなあと思う。

スポンっとな😭

2023年12月28日 | ひとりごと
海の様子がおかしい。
クリスマスの4日前ぐらいから、家の中に居るには居るが姿を見せない。
食欲も無い。
その状況は、前に一度大怪我をした時とよく似ている。
クリスマスイブの前日に食欲が戻った。
でも相変わらず元気が無いし、そんな海を空が追っかけたり意地悪をしたりするので、すごく腹が立つ。
けれども我々はクリスマスを祝いに泊まりでペンシルバニアに行かなければならなかったので、お隣の友人に食事の世話だけをお願いして家を離れた。
戻ってきた25日の夜に、彼の尻尾の付け根に酷い裂傷があることがわかった。
尻尾はダランとして動かせないようだ。
傷が深くて神経をやられてしまっているのかもしれない。
様子を見ようとして近づくと逃げてしまうので、ちゃんと調べることができない。
彼はこの傷をずっと自分で舐めてきたのだろう。
獣医科病院に予約を入れた。

さて、前歯のおはなし。
本当は28日の午後からだったインプラント最終治療(作ってもらったクラウンを支柱に装着する)日が、27日の今日に変更になった。
最近、間近になって急に治療日の変更をお願いされることが多いのだが、明後日には日本に向けて発つ身なので、ギリギリのギリギリ(28日)よりギリギリ(27日)の方がよかろうと思って行くことにした。
この10ヶ月もの間、痛い治療(痛みはほぼ麻酔時なのだが奥歯の10倍は痛い)に耐え、歯抜けの不便さに耐え、上唇の不具合に耐えながらこの日をずっと待ってきたのだ。
それがやっと今日で終わる。

クリスマスを祝いにシアトルからやってきた次男くんとEちゃんが、最後のランチに誘ってくれたので、歯の治療前ではあるが、一番のお気に入りのコリアンバーベキューのお店に行き、三人分の焼肉セットを頼んで食べた。
ここ↓、もしニュージャージー州にお住まいの方がいらっしゃったら超オススメです!

お腹もいっぱいになり、会えて嬉しかった彼らと別れ、いざ出発!

歯を差し込むだけなので、麻酔も必要がなく、研究所から送られてきたクラウンを見せてもらって、じゃあ入れましょうという時になって、
「え?」
というドクターの声が聞こえた。
あ、これ、一番聞きたくない声かも…と思った瞬間、耳の後ろから背中にかけて、ゾワゾワ虫が這い始めた。
原因は不明だが、インプラントの支柱がいきなりスポンと抜け、結局これまでの治療が全て水の泡になってしまった瞬間だった。
骨移植を10ヶ月前にやって、それからずっとレントゲンやCTで調べながら様子を見てきたのに、そしてその様子は完璧で何の問題も無さそうだったのに、なぜか骨が育っておらず、支柱を支えるに至らなかったのだそうな。
「こんな症例はものすごく珍しいのだけど、全く無いことも無いのです」
「…」
「残念ながら、あなたはその、ものすごく珍しい例の一人であるということです」
「…」
「で、もう一度初めからやり直してもいいけど、また同じ結果になる可能性がゼロではない。どうしますか?」

うわぁ〜、いやもう、これ、どうよ、まうみってる(通子師匠の造語)にも程があるやん!
強烈なガッカリ感に浸る間もなく、ブリッジに切り替えるかどうかの判断を迫られて、わたしは思わず瀕死のカバのように唸る。
でも、でも、明後日の朝には飛行機に乗って日本に行くわけだし、もう一回挑戦したところでまたスポンとなる可能性があるわけだし、ううう、ブリッジにしてくださいっ。

