ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

最期まで原発事故の汚染と未来と子供達の事を心配してた野原千代さんの『原発事故のチョウへの影響の研究』

2015年10月31日 | 日本とわたし
野原千代さんは、琉球大学院生でした。
野原千代さんは、原発事故が起こった時、「それまで縁もゆかりもない福島なのに、気になって仕方がなかった」といいます。
「まるで自分の娘たちがそこに住んでいるように思われ、飛んでいって何が起きているのか、自分の目で確かめたかった」
その想いが、『原発事故のチョウへの影響の研究』にのめり込んだ理由だったそうです。

野原さんは、サンプリングのために、事故後わずか2ヶ月目に、福島県の各地を回りました。
チョウに内部被曝させるため、汚染したカタバミを採集に、郡山や本宮(原発から西へ約60km)に、10日に一度通っていました。
一度行くと3泊し、沖縄に戻ると不在中に草をやってくれていた研究者に負担をかけたくないからと、
到着の夜はそのまま研究室で徹夜し、草をやる。
そんな生活を1年半続けたそうです。
そして研究を重ねた結果を、ジュネーブで開催されたシンポジウム「放射線の遺伝子への影響」で講演し、大反響を呼びました。

確実に、福島で、何かが起こっていると感じた彼女は、チョウの研究を続けながら、
孤立しないで互いに情報を交換できる場所を作ろうと、福島から沖縄への避難者の方々と、その実現に向けて模索していました。



その彼女が、想い半ばで、逝ってしまいました。
その彼女と、2012年に出会ったマコさん。
「事情があって、取材を受けられないから、マコちゃんが独自で、この論文を理解したという形で、この論文を広めてほしい。
説明するから、何でも教えるから聞いて!!」
という強い願いを受け取ったのが初対面だったそうです。

「私が余命1年だったら『余命1年の会』を結成して、命がけの抗議をやろうと思うの。
でも、私は余命1年じゃないから、この被ばくの研究を命がけでしようと思ったの」

でも、野原さんは、10月28日に亡くなられてしまいました。



野原さんのこと、そして『千代さんのこと』というマコさんのメッセージを、ここに紹介させていただきます。

↓以下、転載はじめ

原発事故のチョウへの影響、スイスでの講演発表が大反響
【SWI swissinfo.ch・里信邦子】2014-12-03
http://www.swissinfo.ch/jpn/原発事故のチョウへの影響-スイスでの講演発表が大反響/41148962


左は正常なヤマトシジミ、右は翅の矮小化を含む形態異常を起こしたヤマトシジミ

日本で最も繁栄しているチョウ、ヤマトシジミ。
福島第一原発事故の、このチョウへの影響を共同研究した、琉球大学院生の野原千代さんが11月29日、
ジュネーブで開催されたシンポジウム「放射線の遺伝子への影響」で講演し、大反響を呼んだ。
この研究は、2012年の発表当時に、スイスのメディアでも大きく取り上げられている。
野原さんに、研究との関わりや今後など、自分史的な視点も交えながら語ってもらった。


「原発事故が起こったとき、それまで縁もゆかりもない福島なのに、気になって仕方がなかった。
まるで、自分の娘たちがそこに住んでいるように思われ、飛んでいって何が起きているのか、自分の目で確かめたかった」
と、野原さんは振り返る。
結局、この想いが、ヤマトシジミにのめり込んだ理由なのだという。
 
事故後すぐに、ヤマトシジミで、色模様の発生生理学的メカニズムなどを研究していた、琉球大学の大瀧丈二准教授に、
「原発事故のチョウへの影響の研究」を提案し、他の院生とともに、研究グループを結成して取り組んだ。
 
野原さんは、もともと理学畑の人ではない。
それどころか、官庁の監査を行う「公監査」を、愛知大学准教授として教えていた。
その後、環境問題に方向転換して、沖縄に移住。
その矢先に3・11が起こった。
 
