ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『津波の子供たち』BBCドキュメント

2012年03月03日 | 日本とわたし
リク君、ソウマ君、フウカちゃん、サキちゃん、マナミちゃん、マツミちゃん、エイイチロウ君、ミノリちゃん、タクヤ君、アヤカちゃん、トシハル君、
たくさん話してくれてありがとう。

あの日から、あなた達のこと、ご家族のこと、東北の方々のことを思わない日は無かったけれど、
それでも、わたしの思いなど、あなた達の思いに比べたら、ほんのちっぽけなものだと痛感しました。
まだ、全く助けられなくてごめんなさい。
力になれていなくてごめんなさい。
もう1年が経ってしまいました。

あなた達の言葉を、できるだけ多くの人達に伝えたくて、一所懸命文字にしました。
何回も、何回も、何回も聞いたので、今じゃおばちゃんは、勝手に、あなた達が友達のように思えてなりません。
元気でいてね。
あなた達ひとりひとりの夢がかなうよう、あなた方の健康と未来を、心の底から祈っています。


Japan's children of the tsunami " BBC program in full. First aired 1st March 2012



リク「なんか普通地震って、うぅってなるだけなんですけど、大地震の時は、自分がもう投げ出された感じになったんですけど、
で、それで、机に潜って、かなりゴオーッてなって、机が動いたから、鳥肌が立つような、うぅっみたいな感じで、なんかとても恐い感じ……。
海って、波見たことありますか?
ザバーンザバーンて、あれが、地震で揺れることによって、その波が増して、ザッバーンってくるのが津波です」

これは、子供達の目を通して語られた、原子力発電所の事故を引き起こした、あの日本の津波のお話です。

リク「あの、思いっきりバチャーンてなるから、自分がまず倒れるんですよ。
それで後から、引きずられて、死んでしまう、みたいな感じなんですよ」

ソウマ「川があって、川の先には海があって、それで川の前に学校があって、学校の後ろには山があった」

金曜日の午後の、ちょうど学校が終わるぐらいの時間に、津波は襲いかかってきた。
それは、日本の東北地域沿岸の、300キロメートルに及ぶ範囲に渡るたくさんの学校を壊した。
すべての学校の生徒達は、高台に避難した。ただ一校を除いて。
大川小学校。
北上川から2.5キロメートルほどの所に位置する。
10才の双子、ソウマとフウカは4年生。
ソウマ「えっと、1年生と2年生が近くて、そこが丸くなっていて、その脇にはプレイルームっていう所があって」
フウカ「わたしの一番好きな所は、中庭で、その理由は、みんなで一輪車をして遊んだり、四ツ葉のクローバーを探したり」
ソウマ「図工室から、体育館通路があって、途中から階段を降りるとプールがある」

津波を引き起こした地震は、3月11日、午後2時46分に発生した。

ソウマ「その日の天気は、雪……降っていた……と思う。寒かった」
フウカ「その時はえっと、マノちゃんの誕生日だったんで、もうひとりのお友達とおめでとうとか驚かしたりして、
わたしの一番仲良かった友達はマノちゃんで、すごく優しくて、明るくて、いつもにこにこしてて」
ソウマ「その後歌を歌うんだけれど、その歌を歌っている途中に地震があって」

地震はマグニチュード9の激しい揺れが、少なくとも2分以上は続いた。

ソウマ「なんか、すごい横にこうなってなんか、ゆっくり揺れてるような感じだった。
速くこう、細かくじゃなくって、あの、こう横だったから、すごくでっかく感じた」
フウカ「で、先生方もずっと廊下を走って、机押さえろ!とか言ってて」

津波は、大川小学校に到達する前に、海岸近くの他の二つの学校を襲いかかっていた。

そのひとつ、河口沿いに建てられた、真正面に海を臨む学校。

「海がすごく引いてて、で、あの、見た事も無いくらい、なんか引いてて、これはちょっと、おっきい津波来るなあと思ってて、結構足が震えて」

この学校の教師は、生徒を高台に安全に避難させた。

「津波が、あの思いっきりザブンで来るんじゃなくて、静かになんかどんどん増えてくる感じで」
「家も海の近くだったから、基礎しか残んなくて、全部流された」

今や津波は、北上川を逆流し、二つ目の学校に迫っていた。

「津波は、えっとすごい速さで上に上がってきました。一、二年生の教室の前の木が呑み込まれていってました」

この学校の教師と生徒は、校舎の屋上に避難した。

「屋上の踊り場近くにも水が押し寄せてきたのを見たので、もう音楽室に居たら、みんな死んじゃうっていうぐらいでしたね。
みんなが思ってるなんだろう、おっきい怪物みたいな感じの、風景だったと思います」

今や津波は、被害に遭った学校の中で一番内陸にある大川小学校に到達しようとしていた。
地震発生後、三十分以上が経っていた。
約100人ぐらいの生徒達がまだ、校庭で待機していた。

フウカ「そん時にずっと車を見ておかあさんが来るかなって、あの、不安で不安でしょうがなくって、
来た瞬間ずっと泣いてて、おかあさんもずっと泣いてて」
ソウマ「もうみんな並んで、あの、先生が前に立って話したりしていた」

教師達は、校舎の裏山にある自然道に登るか、あるいは、橋のたもとの、少し勾配が上がっている所に避難するかを協議していた。

ソウマ「それで学校で、ここでいた方が安全だった言われたけど、おかあさんが、ここにいるより、家に帰った方が高いから安全だって言って」
フウカ「マナちゃんもほんとに近くにいたんで、そのプレゼントはほんとはバスケの帰りに渡すって言うことを言ってたんだけど、渡せなくなったねっていう話をしてて、ごめんねって、いいんだよって言ってて、
もう逢えないっていうのは思ってもいなかったから、なんにも言わないで、バイバイって言うのも言わないで終わってしまった」

半時間の間に、津波は、太平洋沿岸の300キロメートルに及び地域を破壊し、1万9000人もの命を奪った。
津波が収まった頃、大川小学校から160キロメートル南にある福島で、新たな災害が起ころうとしていた。
津波が、福島第一原子力発電所の冷却システムを破壊していたのだった。

ニュースアナウンサー『一号機の原子炉の天井が崩落しているということです』

三基のうちの一基の原子炉の燃料が、メルトダウンを開始した。
電力会社が、なんとか収集しようと躍起になっていた時、そのうちの一基が爆発した。

「おばあちゃんとおかあさんが、なんかあの、爆発したよとか言われたんで、中に入ってました。
で、初めて聞いた時は、なんだろうと思ってました」

初めの爆発があった二日後、二度目の爆発があり、放射能雲を生成するほどに高く吹き上がった。

「原発が水素爆発したって区長さんから言われたので、それであの、一回避難しました。
わたしはオダカで生まれ育ったので、なんかずっとオダカにいたかったんだけどこんなことになるとは思わなかった」

