ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『いのちのためのWater Walk』その1

2017年03月09日 | 世界とわたし
水は命。
Water Walk for Life.

日本山妙法寺の尼僧、安田純さんは、1970年代からずっと、アメリカンインディアンによるムーブメントをサポートしてこられた、とてもパワフルな女性です。
その純さんが企画された、Water Walk for Life。
ニュージャージー州の南から北上して川を渡り、インディアンポイント原発までの90マイルを歩くという、祈りの行進です。
期間は3月4日から11日まで。
東北大震災がきっかけとなって、水や大地が汚され、そのために今も大変な思いを抱えながら暮らしておられる方々への祈りも、純さんにはとても大切なものなのです。

今年の1月に沖縄でも祈られた純さん。
大阪で行われたイベントにも出席されたのですが、そこで話された内容を、書き起こしてくださったものがありますので、ここに紹介させていただきます。

Standing Rock について 
~日本山妙法寺 安田純 法尼のお話から~

【7Generations Walk blog】2017年1月24日
http://blog.7gwalk.org/?eid=1262633

昨年2016年の11月19日に、中崎町ホールで行われた、デニス師のイベントのフォローイベント「Dennis Banks Gathering のメッセージを深め繋ていく会」が開かれました。
この会に、偶然に、アメリカから来日中のデニス師と、アメリカンインディアンムーブメントを1970年代から強力にサポートされている、日本山妙法寺の尼僧、安田純さんにご参加いただきまして、スタンディングロックについてのお話などをしていただきました。



そのシーンは動画として公開されています。

https://www.facebook.com/hamachan.peace/videos/1193613857412118/

このお話の内容がとても重要に感じられましたので、内容を書き出しまして、シェアさせていただきたいと思います。

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以下 安田純法尼のお話から書き出しです。



スタンディングロックに続く歴史の紹介

Standing Rock の運動が盛り上がっていますが、そこにいたるまでの歴史の一部をご紹介します。

1978年に、アメリカのサンフランシスコからワシントンDCまでの、ロンゲスト(Longest 一番長い距離の)ウォークがありました。
これは、アメリカ政府が提出した、『インディアン撲滅法案』とも呼ばれる11の法律に反対し、
『水の権利』『森の権利』『信仰の権利』、などなどの権利を守る為に、デニス・バンクス師をはじめ、多くのインディアン達が「歩く」という行為で立ち上がる、「祈りのウォーク」でした。

私の師匠の藤井日達上人に、「インディアンがアメリカの大地を歩いているので、そのお手伝いをして下さい」と言われ、私はそのウォークに参加したのです。

師はまた、こう言いました。

アメリカが平和に変わっていくとしたら、それはインディアンの人達の祈りが中心になるでしょう。
インディアンの祈りの中で、変わっていくでしょう。

しかし、この約500年間、インディアンは弾圧され、虐殺され続けてきました。
ある時は、約1000万人いたといわれるネイティブが、70万人にまで減ってしまった、と言われています。
ですからある意味、力を失っている部分がありますから、太鼓を打って後ろからついていって下さい」


インディアンの精神性の高さに感動した

そして、ウォークに参加した時に、インディアンの祈りの精神性の高さに、感動しました。

「大地をうやまい、大地に帰る。
大地を母として祈り、大地の上に全て繋がっている」


ここに力があると確信し、それ以来ずっと、インディアンの後ろを歩いてきました。

インディアンの人達は、大地を大切にしてきました。
40年前、まだそんなに環境問題が悪化していない時も、ずっと大切にしてきました。
欲望が、私達を滅ぼそうとしています。
インディアンの人達の声を、今こそ聞くべきです。


Stnding Rock について



(スタンディングロックの基本情報はこちらをご覧下さい。http://blog.7gwalk.org/?eid=1262635

ダコタパイプラインの計画では、約1800キロのパイプラインを、2016年の11月15日までに作る予定でした。
その時までに、スタンディングロック周辺の約3kmを除いて、完成している状態でした。
その反対運動を、警察や機動隊、軍隊までも出動してきて、鎮圧しようとしました。
インディアンは、軍や警察の暴力に対して、手を上げたり反撃したりしません。
その姿に、多くのアメリカ人は感動し、多くの若者がこの運動に参加しました。
普段はあまりこのような運動に興味のないような若者も、この運動に興味を持ち、協力したり参加するようになりました。
アメリカでは、このスタンディングロックの運動は、広く有名になっています。

