ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「地産地消とは、放射能野菜を喜んで食することから」郡山市某内科クリニックより?!

2013年07月28日 | 日本とわたし
福島県郡山市にある、某内科クリニックのサイト上に、わたしからすると、とんでもないことがつらつらと載せられてた。

普段、できるだけ、こういうことはせんとこうと思いながら記事を書いてるのやけど、
これはもう、どうしても見逃せへんと思た。

そやから、載せます。

読んでみてください。

原子力発電所事故に伴う、放射線被曝の問題=
 



























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2 コメント

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福島の現状・日本の現状 (はなたか爺)
2013-07-29 15:39:19
東京ではなく、福島のクリニックのサイト上に、この記事が載せられている意味を考えてみた。
福島県人が、福島県内で生活しながら、福島県人に対してこの記事を書く。
この福島の状況をどう理解すべきなのか、大変難しい問題だ。
被曝し発症すれば、お客となる患者が増え、クリニックが繁盛するという、非常に狭い穿った意図から、この記事を書いたものではないだろう。
放射線被曝についての知識を持ちながら、自身も福島で生活し被曝しながら、被曝している患者を医療する、この何重もの切ない矛盾の中で、自分自身を肯定できるものを求めて、藁をも掴むような気持ちで、この記事を載せたのではないかというような気がする。
こう思わなければやっていけない、生活していけない、福島の現状が浮かび上がる。
この福島の構図は、そのまま日本全体でも当てはまる、脱原発に舵をきれないまま、再稼働と原発輸出に突き進もうとしている日本の現状そのものだ。
すでに二年半の年月が経ち、二度の国政選挙が行われたが、崩壊原発は処理できず、核汚染にも対処できず、晩発性健康被害が顕在化しつつある情勢下、幻想と無関心の中で、今日の糧を得ることに懸命なのが日本国民なのだろう。
はなたか爺さんへ (まうみ)
2013-07-30 04:19:24
『放射線被曝についての知識を持ちながら、自身も福島で生活し被曝しながら、被曝している患者を医療する、この何重もの切ない矛盾の中で、自分自身を肯定できるものを求めて、藁をも掴むような気持ちで、この記事を載せたのではないか』

自分自身を肯定できるものを求めて、藁をも掴むような気持ちで……。

わたしは、はなたか爺さんのように、思いを馳せることをせずに、まず怒り、という感情が沸いてしまったようです。
そのことについて、自身を諌めている自分がいたような気がします。
だからこその躊躇感だったのかもしれません。

こう思わなければやっていけない。生活していけない。
それは、エートス福島にも共通している心情だと思います。
マスコミや政治家のせいにして、なぜこんなままでなにひとつ変わらないのだと嘆いていても、なにも始まらないし変わらない。
ましてや、嘆くことすら面倒くさいからと、無かったことにしてしまっては、もうおしまいです。

なんとかならないものかと、今日もあれこれ思案しています。

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