ニュースアナウンサー『半径20キロから外へ避難するよう指示しました。この範囲の中の方は速やかに避難してください』

津波の26時間後、政府は、原子力発電所から半径20キロ以内に住むすべての人々に、避難するよう勧告した。
二日以上かけ、約8万人の住民が家を放棄した。

「放射線を測ったん……次の日に。それでわたしはちょっと高かったから、テントの中でシャワーを浴びて、それで、着てた服はもうぜーんぶ捨てられて、髪の毛もよく洗って、顔もよく洗って、それで靴も全部捨てられたから、なんか……大事な服だったから悔しかった」

政府は、事故が起こった原発から20キロ以内を立ち入り禁止区域にし、それにより町は、外の世界から見ると空っぽになってしまった。

リク「なんかこう、警戒区域っていやだなーみたいな、なんか、警戒区域っていうことがあるということは、危ない所がそこにあるっていうことだから、イヤな気持ちです」

10才のリクは、立ち入り禁止区域となった、冨岡出身の子供。
多分、子供達がこの町に帰れるようになるには、何代もの年月が必要になるだろう。

リク「えっとまず富岡町は、ともかく助け合いのような感じがあったんですよ、僕にとっては。いい町だと思いました。
で、僕の家とかも普通の所なんだけど、宝物のようなものだから、汚染とかされちゃうとちょっとイヤな気持ちになっちゃう。
あとは、シスコーンっていう、美味しいやつが売ってて、牛乳につけて食べるやつなんですけど、あれがすごく美味しくて、食べてました。
あの、前、ちょっと焚き火とか、まだ避難している時に焚き火やってたんですよ。
その時に、おとうさんが、あの、煙が出るじゃないですか、それが、風によって放射線が来たり来なかったりするっつってたんですよ」

放射能汚染は、政府が指定した警戒区域だけに留まらず、福島の広域に渡って拡大した。
原発から半径20キロ以内に、ゴーストタウンが次々とできあがった。
多くの子供達や家族は、それぞれ、日本国内の遠方へと避難していった。
しかし、この、ギリギリのところで強制避難区域から外れている南相馬では、動けずにいる人々がいる。
警戒区域に指定された所の子供達は、この南相馬の学校に越境通学している。

「こないだは、遠くにいる友達のことを思って、毎朝歌ってきました」
歌「友達はいいもんだ」

警戒区域に家がある子供達は、いつまた元の家に戻れるのか、政府の決定を待っている宙ぶらりんの状態。
原子力発電所の事故は、子供達から家を奪っただけではなく、子供なりの世界、そして友達のほとんどを奪ってしまった。
当面の間、子供達はこの、原子炉の爆発が引き起こした暗い(奇妙で新しい)世界に適応していかなければならない。

10才のサキの寝室の窓からは、立ち入り禁止区域の入り口が見える。
サキ「えっと、あそこに見える風景は、赤いのが光っていて、その中に入ると危ない。放射線とかで危ないから、中に入らないようにあそこで守っています。
夜、あそこが光っているから、よく見えるから、その時見て、また帰りたいなとか思ったりしています」

サキの家がある町は、立ち入り禁止の柵により封鎖されている。

サキ「家が借りるのがなくて、まあ、20キロから近いけど、ここしか無かったから、ここ借りた。
心配になるけど、他に行く場所が無いから、まあ我慢するしか無いなと思って、ここにいます」

福島の子供の、放射線被ばくの脅威は、徐々に高まっている。

リク「子供とかって背低いから、あの、地面に近いっていうことだから、つまり、地面に放射線とかっておとうさんが、雨でホットスポットっていうやつがあるっていうので、それで地面に近いから、やっぱそのなんつぅんですかね、
地面についてるのはやはり近いから、近いと強いからそのやつが、それで浴びやすいんじゃないかなと思います。
おとうさんとお風呂に入る時に聞いたんですけど、あの、なんか、被ばくすると癌とかになったり苦しくなるから、被ばくしちゃうともう死んじゃうからダメだよって言われたんですけど」

福島の子供達は全員、外部被ばく量を測定する個人積算線量計(ガラスバッジ)を配布され、それを装着している。

マナミ「これは、多分福島だけだと思うんですけど、ガラスバッジっていって」

マツミ「これ、ここ(首)につけてると、ここの縫い目がちょっとチクチクするから、だから下着とか短い時には、ここにつけるんじゃなくて、ここ(腰)に巻いてつける。
だからお守りみたいなもの」

「いつもと変わんないなーっていう感じです」

アヤカ「いずれみんな見えるかなーってあの、言ってたけど、それはあの、自分では見れなくて、東京とかそういうあの、大学の所に届けられて、あっちの大学の人達が結果出して送ってくれるから、あの、自分達では見れないよっていうふうに話してくれたんで、あの、うちはけっこう興味あった」

校内放送「Good morning everyone. How are you? Please have a nice day」

アヤカ「マスクは、あの、外の放射線とか埃とか吸い込まないようにマスクして、帽子はなんだろ?帽子は、なんか理由はわかんないんだけど、帽子はあの、初めて来た時にかぶってくださいって言われて」

アヤカとクラスの子供達が、歌を歌っている。子供達が体育の授業で元気に運動している。
マスク姿で、下校する子供達。

アヤカ「多分、一号車だと思う」

アヤカは、立ち入り禁止地区からの避難者。
彼女にはもう、戻る場所はどこにも無い。
彼女の家は、津波によって壊された。
彼女の祖父は、津波が襲ってきた時に家の中に居た。

アヤカ「なんか、不思議というか、どこにいたんだろっていう、なんか謎っていうか、わからないので、うちたちも、あの、まあただ悔しいだけです」
アヤカは、手をすり合わせながら、祖父の遺影を前に拝む。

週末になると、あやかは外で遊ぶ事が許される。
ただしその場所は、父親が線量を測り、大丈夫だと判断された所に限られている。

アヤカ「0.7……0.8……」
父親 「およそ0.8ぐらいかな」
アヤカ「0.7、0.7……」
父親 「0.7か、まあ0.8ぐらい」
アヤカ「0.8ね……」
アヤカ達がマイクロシーベルトの値で測っている通りの放射線量は、事故後、以前の線量の15~20倍の高さになった。
アヤカ「放射線の測る機械はあるけど、あんまり、英語で書いてあっからあんまり、最初の方でしか測ってないから、ちょっとうちにはあんまりわかんないけど、あの、1.0マイクロシーベルトは高くて、で、0.3とかはちょっと高いぐらい……」

