ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国『謹賀新年』事情

2017年01月03日 | 米国○○事情
年がすっかり明けて早3日目。
いつもなら、大晦日の夜は、家族だけで年越し蕎麦をいただき、カウントダウンの様子をテレビで観ながら、「明けましておめでと〜!」と、こじんまりとお祝いするのだが、
今回は夫の大学時代からの友人夫婦スコットとベニースから、ぜひ我々と一緒に新年を迎えようというお誘いがあったので、行ってみることにした。
本音を言うと、息子たちと夫と4人で、家の台所でお祝いするのが一番好きなのだけども、息子たちももう30歳と28歳。
友人たちと一緒に、ワイワイとカウントダウンする方が楽しかろう。
なのに、お正月は家族でと、こだわっている母親に気遣って、パーティを蹴ってうちに帰って来ているかもしれない。

お言葉に甘えて行かせてもらうね、と返事をしたら、どどどっとメールが送られてきた。
「まず、プリンストンの我が家に来てくれ。
そこからそれぞれの車で、カムデンの川岸まで行って、花火見学をする。
それからフィラデルフィアにある、ボクの通勤用のアパートメントまで行って、イタリアンレストランで食事をし、
その後、アパートメントから徒歩5分のところにある、メイシーズのホールで行われるパーティに出かけて、そこでカウントダウンをし、
翌朝の朝は、ママーズ(Mummers)と呼ばれる仮装パレードを見学しよう!
特別なダイエットをしているまうみにも、楽しんでもらえるような食事を用意したいんだけど、何を食べないんだっけ?
寝室は、すぐ近くにバスルームがある部屋を用意してあるからね」

いやもう、すごく盛り上がっている。
この一連の年越しイベントに参加するのは、我々二人とスコット、そしてベニースと彼女のお母さんのエフィさんとお姉さんのアードリィ。
みんな近所に暮らしているという、アメリカではとても珍しい一家なのだ。

カムデンは、対岸にフィラデルフィアを見る、今はすっかり寂れてしまったけれど、キャンベルスープという大手の缶詰スープ工場で有名な町。
そこで、新年を祝う花火が上げられるのだそうだ。
車から降りて、川岸まで歩いたのだけど、いやもう寒いったらない。
エフィさんは大丈夫だろうかと、手を繋いで一緒に歩いていたら、「去年はもっと寒かったのよ」と言うではないか!
やっぱり花火は夏だよ夏!
花火は15分ぐらいで終わった。
寒かったから、それぐらいの短さで十分だ。
でも、いい花火だった。
冬の空の冷たさを、キラキラと色とりどりの光で温めてくれた。

アパートメントに着き、その建物の中に入ってぶったまげた。
コムキャストという、巨大ケーブル会社の役員をしているスコットは、普段はプリンストンの家から1時間ほどかけて通勤しているのだが、
朝の7時半から会議があったりする日は大変だからと、会社のすぐ近くにあるアパートメントを買った。
その会社は、フィラデルフィアの街の、まさにど真ん中、ウィリアム・ペンが塔のてっぺんにすっくと立っているので有名な、市役所の建物のすぐそばにある。
アパートメントもそのそばにあるので、部屋の窓から会社の建物が見える。
アパートメントといっても、まるでホテルのようだった。
「これってどう見てもアパートメントには見えないね」と言うと、
「実はここ、ホテルと繋がってるんだよ」とスコット。
「でも、そういうサービスを受けたとしても、ここはアパートメントでボクたちは住民だから、チップを払ってはいけないことになってるんだ」
わたしたちの荷物を部屋まで運んでくれた人に、チップを払わなかった意味がやっとわかった。

部屋からの夜景。右下の長四角はスケートリンク。


イタリアンレストランでは、大晦日仕様のメニューになっていて、値段が書かれていなかった。
う〜ん…ちょっと怖いかも…。
わたしはエフィさんと話したかったので、彼女の前に陣取って、いろんな話をした。
エフィさんは台湾人で、とてもきれいな日本語をゆっくり話す。
歴史に疎いわたしは、これまでにも、エフィさんからたくさんのことを教えてもらった。
50年の占領時代に行われた国語運動のこと、日本語家庭のこと。
エフィさんの家族は、政府関連の仕事をしていたので、嫌な目にはほとんど遭わなかったらしい。
「けれども、いろんなことがありましたね、あちこちでは」と、穏やかな表情で語るエフィさんは、4回もの癌からのサバイバーなのだ。
2回の乳癌、喉頭癌、そしてそれが転移した首の付け根部分の癌。
彼女の強さとしなやかさ、そして穏やかな笑みは、わたしの目標でもある。

