杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー「藤田千恵子さんと行く奈良京都酒造聖地巡礼」その2

2016-08-08 10:43:43 | しずおか地酒研究会

 奈良京都酒造聖地巡礼のつづきです。

 8月1日、大神神社はお朔日詣りの日。毎月1日のお朔日詣りは昨年の元旦にお詣りして以来です(こちらをぜひ)。このときは取材執筆中の「杯が満ちるまで」が無事刊行できるようにとお祈りし、今回は無事の刊行に感謝の報告をするお詣り。せっかく門前の宿に前泊したのだから早朝の静寂した時間帯にお詣りしようと、朝風呂に入って身を清め、7時前に出かけたら、参道や境内はお朔日詣りの人々でいっぱい。特別な例大祭でもない月次のお詣りにこれだけ多くの善男善女が集まるとは、この神社がいかに地域の人々に愛されているかが伝わってきました。

 今回のお詣りは、大神神社の分社である岡部の神神社を信仰する「初亀」の蔵元橋本謹嗣さんが、神神社を通じて事前に連絡を入れてくださったようで、焼津ご出身の大神神社権禰宜・神谷芳彦さんが我々一行の巡礼導師となってくださいました。ポケモンGO禁止の貼り紙は今年限定のトピックスかも!と橋本さんをモデルにみんなが記念撮影(笑)。

 

 

 大神神社のご神体は高さ467mの三輪山です。全山が杉、松、ヒノキで覆われ、太古より神が鎮まる聖なる山と仰がれ、大国主命が自らの魂を「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」の名で三輪山に鎮めたと記紀神話に記されています。

 大物主大神は国造りの神であり、農工商すべての産業、方除、医薬、造酒など人間の暮らし全般の守護神。境内には寛文4年(1664)徳川家綱によって再建された拝殿(重要文化財)以下、商売繁盛の「成願稲荷神社」、杜氏の祖先神である「活日神社」、薬の神様である「磐座神社」、知恵の神様「久延彦神社」などさまざまな摂社が点在し、全部をじっくりお詣りしたら丸一日かかってしまいそうでした。

 神谷さんが真っ先に案内してくださったのが、杜氏の神様活日神社(いくひじんじゃ)です。

 日本書紀によると、10代崇神(すじん)天皇の御代、疫病が大流行。天皇は大物主大神のお告げを受け、三輪山大神の祭祀を行い、高橋邑の活日命(いくひのみこと)にお神酒を醸す掌酒(さかひと)の任を命じます。活日命は一夜にして大変な美酒を醸し、天皇に

「この御酒は わが御酒ならず 倭なす大物主の醸みし御酒 いくひさ いくひさ」

という歌を捧げたそう。これによって、三輪の大神は酒造守護の大神になり、活日命は杜氏の祖神になったということです。

 

 神話の世界のお話ですから、いかようにも解釈できると思いますが、国が危機的状況に陥ったとき、酒がどのような存在感を示したのかを想像し、実際に酒造業にかかわる橋本さんや杉井さんはもちろんのこと、我々のような周辺の者もあらためて身が引き締まる思いがしました。

 

 こちらの記事にも書きましたが、大陸から稲作が入ってきて農耕社会が構築された弥生時代、もっとも大切にされたのはその年に最初に実る初穂で、初穂には大いなる霊力があると信じられていました。初穂と、初穂で醸された酒を神々に供え、そのお下がりを収穫祭でいただく。穀霊が宿った酒に対する人々の畏敬の念は計り知れなかったと思います。今の日本人が酒を必要とするのは、国が揺れ動くとき、というよりも、個人の心が(いいほうにも悪いほうにも)揺れる時、かもしれませんが、このような場所をお詣りすると、日本酒が日本人の民族の酒であると強く確信できる。昔から歴史が好きで神社仏閣巡りをしていた自分が、酒を伝える仕事をするのも、ごく自然に日本人たる己のルーツを辿る営みなんだろうと思えてきます。

 

 神谷さんにご案内いただいた最後のお宮が、大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)。三輪の若宮さまとして親しまれているそうですが、パッと見は神社じゃなくてお寺。それも道理で、明治以前は大御輪寺(だいごりんじ)という神宮寺で、仏像ファンならお馴染み天平仏の傑作・聖林寺の国宝十一面観音がご本尊だったそう!明治の廃仏毀釈で大御輪寺は神社に変わり、観音様は多武峰の聖林寺に移されたのです。明治以前、三輪の大神様のご子孫・大直禰子命と十一面観音様が並んでお祀りされていたころは、今でいう凄いパワースポットだったんだろうな…と想像し、日本の神と異教の仏をごく自然に受容していた神仏混合時代の日本人を、どこかうらやましく思いました。

 

 拝殿向拝の大杉玉、11月13日に架け替えられ、翌14日には醸造安全祈願祭(酒まつり)が斎行されます。今年はぜひ参拝したいなと思っています。ご神体の間近にレンズを向けるのははばかられましたので、写真はいただいた資料からコピーさせていただきました。