父親 「あの、これ一応あの、ウクライナ製で、インターネットで買ったんで、オークションっつかあれで、とりあえずスィッチ入れて、まあだいたい1メーターのとこ測って後は、まあ、だいたい1センチか2センチぐらいのとこに当てて」
アヤカ「くるまくるま!くるま!くるま!」
父親 「どれぐらいか確認してから、◯◯(聞き取れず)ようにしてるんですけど」
アヤカ「自分の部屋だけ測ったりする、時々……ふふ」
父親 「水回りとか草木がある所は高いんで、なるべくはこういう、アスファルトとか、その上で遊ぶようにはしてます」
アヤカ「なんか、あっち行くと怒られそう」彼女の視線の向こうには、きれいな公園がある。
アヤカ「木がいっぱいあってあの、放射線高そうだから」
アヤカ「おとうさんに、ここの駐車場で遊べって言われてるから、ここでしか遊んだことない」
父親 「まあそれも、長時間でなくて短時間で、はい。長くても30分程度、ですね」
駐車場でボール蹴りをするあやかちゃんとおとうさん。

『3月13日、日曜日、
今、地震や津波はとっても恐いです。
家族と一緒に、白瀬さんの家に避難しています。
でも、じいちゃんの行方がわかりません。
家族でみんな、恐くて仕方がありません。
放射能も恐いです。
もうこんな暮らしは恐いです』

アヤカ「この本は、あの、日記帳です。
なんか、書きたくて、書きたくて、おとうさんに買ってもらいました。
なんか、悩みを自分で持っているよりなんか、伝えたり書いたりした方がすっきりするから。
話すっていう気持ちがなんか、勇気っつうか、わいてこなかった……家族なんだけど……。
恐かったから……」

福島の子供達が避難して新しい暮らしを始めた所から160キロメートル北の町は、津波の被害が最も酷かった地域で、今もまだ、4000人もの方々が行方不明のままである。
北上川近くにある大川小学校では、10人の教師と74人の生徒が、あの金曜日の午後に亡くなった。

ソウマ「僕のクラスでは17人いたけど、その中でも4人が残っている。多分僕の上で僕を見てると思う。
あの、学校では僕と一緒にみんな勉強してると思う。みんなそばにいてくれてると思う。友達だから離れたくない。
みんないなくなって欲しくない」

津波が襲ってから二ヵ月経ってもまだ、ひとりの教師と、6人の生徒達が行方不明のまま。

ナオミ「コハルの教室はそこの、あそこの所です」
ナオミの娘、12才のコハルは6年生。
ナオミ「ほんとに、自衛隊の方々が、それこそ何百人って入って、片付け方をしてくださった。
でも、こうやってきれいになると、ここにもう子供達は戻ってこないので、きれいになりすぎてることによって、すごく逆に哀しくなったりもします。
娘のなにか、思いがある所に食べ物を置くと、早くみつかるって、そういうふうに言われたので、ロッカーにあげます。
早く見つかりますように。コハルが早く、家に帰ってきますように」

対策本部が救助活動を一旦終了した後、ナオミをはじめとする数人の親達は、自分達の手で捜索を始めた。

ナオミ「まだ見つかってない6人の子供達の親は、自分の手で掘れる所にもう子供達がいないので、重機を使ってしか子供達を探すことができない。
おとうさんは、仕事を辞めて、息子さんを見つける作業を一生懸命やってくれています」

子供を見つけようと懸命になる親達がいる一方で、起こったことに対する説明を探し求めている親がいる。

サヨミ「今だにわかってないです。今だに、どうして、行ってきますって言って出て行った子が、ヘドロまみれで真っ黒になって帰ってきたのか、今だにわからない。今だに信じられない」

大川小学校は、災害に遭ってから4週間後になってやっと、何が起こったのかを説明する会を開いた。
「助かった教師を我々の前に出せないのか?」
「エンドウジュンジ先生より、ただ今から説明をさせていただきます」

津波が襲った時、大川小学校には11人の教師がいた。
その中のたった一人が助かった。
エンドウジュンジ。
エンドウ「すみません、助けられなくって、本当に申し訳ありませんでした」

サヨミ「ひたすら願ったのが、エンドウジュンジ先生、ひとり残った先生の証言が、知りたかった、聞きたかった」

エンドウ「ものすごい高さの津波が、波が道路に沿ってくるのが見えました。
それですぐに、『山だ!山だ!こっちだ!」というふうに叫んで、で、山の方にやりました」

サヨミ「結果的には、エンドウジュンジ先生は、いかにして自分が助かったか、っていう説明に留まってしまって」
保護者「よそのひでえとこ皆助かってんだぞ、なんでここの子供達だけが死ななければならなかったんだ?」
サヨミ「怒り以外の何ものも無い、なんでこういうことになったのか、説明しろっていう、もう感情がもろ出しの状態で」
エンドウ「ほんとに、まさか、あんな大きな津波が来るってのはそこまで考えられなかったので」
サヨミ「質問に、こちら側の質問に対して、何も答えられない状況で、口ごもったり、黙り込んだり、説明にならない言葉を、ただ、私たち遺族の怒りをぶつけただけの会で終了してしまって」
保護者「殺されたんだぞ!」
保護者「学校に殺されたってことなんだぞ!」
保護者「この靴を見ろ。靴だけしか帰ってこねえよ。こんなめちゃめちゃに壊れて。俺の娘はクズか?」
サヨミ「そこが疑問です、すごく。
校庭以外の安全な場所は、1メートル高い所は、すぐ目の前にあったはずなんですよね。
公の立場である人間達だって、自分の子供が犠牲にならなければ、自分が、放射線のその危険地域内に住んでいなければ、他人事なんですよね」

ニュースアナウンス『福島第一原子力発電所で進む復旧作業の状況ですが、また想定外の事態です。
燃料棒は、すべて露出しているか、溶けてしまっている可能性があります。
ただ、圧力容器の温度は安定していて、水を送り込むことで冷やす……」

福島第一原子力発電所の事故により、避難を強いられている子供達は、いつ家に戻れるのか、もしかしたら永遠に戻れないのかと考えている。

エイイチロウ「寝ようとした時に(両親の話し声が)聞こえたりします。おとうさんとおかあさんの中ではおとうさんの方が、まあ、怒りみたいなの持ってます。
テレビで原発の話なんか観てても、ウソだ、みたいな信じなかったりしてて」
父「国がもはいっきに、無理ですって言った方が、あきらめがついていいんでねえの」
母「でもさ、無理ですってば、多分言ったらまたなんか言われるんで」
「手探り。無理ですとも言えず、かといって、いつまで経っても帰れます、とも言えず」
エイイチロウ コウセイは、立ち入り禁止区域に隣接する南相馬の、祖母の家に避難している。
町は、福島の山並みに近く、放射線量は高い。

エイイチロウ「僕たちの庭は、ばあちゃんが色んなやつ好きだから、葉っぱとかいろんなやつ植えてっから、それに放射能がついてっから、もう少しでないとダメって言われる。
おとうさんが会社から放射能測る機械を持ってきたから、それで測ったら、家の中で二階の方が一番高かったから、行っちゃだめって言われました。
ほとんどばあちゃんとかしか行かない。
お姉ちゃんと二階で遊んだりしたい。なんか、相撲みたいな、ことして遊びたいです。
家の蛇口から出る水は、なるべく飲まないでって言われています」
ミノリ「やっぱり、野菜とかもなんか放射能とかなんか、いろんなこと言ってるから、おかあさんとかばあちゃんは、買い物すっ時、なるべく福島県でできた野菜とか買わないようにしてくれてるし」
エイイチロウ「玄関に行って、マスクをかけて、放射能をあんまり吸いたくないとかそういう気持ちで走って車に乗ります」
ミノリ「おとうさんとおかあさんは、多分避難とか、もっと遠い所に行きたいと思ってるんだろうけど、やっぱりなんか、アパートもいっぱいだし、なんか仮設もそんなになくていっぱいだから、住む家が無くて多分行けないんだと思います」