現在、スタンディングロックには、約4000人が滞在していますが、キャンプ地は三つのブロックに分かれています。
そのキャンプを2016年の4月に始め、最初に立ち上がったのは、部族の一人のお母さんでした。
そのお母さんには6人の子供がいますが、一人の息子さんは亡くなっていて、その息子さんのお墓が、パイプラインの建設で破壊されてしまう予定でした。
ですので、そのお母さんが部族の人達と話し合い、お母さんの土地がパイプラインの直ぐ側でしたので、その土地を解放して、反対運動に参加してくれるように呼びかけたのが、このキャンプの始まりとなったのでした。

このキャンプを、「Sacred stone Camp~聖なる石キャンプ~」と名づけています。
しかし、大勢の参加者が現れまして、そのキャンプ地は満員になってしまい、部族の公共の土地を解放してキャンプ地にし、その土地も満員になったので、川の向こう側の部族の公共の土地も開放し、今は三つのキャンプ場がスタンディングロックにあります。
(まうみ注・先月2月1日に、スタンディングロックでの抗議キャンプは撤去されました)


祈りと非暴力で問題を解決しよう



キャンプに新しい参加者が来ると、キャンプの主旨を説明してくれるレクチャーがあります。

「ここは、精神的な祈りのキャンプです。
問題を解決するのは祈り、『祈り』が解決をします。
暴力で解決しようと思う人は、このキャンプから出て行くようにお願いします。
インディアンは朝晩、サンライズセレモニーとサンセットセレモニーをします。
それを理解出来ない方も、このキャンプから出て行くようにお願いします。
軍や警察と向き合う時、彼らは武器を持っています。
怒りを持つ人は、前列には立たないようにお願いします。
全てが繋がっていると思う人、向こう側に立つ人とも繋がっていることを理解し、その人達のことも思える人だけが、前線に立って欲しいと思います」



ウォールストリートのオキュパイ運動との繋がり

スタンディングロックが起こる前、ウォールストリートのオキュパイ運動が起こりました。
1%の富を独占し、世界を支配しようとする人達に対して、99%の民が、自由と平等を求めて運動を起こしたもので、そこでも、何ヶ月も、若者たちがキャンプしました。
その若者達も、スタンディングロックの祈りに触れて、感動しています。


軍と警察の暴力



警察や軍隊は、銃を使って、運動を鎮圧しようとしてきました。
しかし、反対運動をする市民を殺すことはできないので、ゴム製の弾丸を使いました。
また、からしのスプレーを目にかけたりして、目をつぶそうとしたりして、殺しはしないけれども、拷問のような仕打ちを運動者にしてきました。
しかし彼らは、非暴力で、その運動を続けてきました。

11月頃はすでに、気温は-10度~-15度でした。
風が来ると、さらに寒さが増します。
そんな中、祈りの行進をスタンディングロックでしていますと、その人達に対して、警察や軍は放水をしました。
5分もその水をかぶっていたら、凍ってしまいます。
それが原因で、200人近くが病気になりました。
戦争で、市民に使ってはいけないとされている武器も使用され、女の子が大怪我をし、病院で手術して治療しなければならなくなり、大問題になりました。
軍は、その武器の使用を否定しましたが、彼女の傷口の中から、その武器を使用した証拠が見つかっています。
しかし、そのような時にでも、彼らは、祈りでその残虐な行為に応えました。
そのような姿に共感し、中米や南米、カナダ、そしてオキュパイ運動に参加していた若者達も、このムーブメントに参加しています。


退役軍人2000人も、スタンディングロックの運動に参加し、12月5日に、軍部の意志が変化



アメリカ軍部から、2016年の12月5日までに、キャンプの撤去するように勧告されていて、緊張感が高まっていました。
そこで、ナバホ族の退役軍人が、アメリカ中の退役軍人に、スタンディングロックの支援を呼びかけたところ、約2000人の退役軍人が、12月5日に集まりました。
そして彼らは、反対運動をしている側に立ちました。
現役の軍人と退役軍人が、対峙することになってしまいました。
その事実を目にした軍部は、急に態度を急変させて、ダコタパイプラインの建設許可を却下して、今は一度、一応、工事は止まった状態になっています。

しかし、まだ工事関係の機材も、軍の人達も撤収したわけではなく、工事中止と言いながらも、新しい溝を掘る工事をしていたりするそうです。
新しい大統領のトランプ氏は、オイル政策を推進する意志が強いので、また状況が変わる可能性が高く、まだ約4000人の人がキャンプに残っています。(まうみ注・大統領令によって工事は再開されました)
今の季節、ノースダコタの大平原は、気温が-40度から-50度になります。
皆、薪を燃やして暖をとっていますが、ノースダコタは平原なので、薪があまりありません。
そこで、全米の人が協力して、スタンディングロックに薪を運んでいます。