レストランの中は大にぎわい。
ドレスを着た女性も多かった。
そこだけでも十分うるさかったのだけど、カウントダウンパーティの会場に足を踏み入れた時のうるささといったらもう、その比ではなく、マジで耳がツーンとした。
大人がみんな、ダンスというよりピョンピョン飛び跳ねている。
舞台ではバンドが、大音響で演奏している。
ほとんどの人たちが酔っ払っていて、カクテルドレスの女性の露出度もすごい。
わたしたちは、ものすごーく場違いなグループで、ほんとはすぐに退場したかったのだけど、カウントダウンまで20分だったので、とりあえず頑張ることにした。
エフィさんのことが心配だったけど、彼女はすっくと直立しながら、その大騒ぎの様子を眺めている。
わたしなんかよりよっぽど大丈夫なのだ。
配られたシャンパンで乾杯して、そそくさとその場から出た。

わたしたちに用意してくれた部屋は、スコットとベニースの寝室で、だから他の4人は、リビングで雑魚寝しなければならないことを知って、かなり申し訳なかったのだけど、
4人は全く平気な様子で、ごちゃごちゃ言っても始まらないと、腹を括ることにした。
申し訳ない割にはとてもよく眠り、快晴の朝を迎えた。
夫とわたしのために、グルテンフリーのパンや紫コーンのグリッツなどを用意してくれたべニース。
みんなでワイワイやっている間に、下の方から賑やかな音が聞こえてきた。

この仮装パレードはコンテスト形式で、テントにいる審査員の前で演技をするのだけど、そのテントがアパートメントの真下にあるので、ある意味特等席とも言えるかも。


外はとっても良い天気。
ウィリアムさんがすぐそこに。


お、始まった。






















個人演技の次は団体。
いやもう、これって、もしユニフォームを貸してもらえたら、わたしでもすぐに参加できるかも…。








このチームが一番のお気に入り!






え?野球?




今回ので1番大勢のグループ。


2階のバルコニーからだともっと良く見えるからと、みんなで2階に降りた。
ここには、このアパートメントの住人専用の居間と視聴室、そしてトレーニングジムとプールがある。










演技が終わって、










エフィさんに大津祭のお囃子を聞かせている夫。


バルコニーから見えるスコットの会社ビル(真ん中の、背高なガラスビル)。


みんなにお礼を言ってさよならした。
道路規制が夜まで続くので、街の外れに停めた車まで、テクテクと歩いて行く。
いろんなグループが、いろんな通りで待機したり練習したりしている。












このグループは、モーツァルトの曲を演奏していたのだけど、コーチがけっこう厳しかった。


自然博物館の前。


彼らが通り過ぎた後に、ビールの匂いがプンプン?


フィラデルフィア的な風景。


スコットの会社のビルを、今度は下から見上げる。




彼も、とても珍しく、完治がとても難しい癌のサバイバー。
つい先日、10年が過ぎて、もう再発の心配は無いというお墨付きをもらった。
彼はその当時、ベルギーで電話会社を立ち上げていて、耳に付ける携帯電話の開発をしていた。
その携帯電話を装着していた部分に癌が発症したことから、携帯電話と癌の発症に何か関連があるのではないかという警告を込めて、彼は本を書いた。
彼は右頬は、癌の組織を根こそぎ取り除く手術のため、深くえぐられている。
この10年は、彼にとっても、もちろん家族にとっても、とても大変な10年だったと思う。
おめでとうスコット!


元旦の昼過ぎに家に戻ると、ほぼ徹夜だったパーティから、長男くんがもう戻っていた。
お雑煮を急いで作り、作っておいたおせちを並べ、すき焼きの準備をした。
次男くんは今年は帰って来ないと言っていたので、歩美ちゃんも呼んで一緒にお祝いをした。
歩美ちゃんには、元旦早々、猫たちの食事やりの用事をお願いしてしまったので、そのお詫びも兼ねて。

今年はほとんど作らないつもりでいたので、なんとも質素なおせちになった。


お雑煮を作ったら、もうこんなちょっぴりになってしまった手前味噌!
2.5リットルの容器にいっぱいあったのに…ぐすん。


すき焼きのお肉が残ったので、ごぼうを入れて佃煮にしたら、これが大好評。
家に居る間ずっと、健康的な食事だ〜と感動しながら食べていた長男くんに、お土産セットを用意した。
彼が一番好きだという日野菜と佃煮。


親より稼いでいるとはいえ、まとめて返し続けるのは大変だったろうに、彼は大学を卒業してから7年で、学生ローンの借金を払い終わった。
こちらも日本と同じく、この学生ローンに高い利息がつく。
最低金額で支払っている元学生は特に、利息の分を払っている期間が長くなってしまう。
これを変えなければならないと、必死で訴えていたのがバーニーだった。
学びたい学生に貸す金に、利息なんてつけるな!絶対に間違っている!と、鼻息も荒く怒っている母を、返し終わった息子はどんな気持ちで見ていたのだろう。