タクヤ「仮設住宅は、家が無くなった人が、借りて住んでる所です」

立ち入り禁止区域になっている小さな町からやってきた10才のタクヤにとって、住んでいる仮設住宅は異世界だ。

タクヤ「外側から見える風景は、色んななんか長方形が、なんか次々並んでて、ひどいとなんか、自分の家の番号間違えたりします」

マツミ「仮設っていうのは、みんなが、っていうか、工事する人が、おうちをつなげて作って、それでみんなが隣同士で住むっていうこと」

7才のマツミは、ふたりの姉、メグミとマナミと一緒に暮らしている。

マナミ「前の家はなんかあの、とっても広くて、まあ二階もあったんですけど、仮設住宅ではちょっと狭くて、あと二階もなくて、
なんかあの、うるさくなって、聞こえちゃうので、なんかあの、おかあさんとかに静かにしろとか言われます」
クミコ「うーん、おかあさんわたしって赤ちゃん産めるの?何人ぐらい産める?とか、っていうのちょっと最近聞くので、
それなりになんかこう、体に悪い影響がある、だから赤ちゃん産めなくなったりとか、うーん、好きな人と結婚できなかったりとか、なんかそんなこともあるのかな?っていう、多分、ちょっとした疑問、っていうんですか、持ち始めたのかなーなんては思いますけど。
政府では大丈夫だって言ってるけど、ほんとにそれで大丈夫なのかどうなのかは、誰も経験したことが無いんだもんって、いつも思ってます」
マツミ「これから生きていくために、赤ちゃんとか産むから、だから人が増えるっていうか、安全にしなきゃいけないから」

津波発生から6ヵ月後、福島から北に160キロの所で、ナオミの、娘を探し求める作業は終わった。

ナオミ「この、ナブリ湾の漁港の作業をされてる方が、作業する際に、浮いているものを見つけて、それをカモメが突いていたっていう話でした。
うちの娘は、頭が無い状態で、見つかりました。体の一部も、手足が無い状態で、見つかりました。
それだけここまで来るまでには、長い距離を流れてきたんだと思います」
ナオミ「コハルが見つかってそれで終わりっていうことじゃなくて、残り4名の子供が見つかっていないということは、わたしにとってそこが、終わりではないんですね」

街頭演説をする政治家「私は、この先の警戒区域から避難している候補の高野みつじです。
これからの政治生活の中で、きちっと皆さんに答えられるように、私は……」

事故後、福島の立ち入り禁止区域から避難している避難民の人々に、一時帰宅の許可が下りた。
帰宅時間は4時間と、厳しく定められており、皆、特別に設置された所から入って行かなければならなかった。
彼らがそこから出る際には、車をはじめ、すべてのものの放射線量の測定が行われた。

リク「子供は入れないんですよ。あの、なんでかっていうと、子供は、子供用のその服が作られてないし、それに子供が行くと、どうしても暑くなって脱ぎたくなったりするから、ダメって言ってました」

サキ「えっと、おかあさんは、オダカ?20キロ圏内の方に行って……入りたいです。あと、家の周りとか町がどうなっているのかとか」
キリコ「誰も居ない町はやっぱり淋しいですよね。ここが体育館で、そっちがオダカ小学校です。
で、子供達の昇降口がこっちです。
0.51(マイクロシーベルト)です。思ったよりも数値は低いです。
靴を上履きに履き替えて、学校に入って行く所です。まだ、上履きが入ったままの子達もいますね」
「ここです家は。ここの勝手口の下の所、あそこから水が入って。
津波はうちの中では1メートル40センチぐらいの高さまで来た場所もあります。
あそこの、あの額を取ってきたいんですけど、どうしようと思って。
ここがわたしの机でした。
終わりました」
「この次の帰宅がいつのなるかは、わたし達にはわからないです。
この警戒区域の住民の方は皆そうなので、津波の影響が無い所でも、もう家の中はカビ生えてるとか、盗難に遭ってるとか、そういう状況ですから、
それを、賠償を、どうして国や原発の方で支払ってくれるのかな?というのは不思議でいます。
どうしていいかわからない状況ではありますけれど、みんなが困っている状況なので、ただ早く安全なオダカになって戻って欲しいと思います」

「それはなんといいましても、放射能の問題をきちっと解決をし、それは表土を一部剥ぐ、そしてまた、50センチ程度の土盛りをして、復興機関住宅を建てますと、現在の放射線から10分の1以下の放射線になりますから、
子供達やおかあさんが、安心して戻れる地域になるんです。どうもありがとうございます。お仕事ご苦労さまです」

トシハル「除染を見る時はとても楽しくて、僕も運転したくなるなあって感じです」

立ち入り禁止区域に隣接する南相馬市では、校庭の汚染された表土を5センチ剥ぎ取り、汚染されていない砂をそこに被せる作業が行われている。
汚染された土は、校庭を浅く掘って埋められる。

トシハル「それで重機とかが、とても大好きです。一番運転したいのはホイルローダーです。二番目に運転したいのが、小型のショベルカーか、あ、大型のショベルカーです」

放射能の被ばくの影響が子供達の健康に、いつ出るのか、その可能性の有無さえも、誰にもわからない。
しかし、心理的な影響はすでに出ている。

トシハル「僕のトシユキは年令は4才です。僕のおかあさんはトシユキのことを少し心配し、震災になってなんかちゃんとしゃべられなくて、
オダカの家に居た時はちゃんとしゃべってたんだけど、なんでここに来るとちゃんとしゃべられないのかなと思いました。それが不思議でわかりません。
料理とかも、少しうまく作れないけど、ホットケーキとか作ってくれて美味しかったです」

津波から9ヵ月経ち、福島第一原子力発電所は、ついに廃炉の決定が下された。
しかし、立ち入り禁止区域から避難している8万人の人々は、今も、自宅に戻れる許可が出るのを待っている。

サキ「いつ、今年は行けないと思います。なんかテレビとかの人は、もう20年とかかかるって言って、みんなはそんなの信じなくって、早く帰れるように復興を祈っています」
「時々心配になるけど、もう慣れちゃったって感じだから、もういいやと思って。だからもうここが家だと思って、もう気に入りました」