ということで、これまでの治療にかかった時間とお金はパーになった。
けれども、この超親切な歯科医院はまた、ブリッジ治療にかかる費用(インプラントよりも1500ドル高い)を払わなくていいと言ってくれて、ありがたくそのご厚意を受け取らせてもらうことにした。
急遽、再び骨移植の手術をし、失敗したインプラントの両側の歯(一つは健康な歯、もう一つは30年前の差し歯)を半分ぐらいまで削り、とりあえず帰省用の臨時ブリッジを入れてもらった。
合計2時間半の、レントゲンを撮っては削り、また撮っては削り、途中で麻酔の追加をし、またまためっちゃ痛い(麻酔が特に)治療となった。
骨移植はもちろん、何針も歯茎を縫ったわけで、こんなんで飛行機乗ってもええんか?って思ったけど、今となっては元々の予約日が明日だったのが向こうの都合で今日に変わったのは、せめてもの幸いだったのかも。
とりあえず見た目だけ歯は揃ったので、話したり笑ったりするのにいちいち気をつけなくてもよくなったけど、柑橘系や固いもの、辛いものは食べてはいけないし、噛むのは奥歯のみ、というのを1ヶ月ほど続けなければならない。
もちろん餅とお酒は以ての外で、久しぶりの日本でのお正月だというのに楽しみが半減する。

なんてこった…とうなだれてる場合ではない。
明日しかないのだから、全く何もし始めてもいないパッキングをしなければならない。
その前にまず、めちゃくちゃ嫌がるだろう海をケージに入れ、獣医科病院に連れて行かなければならない。

というわけで、バタバタな準備日になりそうだけど、何はともあれとりあえず行かせてもらえることに感謝しようと思う。

前歯のおはなし

2023年12月17日 | 日本とわたし
散歩道に可愛らしい葉っぱが落ちていた。

先週の水曜日に、前歯のクラウンの色合わせをしてもらいに、歯科医から教えてもらったラボラトリーに行った。
全面ガラス張りの広々とした部屋に通され、待つように言われたのだけど、落ち着かないったらない。
棚の中や机の上にはいろんな歯の、いろんな色のサンプルが置かれていて、これだけたくさんあれば、わたしに合う色を見つけることができるだろうと思うほどの種類の多さだ。
「お待たせしました」と言って入ってきた男性はアジア系の人で、多分韓国人なのだろうと思って見ていたら、いきなり「あなたは韓国人ですか?」と聞かれた。
「かなりの確率でそう聞かれるのですが、わたしは日本人です」と韓国語で言うと、「え、かなり話せるじゃないですか」と言われ、「勉強はしていますが、この応え文句を特化して覚えてるだけなので、それほど話せるわけではありません」と英語で答えたら笑ってた。

手鏡を持ちながらの色合わせが始まった。
サンプルの色合いの違いがあまりに微妙なので、しまいにはどれがいいのかわからなくなってしまった。
こういう場合は専門家に任せようと思い、彼の意見を聞いたところ、30年以上も前に何の相談もなくいきなりはめられてしまった上の前歯4本のクラウン(今は一本抜けて3本になっている)の色と、わたしの自前の歯の色がかなり違うので、あなたはどちらの色に合わせたいのですか?と聞かれた。
そりゃあなた、真正面に並んでるニセモノに合わせるしかないんじゃないですか?
ニセモノ以外の歯ははっきり言ってかなり黄ばんでいて、できることなら漂白したいと思うくらい気になっていて、そんなものに合わせて欲しくないに決まってるじゃないですか。
ということで、ニセモノの色に合わせることになったのだが、すると彼はまたこんなことを言い出した。
「あなたのこの3本の差し歯はメタルコアなので、ほら、白さの中にも暗さが漂っているでしょう?」
「たしかに」
「で、今回、あなたの担当医が指示しているのジルコニアなんですよ」
「それがなにか?」
「ジルコニアをメタルコアの歯の横に並べると、暗さが微塵もない明るい白さが目立ってしまうと思うんですね」
「それで?」
「なので、ちゃんと合わせたかったら、ジルコニアではなくて、メタルコアにした方が僕はいいと思うんです」

ううむ…またまた話が変な方向に行きそうな気配ではないか。
いやあ、4本ものメタルコアの前歯を30年以上も抱えてきたのだが、軽度の痺れと違和感はずっと続いているし、金属と接触している部分の歯肉の黒変も年々ひどくなってきた。
今回のやり直しはその中のたった1本なのだけど、もう本当に懲り懲りだと思う治療過程だったので、あとの3本はこのまま、できたら火葬場まで持って行くつもりだ。
なので、やっぱりちょっとくらいの色の違和感があってもいいから、ジルコニアのクラウンにして欲しいとお願いした。
そんなわずかな違いより、ニセモノ4姉妹と他の歯の色の違いの方がダントツに大きいのだから。