様々な宗教者も、スタンディングロックに協力しています

アメリカには、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの、多くの宗教が混在しています。
その様々な宗教の聖職者の中で、「大地を守ろう」という思いある人達が、約500人集まり、スタンディングロックで活動し、そのうちの約200人が逮捕されました。
そして、その裁判の中で、人権をアピールする、という活動もしている人達もいます。

そのような活動を、真剣に受けとめている人達も、全米に多くいて、そのうねりの中にスタンディングロックがあります。


沖縄の人達との共感



私たちは、一昨日まで沖縄に行き、辺野古や高江を訪問し、現地の人と交流してきました。
沖縄の人達は、スタンディングロックのことを良く知っていました。
沖縄の人達も、アメリカのインディアンも、政府に虐げられてきたからです。
私たちのアメリカからの訪問団30人の内に、黒人やネイティブや平和活動している退役軍人もいて、沖縄の皆さんも、私たちの訪問を喜んでくれました。
スタンディングロックの問題は、スタンディングロックだけの問題ではありません。


それぞれの場所で、スタンディングロックを作っていこう

それぞれの場所で、スタンディングロックのような、精神的な祈りの運動の場をを作っていこう、という運動がひろがってきています。
ニューヨークのマンハッタンから北に約80キロ、ハドソン川沿いのインディアンポイントというところに、原発があります。
その原発のすぐ側にも、オイルのパイプラインを通す計画があるのです。
この計画も、あまりにも危険ということで、地元のインディアンの「ラマポラマぺ族」の人達が、そこでキャンプを始めました。

私たちも、3月11日に、このインディアンポイントに到着する予定で、祈りのウォークをする予定です。
「水が私たちの命」というメッセージを、発信していきたいと願っています。
ニューヨーク州には、シックスネーション(イロコイ連邦)のネイティブの人達がいますので、彼らに、ウォーターセレモニーを、ウォークの最初と最後にしていただく予定で、色々な人達と協力して、このウォークもしていく予定です。

ニューヨーク州、ニュージャージー州でも、地元のスタンディングロックができています。

スタンディングロックはこれから精神的改革の中心になると感じています。

スタンディングロックと共に立ち上がりましょう。



以上 安田純法尼のお話からでした。


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ということで、バタバタとみなさんの寝床と夕飯を用意し、純さんと4人のワーカーさんたちをうちにお迎えしたのが、先週の金曜日、行進開始の前日でした。
いよいよ始まるんだな、という興奮がわたしを厚かましくさせたのか、いつの間にか気がつくと、メモ用紙を手に、純さんにインタビューをしていました。
彼女は世界中どこにでも出かけて行って、祈りの行進を実践する、歩く尼僧です。

1978年に、アメリカ政府が提出した『インディアン撲滅法案』に反対するために行われた、アメリカのサンフランシスコからワシントンD.C.までの約4000キロの行進にも参加された純さん。
『水の権利』『森の権利』『信仰の権利』などの権利を守るため、多くのインディアンたちが『歩く』という行為で立ち上がった、『祈りの行進』でした。



純さんに、その行進に参加するよう勧められた、純さんの師である藤井日達上人は、

アメリカが平和に変わっていくとしたら、それはインディアンの人達の祈りが中心になるでしょう。
インディアンの祈りの中で、変わっていくでしょう。

しかし、この約500年間、インディアンは弾圧され、虐殺され続けてきました。
ある時は、約1000万人いたといわれるネイティブが、70万人にまで減ってしまった、と言われています。
ですからある意味、力を失っている部分がありますから、太鼓を打って後ろからついていって下さい」

とおっしゃったそうです。

アメリカンインディアンの祈りはまず、敵対している、あるいは憎んでも憎みきれないような相手に心を馳せ、その人の和平と健康を祈ることから始まると聞いたことがあります。
経済発展に重きを置き、快適便利な暮らしを電波に乗せて煽り、それこそが人生で必要なことだと疑わない人たちに支持された政府からの、
執拗で過剰な迫害を受け続けながら、それでもなお、その精神性の高さ、広さを保ち続けることは、どれだけ難しかったか。

「大地をうやまい、大地に帰る。大地を母として祈り、大地の上に全て繋がっている」
として、彼らたちは、大地と水を大切にしてきたのです。

その、大地や水を大切にしたいという切なる思いと、非暴力を貫く決然とした態度が、スタンディングロックの祈りとして、徐々に世の中に知れ渡りました。
大きな権力や企業の欲望に、じわじわと時間をかけて滅ぼされようとしているのは、他の誰でもない、わたしたち自身であり、わたしたちの未来であると、気がついた人が増えてきました。

純さんはわたしに、やんちゃだった若い頃のこと、そして、これまで歩いてきた国々で接した市井の人々とのエピソードを、いろいろと話してくださいました。
またいつか、純さんのことを詳しく紹介する機会を作りたいと思っています。お楽しみに。