アヤカ「もうなんか、福島、日本全体がなんか、他の国から信用されなくなったというか、逆にひどくなったっていう感じがします。
もうまずうちの生活は、うーん、なんか家の中に閉じこもるようになった。外で遊べないから。
福島県では逆に、がれきをまだ片付けられないことです。まあ一応、そこ場所で通ってるので、そこ見んのがちょっと辛いです。
なんか、うちはあの、30年以上ぐらいだと思う。あの、そんなに広がっているんだったらば、すぐに消えないし、あの、いくら除染したってすぐには無くならないものだから。
あの、放射線はすぐには無くならないと思う」

トシハル「友達とは、放射線のことはあんまりしゃべりません。でも、遊びのことではけっこうしゃべりますが、でも放射線のことはあんまりしゃべりません。
なんかまた地震が来そうかなあと思うからです。
大人になったら、新幹線とか電車の運転手になりたいです。
トシユキは警察か、いや、電車の運転手と思います。
それでも僕は夢がかなうといいと思います。

マツミ「パテシエをやりながら、土日とかはボランティアとかをやる。
うーん、こういうふうに被害受けてる人達が、なんか、かわいそうっていうか、辛い目に遭ってるから、だから、助けてあげるっていう感じ」

ソウマ「山に行けば多分、みんな大丈夫だったと思う。そしてもうちょっと早く避難していれば、助かったと思う」
フウカ「マノちゃんを思い出したりする時は、すごい悲しい気持ちになったり、その時はほんとに涙が出てきたり、うーん、夢であって欲しいなって思います。
まあ、逃げなかったっていうのもあるんだけど、この地震がなって、あの、自然がなんかそういうふうにならなければよかったと思う。
でも、怒る気持ちはまだあります」
ソウマ「怒ってはない。あの、自然は助けてくれることもあれば、悪いこともあるから、それはしょうがないことだと思う。
海だって、魚がいっぱい泳いでいるから。魚だって僕たちが食べているものだから。
みんなを助ける仕事をしたい。震災の時に助けてもらったから、みんなを助けたい」

アヤカ「あのー放射線の研究者になりたい。なんでかというと、うちたちは経験してて、それをならないための薬とかあの、スプレーとかで、子供、あの、これから生まれてくる子供とか、そういう子供達の安全を守りたいから、放射線の研究者になりたいと思ってます」

リク「今には科学者とかいるじゃないですか。だから、やっぱりその風とか嵐とかで、放射線を外国とかに行かない、海の中心部に置いとけば。
それで、科学者とかに、巨大扇風機とか作ってもらえれば、できると思います。
あの、僕の大人になってからの夢は、やっぱり、安全な物を作ったりする、まあ、安全を考える人になりたいです、はい」
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16 コメント

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言葉がありません。 (9ちゃん)
2012-03-05 13:14:20
まずは、これだけの長い文字起こし、大変だったと思います。
しかも、何回も何回も聞き直して。
お疲れ様でした。

目の質問者に答えようと、淡々と真剣に、全身で、当時の事を話す子供達。
震災から1年も経つというのに、高放射能環境下に実験台のように、ガラスバッジを持たされて、そこで暮らしている子供達。
しかし、その中、あどけなさや無邪気が溢れている子供達に、心が締め付けられます。

なんで、こんなところで暮らさんとあかんのか?
復興なんて、人間を助けてあげて、そこからまず復興が始まるんやないんか?
莫大な復興資金は、まず、この子たちやその家族、東北の皆さんを放射能汚染の低い地域で新しく生活するのに、全額使うべきでないのか?
“無意味な”除染が、未だにお祭り騒ぎのように、復興バブルと言われるような状態で、浪費されていることは、言語道断ではないのか?
なんで、こんな言語道断のことが、今、まだ、真っ盛りなのか?
一刻も早く、この子たちが、笑顔で放射能汚染地域から脱出し、ガラスバッジとさよならする日がくるように念じるしかありません。
いつか、きっと、幸せな笑顔で笑う日が来ますように。
9ちゃんへ (まうみ)
2012-03-05 13:49:22
観てくれはったんですね、ありがとう!
わたしは、この長さのものは、ましてや英訳もアリなものは、いつもズルをして、他の方がしてくださったのをお借りしてたんですが……、
このドキュメントだけは、なんとしても自分でやる、という気持ちがふつふつとこみ上げてきて……。

そやから、もちろん時間がかかったのやけど、苦にはなりませんでした。
なにより、あの子供達がすばらしくて、昨日の夜はずっと、まるでずっと前から知っていたような気持ちになったり。

ほんまやね。
なんであんなとこで暮らさなあかんのか?
汚染がなんで日本全国にバラまかれなあかんのか?
子供がなんでモルモット扱いされなあかんのか?
町も家も、全く前のまんまやのに、なんでそこで住めんようにならなあかんのか?
田も畑も、以前同様、元気に作物を育んでくれるのに、なんで作ったらあかんのか?
除染なんかしても、元の木阿弥やってわかってるのに、なんで無駄なお金を使てまで、除染で体を壊してまで、躍起になってせなあかんのか?

子供はきっと、みんな見て知ってるよね。
その上で、子供らしく生きて、大人を守ってあげようとしてる。
あの強さ、あの優しさ、あの賢さ、
それに甘えてる大人達。
ほんまになんかせなあかん。ほんまに。

・・・。 (9ちゃん)
2012-03-05 17:17:10
“子供はきっと、みんな見て知ってるよね。
 その上で、子供らしく生きて、大人を守ってあげ ようとしてる。
 あの強さ、あの優しさ、あの賢さ、
 それに甘えてる大人達。
 ほんまになんかせなあかん。ほんまに。”

言葉が出て来ません…。
ただ、ただ、胸が痛いです。

あの、あどけない、純粋な瞳は、全て知っていたんですね。でも、口には出さない…。
隠そうとすることが、どれだけ子供たちを苦しめているか、ハッと我に返りました。
大変だと、大人が素直に認めてくれるだけで、子供達はどんなに心が晴れるか。
曲がったことや、本当のことをねじ曲げることは、許せないのが子供たちなんですよね。
しかも、大人に騙されていることを知っても、その大人を守ろうとしているなんて!
これが分かるから、胸が痛いし、涙が止まりません。
“あの強さ、あの優しさ、あの賢さ”が分かるからこそ、それでも心と体はまだ一人前ではない、弱い子供だと、そんな彼らに、辛い思いをさせてると。
子供たちは、いつまで頑張れるのかと。

ほんま、大人でも、今まで偉いと言われていたほとんどの大人は、既に子供達はもう正体を知っているんやね。
大人の一人として、あの子たちが現在、そのままなのを、ほんと申し訳なく思います。
ほんま、いつまで甘えているのか。
なんかせなあかんね。ほんまに。
いつやるねん、自分。と、常に自問自答しなあかんと思いました。