選んだサンプルと一緒に何枚ものお口あんぐりの写真を撮り、じゃあこれでよろしくお願いしますと言って立ち上がろうとすると、「あ、もう一つ、お話が」と、今度は写真を撮ってくれていた技師さんに引きとめられた。
「実はですね、あなたの前歯、形がちょっとユニークなんですよ」
「???」
「ほら、見てください、前歯っていうのは普通、角が四角くて尖っているでしょう」と言って、彼の前歯を見せてくれる。
「で、あなたの前歯、というかクラウンなんですが、なぜか全部角が丸いんですね」
「え?」とびっくりして手鏡で見直すと、うんうん、確かに丸い。四角くない。
「なので、今回我々も、その形に合わせて歯を作らなければならないのです」
「はあ…どうもすみません」
「いえいえ、あなたが謝る必要は無いですよ、ははは!まあ、女性なので優しい印象になるかも、ですね」
慰めのつもりで言ってくれてるのだろうか。
いや、もうそれからというもの、その丸さが気になって気になって…。

28日には絶対に間に合うと言ってくれたのは良かったのだけど、その日、実際に入れてみてちゃんと合うのかどうか、歯茎がちゃんと治癒しているのかどうか、そこのところの確信がイマイチ持てない。
いや、でも、歯抜けのまま飛行機に乗ったりお正月を過ごしたり、ましてや50年ぶりの同窓会に参加したりしたくない。
前歯でちゃんと噛んで食べたいし、大口あけて笑いたい。
早寝早起きを心がけ、ちゃんと運動もして頑張るので、神さま、どうかお願いします!

余談:
歯の漂白は、担当の歯科医に相談してみたら断られてしまった。
漂白効果が現れるのは自前の歯のみで、それがニセモノの4本とは似ても似つかない白色になるので、お勧めできないと言う。
仕方がない、あの世に行くまでは目玉焼きコンビネーションで生きていこう。

余談その2:
記事を読んでくれたfacebook友さんたちが、前歯に支障が生じると木管楽器を吹く時に困るよね、とか、発音に支障が出るよね、とか話してくれて、そうそう、そのことを書くのを忘れてたことに気がついた。
そうだった、前歯4本がニセモノになってからは、クラリネットを吹くとすごく不快だったし鈍痛に悩まされた。
そして今回1本が欠けてた10ヶ月の間は、『f』や『th』がある英単語がちゃんと発音できなくて、生徒を教えている間中、気をつけていなくてはならなかった。
あ〜もうほんと、こんな毎日を終わらせたい。

おまけ写真:
夕飯時限定、うちのモデル猫

1年がどんどん短くなる今日この頃

2023年12月09日 | ひとりごと
12月に入り、朝晩が零下まで冷え込み、家々の軒先や前庭にクリスマスのイルミネーションが輝き始めた。
この月の3分の2は一年のうちで一番暗くなり、毎年夫はそのことが気になるようだ。
わたしは逆にちょっぴりワクワクする。
どん底まで落ちたらあとは這い上がるのみ。
ちょっとニュアンスは違うけれども、その時のワクワクと似ている感じがする。

街の通りでは、路上駐車が2時間無料になる。

YMCAの建物の地下にも。

わたしはケチなので、週3日のアクアビクス&スイミングに通うときは、2時間無料の路上駐車を実行すべく最大限の努力をする。
かなり離れていてもとりあえず空いている場所を探すのだけど、真夏と真冬はけっこうきつい。
なのでこの無料期間はとてもありがたい。
もちろん競争率は半端ではないのだけど…。