最初の研究結果の概要は、以下の点だ。
まず、原発事故後2カ月目の2011年5月、
サンプリングで得た、福島市と本宮市の被曝1世のオスの翅(はね)の大きさが、つくば市などのものより「矮小化」していると確認。
次に、
被曝したチョウを沖縄で育て、その子世代で、原発からの距離が近くなるにつれ、
卵からの蛹化(ようか)と羽化において、多くの日数がかかる「成長遅延」と、「形態異常率の増加」を見ている。

さらに、
子世代の異常個体を親として、孫世代を作り、そこでは、類似の異常が次世代遺伝しただけでなく、
これまでにない(触覚が二股に分かれるなど)、「異常形態の出現」も観察している。


研究グループはまた、沖縄の個体に、外部被曝と福島地方のカタバミ(食草)を与えて内部被曝を行い、
この両方の被曝において、「生存率の低下」、「矮小化」、「形態異常」を観察している。


swissinfo.ch : 
最初に、サンプリングのために福島県に行ったときは、事故後わずか2カ月目です。


野原 : 
確かに、余震などの危険性もありました。
でもとにかく、幼虫で冬を越し被曝した1世を、きちんと採集したかった
チェルノブイリでは、5年後にしか、生物のそうした研究ができていない。
そうはしたくなかった。
特にヤマトシジミは、世代交代が約1カ月と早いので、迅速な観察が望まれたのです。
東京や柏市などとの比較もあり、大瀧先生と私と2人の研究者の計4人で連休明けに各地を回りました。


NGOのインディペンデントWHOが開催したシンポジウムで講演した、野原千代さん


swissinfo.ch : 
チョウの死亡数を数えたり異常形態を見つけたりと、以前の「公監査」とは全く異なる研究。
ギャップを感じましたか?


野原 : 
毎日が必死で、がけっぷちに立たされているような日々。
そんなことを感じる余裕は、正直なところなかった。
内部被曝させるため、汚染したカタバミを採集に、郡山や(原発から西へ約60キロメートルの)本宮に、10日に一度通っていたからです。
沖縄から羽田に飛び、そこから車を走らせて福島県に着き、カタバミのあるところを探し、
同時に、それを宅配便で一日3~4回、沖縄に送ってくれる業者を探しました。
一度行くと3泊し、沖縄に戻ると、私の不在中に草をやってくれていた研究者に負担をかけたくないので、
到着の夜はそのまま、研究室で徹夜し、草をやる

そんな生活を1年半やりました


swissinfo.ch : 
これまでの実験の中で、最も印象に残ったことは?


野原 : 
福島県の福島市、飯舘村、広野町の汚染食草と、山口県宇部市の食草を与えた内部被曝の実験です。
その実験で、羽化したチョウのうち、福島市と飯舘村2カ所のチョウの動きが、山口県の葉を食べて育ったチョウに比べて、明らかにモタモタしている
毎朝、羽化するチョウがすべてそうなのです
大変な衝撃を受けました。
これが、いわゆる「原爆ぶらぶら病」なのかと感じました。

しかし、残念ながら、こうした事態を想定していなかったので、そのような動きの違いを、定量化することはできなかった
ですから、形態異常が見られなかったそれらのチョウは、「正常」なチョウとしてカウントしています

このことから、私は、確実に、福島で何かが起こっていると感じました


swissinfo.ch : 
今進行中の研究や、最近の研究の成果を教えてください。


野原 : 
つい最近まで、研究者の1人の平良渉さんと一緒に、ゲノム解析のためのDNA抽出をやっていました。
鹿児島の、ヤマトシジミのDNA配列は読めたので、今後は彼が中心となって、福島地方のチョウのゲノムとの比較をやっていきます。
ゲノム変異解析研究は、異常形態がゲノムレベルで起こったのかを知る上で、とても大切なのです。