純さんは、
「祈りを学びたかったら、まず相手のことを学びなさい」
「生きとし生ける、あなたにつながる全ての命に対して祈りなさい」
「自分たちのミッションは、母なる地球をお世話し、守っていくことである」
という、アメリカインディアンの教えを教えてくださいました。

2枚目のメモのあちらこちらには、純さんの思いが短い言葉で書き記されています。
「どうやって人を変えられるか…変えられるのは人ではなく、自分自身」
「お祈りして歩く」
「南無妙法蓮華経を唱える」
「それぞれの人の心の中に仏様があって、すべての命は尊ばれる」
「仏様というのは、聖なる美しい思い。輝く朝日」
その一つ一つが純さんの声に溶け込んで、わたしの心の奥深いところに、流れていきます。
これらの言葉を書き留めている間、わたしの魂が少しずつ、清められていくような気がしました。

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土曜日の早朝、もう純さんのお祈りが始まっていました。


あわわっ!!空と海の爪とぎ台にっ?!






みんなも集まってきて、







ここでちょっと私的なことを少し。
実は、この『南無妙法蓮華経』という題目、これを耳にするたび、わたしの心はざわざわするのです。
もうかれこれ45年ほどの年月が経っているというのに、やれやれ…と思わないこともないのですが。

ティーン時代に突入した頃のことです。
『波乱万丈』が服を着て歩いている、と言われたほどに悲惨だった時期の始まりに、新しく家族として加わってきた人たちが、創価学会の熱心な会員だったのです。
なので、一緒に暮らすようになってから一家離散までの6年間、毎朝毎晩、約40分ほどの間、「なんみょーほーれんげきょー」の連呼を聞かされました。
その人たちと関わりを持ってからはさらに、波乱万丈に磨きがかかり、命からがらという場面を数回経験させられたこともあって、
どうもこの『南無妙法蓮華経』という題目を聞くと、その頃の、思い出したくもないことだらけだった、それこそギリギリで生きていた自分の気持ちとリンクしてしまうのです。
だから、唱えようとすると喉が詰まり、ずっとできないままでいたのでした。
「なんみょー」じゃなくて「なむみょう」なのだからいいじゃないか…なんてヘンテコな言い訳を考えたりしましたが、なかなか声にすることができません。
それがここ最近になって、わたしの周りに、『南無妙法蓮華経』と唱える人がわらわらと現れてきて、そしてその人たちがまたみんな素晴らしい人たちで、
おかげで、わたしの心に深く刺さっていたトゲが、少しずつ溶かされてきているような気がします。


さあ、いよいよ出発!


到着した波止場は、覚悟していた以上に寒かった!




奥に見えるのは、巨大なオイル工場です。


いやもう、ほんっとに寒いったらありません!
昨夜、強風のために運行が遅れ、シカゴ空港で乗り継ぎができなくて、しばらく行方不明になられていた池田上人(左端)も無事到着。(あっこちゃん、何度もの空港通い、お疲れ様でした)


行進の参加者が続々と集まってきました。






沖縄からやって来た若者たち、ゆりかさん、しおんさん、たくま君。この寒さはこたえるだろうなあ…。


右端の青いジャケットを着た女性は、全盲のネリアさん。彼女は心の目で世界をしっかり捉えている、それはそれはパワフルでおおらかな人です。






突然、右方向から、巨大なタンカーがやってきました。


オイル工場にオイルを運ぶタンカーなのですが、これが汚染の源になっているのですから、とても皮肉な感じがしました。




水のセレモニーを行ってくださる人が、予定の時間を30分過ぎても現れません。
風がびゅうびゅう吹き荒れる極寒の気温の中、手分けして車の中で待つ、というのはどうですか?と尋ねると、
「スタンディングロックで闘っている人たちのことを思えば、これぐらいなんてことはない。彼らの犠牲に心を添わせるためにも、外で待ちましょう」と純さん。





セレモニーを行う台場に集合しました。
















沖縄から、ハワイから、遠く離れた州から、たくさんの人が集まりました。

ニュージャージー州はもちろん、全国のパイプラインに反対すると表明する、緑の党で知事候補のデイル氏が、メッセージを伝えました。






それにしても寒い!寒すぎる!しかも、1時間半経ってもまだ到着しない、水の使者さん!
ということで、寒さ凌ぎに歩くことにしました。








おぉ〜!!やっと到着!!


彼女が運んできてくださった聖水を、汚されて弱っている川に注ぎ、よみがえる力を与えようという儀式。
















こういう儀式には、子どもの参加がとても意義があるのだそうです。




川に注ぎます。






さあ行進が始まりました!










ウォーカーズ全員の無事と健康を祈ります。

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