大変な作業でしたね (jiro)
2012-03-05 17:56:08
まうみちゃん、ありがとう。凄く考えさせられました。昨日もデモに参加しましたが、どうして停められないのか、どうして再稼働させたがるのかと、これを見ながら考えました。政府のお偉いさんには考えたり感じたりする頭が既にないのだろうと思います。そうとしか思えない。
更なる非劇が起こりませんようにと祈るのみです。
9ちゃんへ (まうみ)
2012-03-06 03:41:33
なんかね、9ちゃんに返事を書いてる時に考えたこと、そのまんま、他の人にも伝えとうなることが多いねん。
不思議。
そやし、ツィッターにそのまんまつぶやきとして入れさせてもらいました。

わたしが子供やった時、親が次々起こすゴタゴタに巻き込まれたんやけど、
その時、ほんまに、難しい言葉も含めて、大人がなにやってるのか、なにをやろうとしてるのか、
それが全部見えてたことを、今のことのように覚えてるねんね。

せやけど、わたしが特別鋭い子供やったとは思えへんねん。
三才年下の弟もそう。
丁度あの子達ぐらいの年頃やったけど、わたしより早く、事の成り行きを見通してた。

子供は、大人が思てるほど子供やない。
けども、9ちゃんが言うてるように、体も心も、大人が甘えてるほどに強くない。

わたしらはほんまに、急いで、なにか形にできるよう動かなあかん時に来てると思う。
jiroさんへ (まうみ)
2012-03-06 03:55:58
jiroさん!ここに来てくれはったんですね!ありがとう!

わたしもずっと、あの子達、そしてあのドキュメントでは話すチャンスを与えられなかったたくさんの子供達のことを、ずっとあれから考えています。

きっと、あのドキュメントを観ても、政治家の連中は、心をほんの1ミリも動かさない。
わたしもそう思います。
心も思考も皆無。
受け継いだシステムを死守することのみ。
そして保身。
人間の皮を着たバケモノとしか思えません。

そしてそのバケモノはここにもウジャウジャいます。
いずれ、いつかは、ここの子供達も、そのバケモノに苦しめられることになる。
そんなバカバカしい負の連鎖を今、わたし達大人が断ち切らないと、いったい誰が断ち切れるのか。
それが、日本の大人に今問われていることだと思います。
お疲れ様でした。感謝です。 (mihoko)
2012-03-06 14:36:26
まうみさん、見ました。
子供達の健気な言葉が胸に刺さり、涙しました。
皆、自分たちが体験したことから何かを感じ、自分たちで考え、それを将来に生かしたいと考えている。
子供達でさえ悲しい体験から学び前向きに生きようとしているのに、この国の政治家たちはいったい何を学んだのだろうか?

同じ過ちを繰り返さないために非力ながらもできることをやりたい。

Mihokoさんへ (まうみ)
2012-03-07 00:41:09
観て下さってありがとう。
わたしも、一度目は、ただただ涙が流れてきて、まともに画面を観ることもできませんでした。

二度、三度、そして文字にするために何度も聞き直しているうちに、
子供達の心の内が透けて見えてくるような気がしました。

子供達でさえ、あんなふうに前向きに、未来のことを考えないと、心の平衡が保たれない世界。

政治家には心が無い。
前々からそう思うこともありましたが、
その無の徹底さを今見せつけられていますよね。
学びの根底には心が無くては。
彼らは何も学ばない。
ただただ、引き継いだシステムを死守することだけ。
絶対に許せません。
Unknown (みさ)
2012-03-07 01:45:20
私もこれ見ましたが、
親が先生に対して怒りをぶつける場面。
「学校に殺された」

これ、未曾有の震災を経験した人間の言葉ですか?

学校が悪いのか?
未曾有ですから誰もがこれほどの規模を想像できていなかったはずです。

自分の子が戻ってこないことは悲しいことです。
あのとき、すぐ近くの山へ逃げていれば助かったのかもしれません。

これは今だから言えること。
その瞬間の心理や精神状態は大きな怪物に対して、冷静でいられたでしょうか?


同じ地域で震災に直面していたならその辺は察することができるのでは?


不可抗力の震災で我が子が助からなかったことを、人間のせいにするのは間違っている。

これを見て、ちょっと悲しかったです。

みささんへ (まうみ)
2012-03-07 03:22:21
みささん、コメントしてくださってありがとうございます。
みささんのように考えていらっしゃる方も、きっと多いのかもしれません。

そしてわたしは、その時その場に居て、現状を自分の目で見た人間でもなく、
ただただ、その後の報道で経緯を知る立場の人間です。
なので、誰が正しい、誰が間違っている、ということではなく、
とりあえず、いろんな部署から出されている経過記述を読み集め、事実を知ることが大切だと思っています。

さて、大川小学校のことですが、
わたしが知る限りでの、当時の状況を、ここにちょっと書かせていただきます。

・当日、大川小学校の校長は、年次休暇で娘の卒業式に参加しており、不在だった。 
・避難開始までの40分間、生徒達の点呼や待機が続いた。
・裏山への避難を提案した教師(特に教頭)もいたが、学校に避難してきた地元住民の反対があり頓挫。
・その間スクールバス運転手も校庭で待機。
・焚き火の準備に貴重な時間を潰す。
・話し合いの結果、避難場所は川べりの『高台』に決定。
・そもそも、津波を想定した避難場所が決められていなかった。
・児童の母親は「山に逃げろ」と進言したが、教師は大丈夫と答えた。

1) 指揮官たる校長が不在で、決定が遅れた。(もちろんこれは、意図された不在では無かったわけですが)
2) 日ごろの避難訓練が、適切ではなかった。
3) 同校の生徒数なら、職員20名近くの大人で、引き渡しなり、移動なりに、50分もの時間がかからなかったはず。
4) 市の行政指導が不適当で避難先を確保できていなかった。
5) 裏山のことを、職員がよく知らなかった。

あの震災は、未曾有の、とてつもない破壊力を持ったとんでもないものでした。
余震も大きく、逃げるにもまず、まともに歩くこともできなかったと聞いています。
そんな中で、子供達は、逃げたい、死にたくないと、心の中で叫びながら、先生達の決定を待ち続けていたんだと思います。
恐くて吐いた子もいました。
泣いてる子も。
けれども、動けなかった。
先生が、動いてはいけないと言ったからです。