また、つい最近発表した内部被曝の観察結果は、興味深い上、私にとっては、光が一筋さしたような研究になりました。
まず、
沖縄の第1世代(F1)の幼虫に、一方には沖縄の草を、他方には本宮や郡山の草を与えた。
すると、やはり後者のグループ(本宮や郡山の草を与えられた側)の死亡率・異常率は、沖縄グループより高かったのです。

ところが、
第2世代(F2)で、たとえ親のF1に本宮・郡山の草を与えても、F2に沖縄の草を与えたグループ(F1本宮―F2沖縄、F1郡山―F2沖縄)は生存率が高く、
2世代とも沖縄の草を与えたグループ(F1沖縄―F2沖縄)と、ほほ同じ生存率を示しました


つまり、これを人間に適応して考えた場合、
第2世代に汚染されていない食品を与えれば、生存率において問題がなくなる可能性が示唆され
そういう意味で、私には希望が感じられたのです。


swissinfo.ch : 
物理学者や生物学者、そして医者などが多く集まった今回のシンポジウムでも、
この、F2に沖縄の草を与えた場合の生存率の高さは、大きな反響を引き起こしました。


野原 : 
確かに、F2で生存率・正常率が回復したので、反響は大きかった。
しかし、次の二つはきちんと確認したい点です。
一つは、
F1で、本宮や郡山の草を与えた場合の死亡率・異常率は、相変わらず高いということです。
そしてもう一つは、
沖縄の草のお陰で、生存率や正常率は回復したF2でも、ゲノムのレベルで損傷が起こっていないとは言えない点です。

ところで、聴衆の1人が、独自にこうした結果を人間に当てはめ、
「チェルノブイリの第2世代の子供たちが、同じ場所にとどまり、今でも汚染された食品を食べ続けていることは問題だ」と発言しました。

実際、チェルノブイリ事故後に、身体的・精神的問題を抱えた第2世代が苦しみ、
時に自殺したり、または、こうした状態に耐えられない父親たちが家出したり、といった話はよく耳にします。
福島から沖縄に避難した、いわば第1世代の人々も、さまざまな症状を抱え苦しんでおられる。

私は、そうした被曝者が社会に受け入れられることと、彼らがそれぞれの症状に応じた治療相談にのってもらえる拠点が、日本には必要だと思っています。
そこで得られる治療法や情報は、まだ確立していないものや極端な場合は、プラセボ(偽薬)でもいい
とにかく、ベラルーシなどでの経験を学びつつ、孤立しないで、お互いに情報を交換できる場所が必要なのです。

実は今、ヤマトシジミチョウの研究を続けながら、福島から沖縄への避難者の方々と、その実現に向けて模索している最中です。

野原千代さん略歴
琉球大学大学院理工学研究科・海洋自然科学専攻・博士課程前期終了。
元愛知大学准教授、元早稲田大学パブリックサービス研究所客員研究員。国土交通省独立行政法人評価委員、名古屋市、東海市、三重県行政評価委員等歴任。所属学会:日本地方自治研究学会、日本監査学会等。

インディペンデントWHO
今回シンポジウムを開催したのは世界保健機構(WHO)の独立性を求めるNGO、インディペンデントWHO(Independent WHO)。「原子力を推進する国際原子力機関(IAEA)からの圧力により、WHOは低線量被曝に関して世界に正しい情報を与える任務を放棄している」と批判する団体。
低線量被曝が生物や人間に与えるさまざまな影響を研究する世界の専門家によるシンポジウムを2012年に引き続き今年も開催した。
今回のテーマは「放射線の遺伝子への影響」。発表者の中には、ドイツ・クリュンメル原発周辺で白血病にかかる子供の数の増加を明らかにした研究で有名なドイツの物理学者、インゲ・シュミッツ・フォイエルハーケ氏も含まれている。
なお、今年のシンポジウムはジュネーブ市、緑の党などが支援している。