雨が降り続いた時に目の前に突然現れた巨大ゲジ虫(ゲジチュウ・息子たちが名付けた)。


昨日はインプラント治療の2回目(最後)の手術を受けた。
1回目のそれは、骨まで浸潤していた膿を取り除き、欠けた部分を補修するという手術だったので、時間がかかるわ痛いわで散々だったのだけど、今回は切開と縫合はあったものの30分程度で終わった。
被せ物の型取りをして、さあ帰ろうと思ったら、アシスタントの女性がやって来て、ちょっと話がしたいと言う。
「うちでももちろん被せ物を作ることはできるけれど、あなたの場合は上の前歯なので、色や形を完璧にできる専門の施設にお願いする方がいいと思うのですが」
「専門の施設?」
「そう、うちと提携している施設が何ヶ所かあるので、そこに行ってカスタム仕様の歯を作ってもらうことをお勧めします」
「その費用はどうなるんですか?」
「加算されません」
「それはありがたいです。でも、そこと予約を取らないといけないんですよね?」
「そうですね」
「今わたしにとって1番重要なのは、29日の日本行きまでに治療を完了するっていうことなんですよね」
「わかっています。だからドクターも若干治療の行程を早めたわけですから」
「それって可能なんでしょうかね?」
「うーん…一緒に事務カウンターまで行きましょう」

親切なスタッフさんが施設に電話をかけてくれたのだけど、来週の水曜日しか空いていないと言われ、それだと28日までには無理だとわかり、また診察室に戻る。
じゃあここでやりましょうということになり、歯の色をサンプルで決めていると、さっきとは別のスタッフさんが駆け込んできた。
「なんとかして28日にはこちらに届けるって言ってます!」
マジか!(心の声😅)
というわけで、13日の水曜日に行って、カスタム仕様とやらの被せ物を作ってもらうべく、また1時間ほどの間、あんぐりと口を開けることになった。
そして出発前ギリギリの28日に、その被せ物が歯科医のもとに届き、めでたく前歯が揃うことになるわけなのだが、ドクターとアシスタントはしみじみと、その被せ物がピッタリとあなたの口に収まることを祈るばかりですと言う。
この間約1時間、治療より長い時間を、わたしの極めて個人的な要望で振り回してしまった方たちに、心からの感謝とお詫びを申し上げる。


さて、昨日からうちの猫たちがかなり動揺している。
前々から仲が悪かったハチワレ猫が、うちの裏庭によく現れるようになったかららしい。
ハチワレ猫っていうのはこんな感じの猫で、わたし的には好きなんだけど、空と海は彼とは仲良くなれないみたいで、喧嘩をしては頭やら首筋に傷を増やして帰ってくる(特に海は傷が絶えない)。

その猫が、なんと、ネコ窓に頭を突っ込んで、部屋の中に入って来ようとしているではないか!
部屋の中では空が、外では海が、うぎゃ〜うぎゃ〜と大声で威嚇しているのだが、ハチワレちゃんはものともせず、彼らにも増して大声を張り上げるもんだからうるさいったらない。
それにしても、これまでにも何度か、野良猫やアライグマがネコ窓の外から部屋の中を伺っていることはあったのだけど、窓を頭で押して入ろうとしたことはなかった。
それでわたしもびっくりして、勝手口のドアを開け、コラ〜ッと叫んだのだけど、うっせ〜な〜みたいな顔をしてノロノロと階段を降りて行き、長男くんの愛車の下に潜り込んでしまった。
彼はどう見ても野良猫ではなく、うちのように外遊びも許されているどこかのお家の飼い猫のようだ。

それからというものの、我が家ではこんな感じの空海なのである。




お願いだから入って来ないでね、ハチワレくん。

二度ある失敗は三度ある?!

2023年11月25日 | 日本とわたし
昨日は感謝祭で、マンハッタンのダコタハウスの隣にある夫の両親のアパートメントに集合した。


すでにクリスマス仕様の車を発見🎄!