わたしはやはり、大川小学校に限っては、津波だけのせいで、教師や子供達が命を失ったとは思えません。
あの50分に、どんなに混乱していたとしても、
子供達をあずかっている学校として、できたことはあったと思っています。
わたしがもし、亡くなった子供の親ならば、多分彼らのように、学校に怒りをぶつけているだろうと思います。
ms (mia june)
2012-03-14 19:35:18
始めまして。 イギリスに住んでいるものです。 私の兄家族が、福島市に住んでいるので、3.11以降、心配で、ずっとニュースを追っています。 ウインザー通信も、よく、読ませてもらっています。 貴重な情報の発信、感謝しています。 ところで、英国で、放映された、BBC2の二つの番組のことについてですが、かなり、長いコメントになりましたが、読んでいただけると嬉しいです。 わたしも、こちらで、みました。 BBCとしての規制のあるなかでは、よく、まとめられたドキュメンタリーと思いましたが、報道されていない部分が、多すぎて、実は、かなり、がっかりしました。 第一回目は、地震後の2週間のみを取り上げた番組構成で、「過去」のものとして、取り上げられ、視聴者には、「一度、原発事故が起こると、どれだけ、危険な状態が続くということ」が、伝わらなかったと思います。それに、南相馬市のご家族がでて、まわりで、ヨード剤を配布されていたから、自分の娘にも、あげたと発言しておられましたが、本当かどうか、わたしは、疑問です。 事実は、政府の指示が一切なかったので、東電社員と、独自に決断した見春町住民を除いて、摂取されていなかったのが、事実で、多くの方々が、不必要に、被爆をしてしまったのが、そのときの現状です。 そのご家族がそうであったとしても、それは、まれなことで、その他の人たちについては、事実を隠すために、ある一家族の例をあげていたとしか、思えません。 それから、公表はされていませんが、圧力容器の設計士の田中光彦さんによると、地震で、メルトダウンが起こっていた可能性を強く指摘して誰も、彼に反対できなかった。 なのに、両方の番組で、津波のことを、前面に出してきていること。 最初に日本で、報道され、実はウソだったうたい文句「1000年に一度の地震、津波」を、番組のタイトルに使っていました。 本当は100年に一度とするべき。(1896年も、大地震と大津波があり、38.2の津波、22000人の死亡者がでた。福島原発の津波想定は10m以下だった) それに、2回目の津波と子供たちでは、実際に、現在、そして、既に、起こっている症状について、いっさい報告されなかったことが、とても残念です。爆発後、2ヶ月たった時点で、すでに、福島の子供たちにチェルノビルの子どもたちに出た同じ症状:下痢、鼻血などが、でてきていました。 原発推進派の科学者、医者が良く使う言葉、「心配するのは良くない、ストレスが原因で、病気になる」という、放射能の実際の危険さを、濁した言い方が、この番組の放映内容に、含まれている感じがして、正直いって、私は、腹が立ちました。 子供たちの心配を軽減するために、もっと、きちんとした、健康調査が必要です。 放射能の検出が微量でも、安全なところに、避難させることに、つながっていかなければいけないと思います。 危険さを無視した考え方が、山下氏の元で、行われている健康管理調査、それに、症状がでて、医者に言っても、「鼻をほじくるからだ、心配する必要なない」なだとと、血液検査を頼んでも、取り合ってくれない。 本当の意味での、早期発見にはつながらなく、広島長崎原爆後の調査はするが、治療はしないやりかたが、いまも、まかり通っている現状です。 去年、チェルノビル26周年を記念して、BBCが放映した番組でも、「心配するのは良くない、ストレスが原因で、病気になる」と、同じことを言っていました。 去年の4月は、イギリスは、とても天気が良かったのに、日本で起こっていることとの、ギャップが大きくて、心ここにあらず、外に出る気にならず、友達と、普通に笑えることもできずに、家の中にこもり、インタネットにかじりついて、ニュースを追っていました。 私は、その番組をみなかったのですが、仲良くしていた友達がその番組をみていて、私に、「心配しすぎるのは、良くないのよ」「番組では、チェルノビルでは、今、人が住んでいないから、かえって、自然がよみあがってきた」などと、言う彼女の言葉に、ショックでした。 主流のマスコミの報道に、どれだけ、私たちが左右されているのかに、気がつき、複雑な気持ちになりました。 このBBCの番組も、こちらでも、みた方々から、とっても、感動されたといわれても、わたしとしては、納得がいきません。 英国は、原発推進なので、日本で、起きたことは遠いこと、地震津波がないから、大丈夫、その他のことについては、一切報道しない規制になっているようです。 3月11日は、追悼式については、報道されても、日本に活発化している脱原発運動、デモについては、全く、報道されていませんでした。 こういうふうに、言いたいことがたまっていて、何か、しなければと思い、翻訳者・通訳者ではないので、時間がかかっていますが、できるだけ、すこしでも、英語圏の方がたに伝わるように英語で、ブログを書き始めました。  もし、よかったら、読んでみてください。 www.fukushimaappeal.blogspot.com  
Mia June

Miaさんへ (まうみ)
2012-03-15 00:53:22
お兄さんのこと、心配ですね。
わたしの親族のほとんどは、関西圏に住んでいるのに、それでもこれだけ憂いている。
なのにMiaさんはご家族がその地に暮らしてはるんですもんね。
怒り、哀しみの度合いはきっと、わたしなどとは比べ物にならんと思います。

あのBBCのドキュメントの1作目は、わたしもこちらで観て、納得がいかない部分が多すぎたので、ブログの記事にはしませんでした。
ああ、これは、原発推進を主軸にしている国らしい編集の仕方やなあと思って。

2作目については、わたしは今だにまだ、あやかちゃんがボール遊びをしている所の空間線量が0.8もあった場面、
子供達が、自宅からマスクをして、学校まで送ってもらう自家用車に乗るのにダッシュしていった姿が、脳裏に焼き付いています。

Miaさんが指摘してはる、子供の健康の現実について、そこのところが皆無でしたね。
インタビューを受けていた子供達の後ろでいる子供達も皆、まるで普通で元気で活き活きしていた。
真実は、あの元気いっぱいの子供達の陰に、ひっそりと、いや、故意に隠されている。
なんかわからんけどしんどい。
わけもなく鼻血がいっぱい出る。
お腹が痛い。下痢が続く。
子供達は、心身ともに、恐怖におののいている。
放射能の恐怖を身ごもっている。

もし日本が、どこの国もできなかった、放射能の影響かもしれないあらゆる健康傷害について、詳しく取材し、報道することができたら……。
世界はきっと変わるだろうと思います。
でもMiaさん、Miaさんやわたし達が闘っているものは、とてつもなく分厚くて頑強で無慈悲な、国(システム)というバケモノです。

日本がそんなバケモノやとは、思いもしなかったいい年をした大人がこのわたしです。
アメリカの属国として息をつないできた国は、このぶっとい鎖を自分で断ち切らない限り、これからも核の亡者の使いとして、世界を滅亡させるかもしれない愚行を繰り返していくんやと思います。


ブログ、読ませてもらいました。
大変な作業やと思います。
わたしが今だに、やりたいと思いながらできずにいること。
それをMiaさんはやってはる。すごいことやと思います。
その作業をすることで、Miaさんの心が少しでも落ち着くなら、これからも、頑張り過ぎないように、書き続けていってください。

Miaさん、わたしが暮らしているここアメリカは、原発ムラの本拠地です。
なので、イギリスよりもさらに、露骨に、原発推進の旗が威勢良く風にはためいています。
事故前から、活発に行われていたビル・ゲイツによる『夢の新型原発開発計画』キャンペーンは、とうとう政府によって、実施されようとしています。
オバマ政権は『核廃絶』を実行してくれるはず、などと思い込んでいた自分が、可笑しくて笑えてきました。

電気を湯水のように使って当たり前のアメリカ人に、節約などという言葉が理解されるには、よほどの手痛い経験が必要なのかもしれません。
もちろん、現実を知り、良識を持っている人もいますが、まだまだ少数派に留まっていて、意見が大手のマスコミに取り上げられることなど皆無です。
だからわたしも、日本のことで話をするといつも、なにもわかってない、なにもわかろうとしない、ということに、がっかりもするし腹も立ちます。
けれども、それは仕方がないことで、だからわたしやMiaさんが、こつこつと、気長に、辛抱強く、ひとりずつに話しかけていくしかないのやと思います。

草の根のように、じわじわと、もどかしいくらいにのろのろと、
けれども、そこの根は存在します。ゼロでは無いんです。

そんな問答のようなことをしている間に、汚染地に暮らす人達の健康は日に日に悪化していくではないか!