千代さんのこと
【猫とおしゃれとよだれとニュース・おしどりマコ】2015-10-31

http://ch.nicovideo.jp/oshidori/blomaga/ar902744

野原千代さん、という研究者が28日亡くなりました。

琉球大学で、被ばくとヤマトシジミ(蝶)の研究をされていた方です。
初めてお会いしたのは、2012年かなぁ。
「事情があって、取材を受けられないから、マコちゃんが独自でこの論文を理解したという形で、この論文を広めてほしい。
説明するから、何でも教えるから聞いて!!」
というのが初対面。
そんなハードコアな話をしつつ、お腹が空いて、そのまま食べ放題のバイキングに行きました。
何、このアグレッシブな感じ!!

それからずっと千代さんとはいろいろお話しました。

「私が余命1年だったら『余命1年の会』を結成して、命がけの抗議をやろうと思うの。
でも、私は余命1年じゃないから、この被ばくの研究を命がけでしようと思ったの。」
娘たちにもそう話した、とおっしゃってました。

********

でもね、去年、名古屋のホテルで、夜通し喋っていたときにした約束、千代さん覚えてる?
絶対に生き延びよう、って。
どれだけ知ってても調べてても、生き残らなくては意味がないって。
広島の原爆で生き残られた、肥田舜太郎先生みたいに、生き延びて伝えなくちゃダメだって。

********

千代さんも私も仲良しだった、報道ステーションのディレクター岩路さんが自死して、
その後、私がいろいろ調べて、遺書や保険など調べて、その話を千代さんにだけ伝えた夜のことです。
大学で研究がしづらくなって、泣きながら千代さんが岩路さんに電話したり、
TV局で針のむしろだよーと、岩路さんがおしどりを飲みに誘ったり。
千代さんと岩路さんと、私たちとで揃って会ったことは無かったけれど、
お互い仲良しで、泣きたくなったときになぜか頼るのは、原発事故の研究・取材を続ける辛さを共有してたからかもしれません。

で、その岩路さんが自死したあと、絶対に盗聴される心配がないから、と千代さんが外資系の信頼できるホテルを指定して、スパイみたいに待ち合わせた夜。
パジャマとベッドという女子会ぽい雰囲気を出しつつ、話題は超シビア。

自死する、という選択肢がないと、動けないという時期もある、
それはよくわかる、私もそういうときがあったから、
と若い頃の厳しかった時期の話をしてくれた千代さん。

でもね、そういうときに、自死するかしないかは、ちょっとしたタイミングのようなもので、
うまく抜け出せるときもあるの、だから、岩路さんは自死しちゃって今は後悔してると思うな、
と話してた千代さん。

その晩、いろんな話をしながら、ホテルの天井に向かって
「岩路さん、そのへんで聞いてるんでしょ?」と話しかけまくりました。
「約束いっぱいしてたのに、計画いっぱいあったのに、うっかり死んじゃったから後悔してるでしょ? そっちの世界から力貸してよね!!」
と何かあるたびに、岩路さんに文句言って(^^)
千代さんと私は、生き延びようと、何としても生き抜こうと約束したのです。

でも、千代さんまで、そっちの世界に行ってしまった。

********

千代さんの被ばくと蝶の研究は素晴らしく、山本太郎議員が国会での質問にも使っていました。
そのときに、千代さんからレクを受けて(あ、それこそ名古屋のホテルで一晩中聞いたんだった)
山本太郎議員に話をして。

そのときの書き起こしをはっておきます。下記。
https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/3797

千代さんのFacebookの最後の投稿は、10月14日のもの。
岡山大学の津田敏秀先生が小児甲状腺がんの、論文の報告を海外特派員協会でされた記事をシェアして
「津田先生は、本当に率直、真っ正直な方です」
とコメント。

千代さんも同じだよ! 
いつもいつも、原発事故の汚染と未来と子どもたちのことを心配してた。
「だって原発事故があったのに、なんで、みんなわからないの?
決定的な何かがたくさん出てくるまで、わからないっていうの??」

腎臓がお悪くて、7月8月はお一人で用も足せなくなっていた、と伺ったけれど、
そんなに苦しくても、最後まで、原発事故と子どもたちのことを考え続けた千代さん。

********

千代さんとやりとりしたメールを見直してました。
(こんな作業イヤだなぁ!!)