人はいろんなビルを建てたいのだな。


義父が亡くなって1年と半年が経ち、その間に感謝祭とクリスマス、そして今回の感謝祭を迎えたのだけど、義父が空けた穴の大きさはなかなか小さくならない。


しばらくここに来ていないなあ。

さて今回の失敗は、入れ歯ソケットの紛失である。
3月からこの方、インプラント治療の過程で使っている、あまり付け心地が良くない入れ歯を、ぽっかり穴が空いた前歯の部分に差し込んでいたのだけど、それをとうとう失くした。
なんとなく失くすんじゃないかなあと思っていた。
なぜなら、最近特に、扱いがぞんざいになってきていたからだ。
上顎とソケットの合わせがしっかりと調整されていないからか、はめた後もグラグラするし、舌で押したりするだけで簡単に外れてしまう。
食事時には外さなければならないので、付けたり外したりの繰り返しがかなり鬱陶しくなっていた。
いちいち大きなケースに入れるのも面倒になってきて、コソッと外してはティッシュで無造作に包み、それをポケットに入れたのを忘れて、慌てて探すことも何回もあった。
そろそろやらかすかもな、と思っていたら案の定やらかしてしまった。

マンハッタンからの帰り道、車の中でハッと気がついた。
あ、歯が無い!
口の中にもポケットの中にも鞄の中にも!
それからはアパートメントに残った義母や義姉一家に大迷惑をかけてしまうことになった。
彼らは、ゴミ箱からティッシュのゴミを全て抜き出して、それらを広げては確認したり、カウチの下や周りをくまなく探したり、あり得ないことだけど自分たちの鞄の中を調べてくれたりした。
ゴミ箱に捨てられたティッシュの塊なんて碌なものがないわけで、感謝祭が終わってホッと一息ついている時にそんな作業をさせてしまうようなことになった原因は、全てわたしのうっかりである。
自分の不注意で失くしたのだし、あと2週間もしたら治療の最終段階に入って要らなくなるので、もう探さないでくださいとお願いしたのだけど、そういう物が失くなった時の不便さを考えるとできたら見つけてあげたいと言う。
ああどうしよう、本当にもう十分だし、これ以上迷惑をかけたくないのに。
そこでハッと気がついた。
義姉一家の飼い犬ソニアは、ティッシュで遊ぶのが大好きだったことを。
わたしたちがダイニングテーブルで会食をしている時に、彼女はひとり遊びをしていた。
もしや…でも、もし彼女が遊んでいたとしたら、そしてかじったり飲み込んだりしていたら…また別の心配がムクムクと立ち上がってくる。
その入れ歯ソケットは、土台となっている部分が強化プラスティックで硬く、周囲が薄くて尖っている。
彼女がちゃんと噛み砕いていたらいいけれど、その尖った部分が彼女の内臓を傷つけたらどうしよう…。

いやはやまったく、再びの罪悪感に打ちひしがれている今日この頃なのである😭。
二度あることは三度ある、にならないよう、大晦日まで決して気を抜かないようにしなくては。

ようやく肩の荷が下りました。

2023年11月22日 | 音楽とわたし
先日の生徒の発表会に出られなかった3人の生徒のためのサロンコンサートが昨日終わった。


3人とも週末は都合が悪かったので、3人のうちの2人がレッスンを受ける月曜日の午後に行うことにした。
3人とも今回が初めての発表会だった。
だからよけいに、広い舞台に立たせてあげられなかったことを申し訳なく思った。


先日同様、ソロとデュエットに分けて演奏してもらった。
3人と彼らの家族と輪になって、ピアノのことについて話をした。
練習のことをどう思う?と聞いてみたら、Aちゃんが「わたし練習大好き!」と言う。
うわぁ〜びっくりした。
このAちゃん、実はほんの3ヶ月前まで、うちに来るなり練習をしてこなかった(彼女曰くできなかった)言い訳話を始める子だった。
幼い弟が鍵盤を手のひらでバンバン叩く、おかあさんが仕事でいない、ピアノの部屋が寒すぎる(暑すぎる)、学校の宿題が多すぎる、友だちが遊びに来て時間がない…etc。
彼女は子守りさんがうちまで送り迎えをしてくれているのだけど、その子守りさんはうちに着くや否やスマホいじりに勤しむので、家での様子を聞くこともできない。
同じ曲を同じところで間違えて、前に進めなくなって止まる。音符の名前をどんな方法で教えても覚えようとしない。
う〜ん、本人にやる気が無いのなら、無理に通わせるのはいかがなものかと、親御さんに相談して本人と話し合ってもらったりしたが、本人がやめたくないと言うので仕方がない。
まあまた突然練習に目覚める時が来るかもしれないから待ちましょうと、家族や子守さんに伝えたのが3ヶ月前のこと。
それがどうしたことか、突然ニコニコしながら部屋に入って来て、言い訳話も無しに弾き始めようとするではないか。
わたしはびっくりして、思わず「ちょっとAちゃん、今日は話はないの?」などと聞いてしまうところだった。
彼女はスルスルと、それも楽しそうに弾き始めて、そのまま曲を丸々弾き終えてしまった。
そんなことはそれまで一度も無かったので、わたしは仰天して、「いやあ、いいねいいね〜」と喜んでハイファイブした。
その時の、彼女のちっちゃな手の平とわたしの手の平が作ったパチンという音が、まだ耳の奥に残っている。
それからというもの、彼女は毎週きちんと練習をして、やって来るようになった。
そうか、彼女は今や、練習大好きっ子になっていたのか。
おかあさんが、「この子はなんでも始まりが遅くて、だから誤解されて残念な思いをしたことが何回もあったんです。今回は根気強く待ってもらえたのでよかったです」と話してくれた。