そうです。その通りです。
けれども、わたし達は、すべての事をいっぺんに解決できないし、すべての人を救うことはできない。
だから、自分のことをまず大切にして、自分を守ることに全力を尽くしてください、というメッセージを送り続けるしかない。
と、わたしは思っています。

そのためにはMiaさん、わたし達もやはり、心も身体も健康であらなければなりません。
そうしないと、負のエネルギーが、言葉の端々に浮き出てしまって、うまく伝わらない。
Miaさん、もうすぐ春です。
Miaさんが、日本を離れて、遠くイギリスで暮らしておられること、それにはとても深い意味があると思います。
今年の春を楽しんでください。草花や樹の芽吹きを、目と指先で楽しんでください。
友達と、原発以外の話をして、生かされている幸運を喜んでください。
わたしも常々言われていることなのだけど、
原発の問題を考える時間を、一日◯時間、と決めて、それ以外は努力して考えないようにしてみてください。

Miaさんの、生を享受する気持ちが、またふつふつと甦ってきますように。


Miaさんのコメントを、記事に載せてもいいでしょうか?
また教えてください。待ってます。
Unknown (Mia June)
2012-03-15 05:02:41
まうみさん、 早速のお返事どうもありがとう。 しっかり、聞いていただいて、とても嬉しいです。 わたしも、 こんなに、ひどい日本になっていたなんて。。。と、福島事故までは、ほとんど何も、知らないでいました。 長崎広島の被爆者の方達のことも、知っていてはいても、なんとなく、子供ながらに、世間の中で、彼らに対する暗い空気を吸い取って生きてきて、わたしも、どこかで、偏見の目で、見ていてしまったと、気づきました。 いまは、ネットが盛んだから、知りたい情報は、ほとんど、手に入る。 福島事故で、被爆した人たちに、広島長崎の被爆者のたどった苦しい同じ道を、歩ませてはいけないなと、強く、感じています。 コメントを記事に載せても結構ですよ。 まだ、私のブログを読んでいる人が少ないと思うので、一緒に、ブログ名を紹介していただければ、嬉しいです。 先週の土曜に、HinkleyC(Summerset 州)の原発反対運動に、行ってきました。  そして、地元でも、イベントを設けたし、1年が過ぎて、自分の中で、やれることはやってきたと、ちょっと、心の区切りがついた感じしています。 そして、まうみさんがおっしゃるように、一人一人に、話しかけていく、その一人一人とのコミュニケーション大切ですよね。 数少ない人数しか、来なかったイベントだったけど、来てくれた人には、確かに、いくらか、伝わった感じがして、数じゃないなあと思えました。  
最近、鳥のさえずりが、とても新鮮に感じます。 気分転換をするには、音楽を聴くのが、一番いいみたいです。 ちなみに、私の息子もクラッシクピアノを弾いていて、今年の9月から、Cardiffの音楽院に入ることが決まりました。  ブログは、ある程度、たまっている原稿を書き上げたら、いつか、友達と一緒に、Cornwallの海のほうを、訪ねる予定です。  本当に、自然の中に、身をゆだねるということ、大切ですよね。   原発村の本拠地が近いのでは、いろいろ風あたりが強いでしょうね。 お互いに、心と体に気をつけながら、がんばりましょうね。  これかれも、また、どうぞよろしくお願いします。 

Miaさんへ (まうみ)
2012-03-15 06:00:53
Miaさん、ありがとう。では、載せさせていただきます。
もちろん、ブログの紹介もするつもりです。
わたしの、こちらの、英語人達にも紹介しておきますね。

さて、Miaさんが、ご自分をしっかりと保たれていること、大切にされていることがわかり、とても安心しました。
こちらでは、風あたりどころか、そんなことがあったなあと、すっかり終わってしまっていたり、
思いっきりよそ事やったり、
それはそれ、これはこれ、うちは原発が無かったら成り立たないと思い込んでたりと、
世界を知らない、知ろうとしない人が大勢います。
よその州にさえ行ったことのない人もちょこちょこいたりして、
なんというか、また一風変わった閉鎖的なところがあるのです。

その点、ヨーロッパは、国がそれぞれ地続きで関わっていて、世界がよく見えているような気がします。
まあ、無い物ねだりなのかもしれませんが……。

息子さん、すばらしいですね!
うちも、どちらかがピアノを弾いてくれるだろうか……などと、淡い夢を抱いたこともありましたが……。

こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
また、いつでも遊びにいらしてください。お待ちしています。
Ms ( Mia June)
2012-03-17 11:40:38
ブログでの紹介、どうもありがとう。
イギリスは、意識見聞は、ある程度は、広いかもしれないけど、まず、主流のTV,新聞の福島に関しての報道規制で、知らない人が多いということが、問題と思います。 まうみさんの言うように、少しずつしか、伝わらないのでしょうね。 「草の根」のイメージが気に入りました。 「ゼロではない」という言葉も。 雑草のように、根が横につながっていって、種を多く繁殖するエネルギーは、本当に、たくましくて、すばらしい。 私が、応援している「武藤るいこさん、「福島からあなたへ」の本を最近出版。 去年の9月に、6万人デモ集会でのスピーチのなかのことば ー 原発推進派が垂直にのびる壁ならば、「限りなく横に広がっていくことが私たちの力」という言葉とつながります。
最初は、迷いましたが、思い切って、投稿してみて、良かったです。 また、お邪魔します。 
Mia Juneさんへ (まうみ)
2012-03-17 13:13:35
It's my pleasure!

こちらの知らない人の数は多分、イギリスのそれの数倍だと思います。とほほ……。
そうなんです。ほんとにもう、ひとりずつ、ですよね。

まあでも、わたしの住んでいる地域はまだリベラルで、聞く耳を持っている人が多いので、まだマシなのかもしれません。

Miaさんもわたしも、日本から遠く離れて暮らしている人間としての、
日本への思いや願い、祈りなど、きっと共通している感情があると思います。
これからもまた、いつでもここに来て、話をしてくださいね。
待ってます。

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