あ、素敵な写真があった!

今年、バチカンのフランシスコ教皇さまとやりとりをする、という隠密行動をとっていたとき、
なんかお会いするとかなったら大使館通すとか大変みたいでムリそうっすーとメールすると
千代さんが、「大丈夫!うまくいくから!」と驚愕のお写真を送ってくれました。
それは、千代さんのお母さまと先代教皇さまがハグしてる写真!!

「母がクリスチャンで(その関係で私も15歳までは一緒に教会に行ってましたが)
一カ月のイタリア滞在時にたった1人でこれを段どったのです(笑)」

えー?? なんかいけそうな気がしてきた!
とその後、教皇さまに手紙を書き、それを司教さまが届けてくださり、
「原発事故はバベルの塔」と教皇さまが発言した記事になったとき、
千代さんもとても喜んでくれました。

********

被ばくに関する研究を発表する研究者が、千代さんに、
「炎上対策はどうすればいいか聞いて?」という仲介をしたこともありました。

千代さんの回答みつけた。
これは素敵なアドバイスなのでシェアしときますね☆

「炎上…(笑)
炎上させとけばよいのです。ニコニコして、KYのフリ。いちいち気にしない。
反論はすべて論文で。
ネットで反応しない。しても、せいぜい、論文の紹介程度」

********

千代さんとのやりとり、最近のものは、どんどんシビアになってきてました。

「物言えば、唇寒しの世の中で残念です。
学問の自由も何もあったもんじゃないですね。
自死ありすぎだね!(涙)
マコちゃんケンちゃんも大変でしょうが、チームなのでいいね!!
皆で乗り越えられるといいね!」

千代さん、千代さんもチームなのに、千代さんがいなくなると、穴がでかすぎます!!
汚染地域で採集をするたび、汚染されたカタバミの面積を一枚一枚測るたび、
体調が悪くなる、と話していた千代さん。

もちろん、気をつけられる限り、防護してはいたけれど、
でも、若い子にはこの被ばくする作業はさせられない、と話していた千代さん!

そういう話を聞くたび、「余命1年の会」の話を思い出して、命がけで研究をすると言ってたことを思い出して、
でも千代さん、体大切にしてください、生き延びる約束したでしょ??と言ってました。

********

原発事故の取材や研究をしていた私の周りの方々が、これで6人亡くなりました。
みな素晴らしい仕事をしてらした。

思えば、自死を決意した方とか、余命が短いことを知ってる方、命がけの方が、全力で動いてくださってたんだと思います。
千代さんは、自分の命を削りながら研究してらした。

千代さんと話してたことのひとつ。
正義だからといって報われないし、悪人が因果応報ってこともない。
頑張ったって、しょうがないことも多い。ていうかそればかりの気もする。

でも、そんな世の中、イヤじゃんね!!!

たぶん、人はいつでもすぐ死ぬから、生きてる私は動きます。
本当はもっと動きたかった人々を知ってるから。

千代さんの告別式は明日、11月1日です。
海外の研究者からも、千代さんの研究をたたえ、その死を悼むメッセージが続々と届いています。

野原千代って、蝶々みたいなお名前で、優雅で気高くて、あっという間にお空に行ってしまった千代さん。

そっちの世界から力を貸してね。
でも、早すぎるけどね!!
崖っぷち研究所の件はどうすんのさー!
岩路さんが亡くなったときみたいに「約束も計画も宙ぶらりんだよ!」と怒るのが、私1人になってしまうなんておかしいよー。