Hさんは20歳で、エジプトからの移民で、大家族の4人兄弟の一番上で、9歳の弟の習い事の送り迎えをしたり、資格を取るために大学の授業を受けながら会社勤めもしているので、それこそ練習するのは本当に大変なのだけど、大学のピアノを借りたりして一所懸命に練習している。
彼女が頑張り屋さんだということは知っていたけど、ここまで忙しく、また大変な思いをして練習をしているとは知らなかった。

10歳のLちゃんは、ものすごく恥ずかしがり屋だけど体操クラブに通っていて、負けん気が強いらしい。
口数が少なく、褒めると照れてうつむいてしまうような子だけど、同じ失敗をしていることを指摘したりすると、涙をポトリと落とすこともある。
悔しかったんだな。
彼女もスロースターターで、頭や体が納得するまでに時間がかかる。
そんなこんなの、普段のレッスン時にはなかなか聞くことができない話をたくさん聞かせてもらった。

わたしからは、先日の発表会同様、ピアノの練習のことについて話をした。
ピアノはレッスンが始まると同時に宿題が出される。
当然、その宿題の練習がもれなく付いてくるので、このことをまず、習い始める前に、本人はもちろん家族も理解していないと続かない。
練習は面倒だし面白くないと思っている人が多いかもしれないが、練習することが当たり前になるとどんどん面白くなってくる。
ほんの少しだけど、何かが良くなってきている感じがするからだ。
あまりにわずかなので気が付かないこともある。
1日に1センチしか進めない、仲間内でも一際歩みが遅いカタツムリ。
1日の終わりに見る景色は朝とさほど変わらなくて、自分が進んだかどうかも怪しいけれど、それでもぼちぼち進み続けていって1ヶ月も経つと30センチも進んでいる。
カタツムリからしたら、30センチも進んだ周りの景色は別世界だ。
練習中には思い通りにいかなくてイライラしたり、進んだと思ったら間違った道だったりしたり、一歩進んで二歩下がるみたいなこともあって落ち込んだり、それはもうバラエティに富んだ毎日が続くわけだけども、それでもなぜか心の底ではワクワクしている。
このワクワクを毎日味わえるようになるとクセになる。
そうなったらもう練習は特別なものではなくて日常になる。
小さな子どもから大きな大人まで、他の誰でもない、自分がやったことで自分を幸せにできるってすごい。
そうやって練習することが当たり前になると、人生のいろんな場面で活きてくる。
なにしろ根気が良くなるし、今は見えなくてもゴールは必ずやってくると信じることができる。

まあ、ピアノに限らず楽器を演奏できるようになるっていいなと思う。
わたしはいろんな理由でピアノが弾けなくなった時期があるのだけど、代わりにクラリネットやマリンバやティンパニーやドラムを練習して、それなりに演奏できるようになった。
それぞれの楽器に独特の面白さがあり、難しさがあり、どれもが音楽に関わる幸せを感じさせてくれる。

枯葉にも音楽がつながっている。

この季節の風物詩、枯れ葉掃除屋さんがあちらこちらに出没する。

近所の大イチョウの木。



すっかり葉が落ちた木と、これからが紅葉本番の木と。