引き続きできるだけ貯金をして、これからまた学びに戻る大学生活の足しにするという長男くん。
親のふり見て我がふり直す…。
次男くんもそうだけど、我が家の息子たちはなかなかにしっかりしている。
ありがたやありがたや。
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4 コメント

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初めまして (ある在日)
2017-01-04 22:48:43
アメリカ!いいですね!私みたいな被差別最貧困層に生まれた人間には、憧れの国!私にこそ相応しい国だと思う!
世界中から虐げられた方々が生き場を求めて集まり、堂々とアイデンティティを出して生きていける国!
本当に、物心ついた頃から移住したかった!しかし時が経つに連れ、被差別層でも最底辺の者には、現実には選択肢がないことが解る。
無念しかない。主さんが羨ましい。
ある在日さんへ (まうみ)
2017-01-05 10:58:29
コメントをありがとうございました。
ある在日さんの立ち場や環境を理解できるはずもないわたしに、答えられる言葉などありませんが、
こちらに移住して17年近くが経とうとしている今、ここでの暮らしを続けて来た自分の経験と感想については、少しですが語ることができると思います。
こちらでのはじめの5年間は、生活保護を受けなければならないような状態でした。
その間の苦しさと、言葉が通じない辛さ、これまでの人生経験がほとんど通用しないことへの落ち込み、それらの負の感情に巻き込まれて、深い穴の底に落ちているような毎日でした。
健康保険の理不尽なほどの高額請求にもとても苦しめられ、病気になってもろくに治療も受けられないという暮らしの中で、子どもたちは何度か、とても深刻な状況に陥ったこともあります。

でも、確かに人は素晴らしく、妙なしがらみや固定観念も無く、新しい人、文化、習慣を、快く受け入れてくれます。
わたしもこちらに来てやっと、心が解放されたような気がします。

ある在日さんも、無念に縛られず、強く望んでみてはいかがでしょうか?
夢は思い続けることで、突然叶うことがありますから。
Unknown (Unknown)
2017-01-05 15:54:49
ご結婚を機に、移住されたのですか?
私も高校の頃色々調べましたが、生活保護はおろか、移住だけでもかなり困難ですよね。特に9.11以前と以後では大きく変わったとか。
ワーキングビザを取ろうにも、そもそも日本で(他の先進国の)ワーキングビザを取れるようなスキルがつく仕事につくこと自体が、私のような生まれ育ちの者には不可能に近い。
昔は、何も持たず文字通り着の身着のままアメリカに移住してきた移民も多かったみたいですから、アメリカの門戸も次第に固くなってますね。
あと30年ほど前に生まれていたら、世界的にもまだ景気がよく、どこの国も色々と適当な部分があったので、私のような生まれでも何かしら糸口が掴めたのかもしれませんが。

実は観光ビザからの不法移住も視野に入れて考えています。そのためにパスポートも取りました。
が、しかしこれがまた日本人と違うところで、在日は一年以上日本を離れると日本永住資格が剥奪されるんです。
そのときに見つかって強制送還をくらったら、私は日本に戻れない。かと言って韓国語を話せるわけでも、ツテがあるわけでもない。
アメリカにはヒスパニックの不法滞在の方も多くおられるそうですが、地続きですからね。私はそれより遥かにリスクが高い。
一度強制送還をくらったら、もうアメリカには戻れないでしょう。アメリカどころか、何も知らない韓国に行くしかなくなる。

不法移住それ自体のリスク、そしてそれが失敗したときのリスクを考えて、二の足を踏んでいる状態です。
ある在日さんへ (まうみ)
2017-01-07 14:33:33
いいえ、再婚後8年間は日本で暮らし、夫のこちらでの仕事がきちんと決まって初めて、移住を決心しました。
夫はアメリカ人ですが、職がないまま家族を抱えて移住することは、恐ろしくてできなかったからです。

確かに、9.11以降は、様子がじわじわと変わってきました。特に移民の人たちに対する管理や法律が厳しくなってきているように感じます。わたしや息子たちは、こちらに移る前に永住権を取得していましたので、取得するのにたいそう苦労しましたが、それでもこちらでなかなか取れずに困っている人たちに比べるとましな方だと思います。

ワーキングビザなども色々と厳しくなってきました。
特に、あと何日かすると大統領になる人が騒がしいことを言っていますので、さらに厄介なことになるかもしれません。
不法移住はまず考えられないと思います。
何より、こちらでの暮らしには、相当の英語力が必要です。ある在日さんは、アメリカへの移住を考えておられるようなので、英語には自信がおありなのでしょうけれども、やはり日常の中で、母国語なら難なくできることも、なかなか難しくなります。

アメリカにこだわらず、アジアや欧州など、もう少し暮らしやすい国を探してみるのもいいのではないでしょうか。

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