千代さんは本当に本当に本当に、生き延びてほしかった。
でも、一番そう思ってるのは千代さん自身だよね。
この世の中に、絶対に欠かせない方でした。
貴女がいてくれてよかった。

千代さん、今は苦しくないところにいらっしゃいますように。
千代さんの素晴らしい研究が続くように、広まるように動きます。
そして、千代さんが考えてた、切り捨てられる方が少しでも減る世の中になるよう動きます。
千代さん、本当にありがとう存じました。

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4 コメント

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Unknown (sarah)
2015-11-02 23:50:25
「正義だからといって報われないし、悪人が因果応報ってこともない。
頑張ったって、しょうがないことも多い。ていうかそればかりの気もする。

でも、そんな世の中、イヤじゃんね!!!

たぶん、人はいつでもすぐ死ぬから、生きてる私は動きます。
本当はもっと動きたかった人々を知ってるから。」

深いため息とともに何度も読み返しました。

野原千代さん、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
sarahちゃんへ (まうみ)
2015-11-03 12:20:44
でもきっと、彼女の意思と願いは、マコさんやその他の身近に接していた人々に、
そしてわたしたちのように、心を打たれながら読んだ者たちに、
しっかりと受け継がれていくと信じています。

そのことを、千代さんは、ちゃんとわかって逝かれたと思っています。
魂は永遠に (太田 圭美)
2015-11-08 04:04:32
思わず涙があふれました。
私は4才くらいの頃、すごく印象に残っている出来事がありました。外で1人で遊んでいたら可愛い小さなチョウがチラチラと飛んでいました。両手でそっとつかまえては手を開いてそのチョウを見つめていました。またつかまえてはにがして…またつかまえて…その小さなチョウとの遊びが大好きになりました。ある時またそのチョウをつかまえた瞬間、「世界を救う方法」みたいなことを教えてくれたのです。チョウが教えてくれたとはっきりと分かりました。世界情勢も世の中を知らない幼児にもそれがとても素晴らしいことだとはっきり感じて、すごく感動しました。お母さんに今すぐ伝えたいと急いで家に帰りましたが、その途中で、教えてもらった素晴らしい方法が全く思い出せなくなり、泣きました。さっきの出来事が素晴らしすぎて、お母さんに伝えられないことが悔しくて悲しくて泣きました。そのまま誰に話すこともなく私は大人になりましたが、今でも忘れられない衝撃なのです。あのチョウは今はあまり見ない気がするけど…とふと気になって、子どもの頃遊んだチョウを画像検索で探していたら、すぐみつかりました。それがまちがいなくヤマトシジミだったのです。なんだかその時のことを強烈に思い出してしまって、あのかわいいヤマトシジミと野原千代さんが重なってしまって、涙がとまりませんでした。きっと野原千代さんの想いは叶うと、そう決まっているように思えて仕方がないのです。こんな方々がいらっしゃったというだけで感謝です。誇りに思います。日本に生まれてよかったと心からおもいます。想いは広がり繋がり続けます。きっと。これからもずっと。
応援しています。
勝手な投稿、失礼いたしました。
圭美さんへ (まうみ)
2015-11-08 12:47:16
コメントをありがとうございました。
圭美さんが小さな蝶から教えられたという『世界を救う方法』のようなことについて、想像をふくらませながら読ませていただきました。
貴重なお話をありがとうございます。

言葉にならないほどに心が動かされた4歳だった圭美さんは、今もその光をちゃんと心に留めながら生きておられるのだと思います。
ヤマトシジミという蝶のことを思い出すと、かならずレンゲ畑が目に浮かびます。わたしは昭和のど真ん中に生まれ育ちましたので、小さい頃はまだ、ヤマトシジミが遊べる場がたくさん残っていました。

野原さんの想いが叶う、そう決まっている。

圭美さんのその言葉はきっと、野原さんに届いていると思います。
この広がり、つながりを、わたしも大切にしていきたいと思います。
今後もどうぞ、よろしくお願いします。

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