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立秋の誤解

2016-07-12 10:00:42 | 年中行事・節気・暦
 カレンダーを見ると、今年の立秋は8月7日ですが、8日になる年もあります。立秋となるたびに、「暦の上では秋となりましたが、・・・・」、「暑い盛りなのに秋だなんて・・・・」とか、暦と実感する季節との差を問題にする言葉をよく耳にします。そしてその原因は、「そもそも中国の暦を日本にそのまま当てはめること自体がおかしい」ということに行き着いてしまうのです。このようなことを聞くたびに、暦と季節の関係についての無理解が嘆かわしくなりません。

 私のブログでことあるごとに書いてきたのですが、ここであらためて季節と暦について確認してみましょう。季節というものは、地軸が傾いたまま地球が太陽の周囲を公転することによって変化します。地球の公転について、人はどこかに原点を設け、そこを基準として公転や季節の変化を具体的に把握しようとするものです。原点が定まらなければ、数えようがないからです。その原点の決め方について誰もがわかるのは、太陽の高度が最高になる日と最低になる日でした。これは地球のどこで測ってもほぼ同じことです。もっとも北半球と南半球では高低が正反対になりますが・・・・。太陽高度を測るといっても太陽を見つめることはできませんから、一日の中で影が最も短くなる瞬間、つまり南中時の影の長さで測ります。そして影が最も短くなった時、その影の先端に目印をつけ、また最も長くなった日の影の先端にも、同じように目印を付けます。この二つの目印を結んだ線は南北を指し、その中間地点にも目印を付けます。こうすることによって、一年という期間が、四等分されました。つまり夏至・冬至と、春分・秋分の日が決定されたのです。これを二至・二分と言います。

 わかりやすいように別の視点から同じことを説明してみましょう。宇宙に壮大な太陽・地球時計を想定して下さい。文字盤の中心には太陽があり、回転する針の先端には地球が付いています。針は一年で一周します。ただし時計とは反対の左回りに回転します。12時の位置を冬至と仮定しましょう。そうすると6時の位置が夏至になります。そうすると9時が春分、3時が秋分となるわけです。こうして一年が太陽高度、つまり影の長さで四等分されました。

 一年間という長い時間を把握するのには、目盛りが二至二分の四つだけでは粗すぎますから、その四つの目盛りと目盛りの中間地点にさらに目盛りを刻みます。つまり冬至と春分の中間、時計では10時半の位置を立春。春分と夏至の中間、時計では7時半の位置を立夏。夏至と秋分の中間、時計では4時半の位置を立秋。秋分と冬至の中間、時計では1時半の位置を立冬とします。こうして二至・二分・四立(冬至・夏至・春分・秋分・立春・立夏・立秋・立冬)が決定し、一年間が八等分されました。

 さあここまで振り返って、気温は全く問題にされたことがなかったことを確認して下さい。あくまでも太陽高度(影の長さ)によって、機械的に一年間を八等分しただけなのです。これは新暦・旧暦の違いには関係ありません。また日本で測っても中国で測ってもほぼ同じことです。南半球のオーストラリアで測れば、夏と冬、春と秋が逆にはなりますが、目盛りの位置は同じことです。

 そして中国では、影の最も長い日をピーク(至)として、その前後の期間を含む四分の一年を「冬」(トウ)と名付け、そのピークの日を「冬至」と呼びました。同じようにして最も短い日をピークとして、その前後の期間を含む四分の一年を「夏」(カ)と名付け、そのピークの日を「夏至」と名付けました。そしてその残りの四分の一の期間を「春」(シュン)「秋」(シュウ)と名付け、それぞれの真中の日を「春分」「秋分」と名付けました。

 太陽高度の観測によるこのような暦の理解は、古代の日本にはありませんでした。西暦554年に百済から医・暦・易博士が渡来し、602年にも百済僧観勒が暦法を伝えました。おそらくこの頃までにはこのような知識は伝えられていたはずです。そして春・夏・秋・冬(シュン・カ・シュウ・トウ)には日本古来の「はる・なつ・あき・ふゆ」という和名を当てはめ、漢字をそのまま受け容れたのです。つまり四季の漢字に、音読みと訓読みが与えられたのです。それ以前の大和言葉としてのはる・なつ・あき・ふゆには、その境となる日を設定するという明確な線引きはなかったことでしょう。ただ寒い時期を「ふゆ」とし、暑い時期を「なつ」とし、その中間の時期を「はる」「あき」とする程度の理解だったと思われます。季節の境の線引きは、太陽高度の観測によってはじめて可能になるからです。

 こうして私達日本人の祖先たちは、「冬とは、冬至を中心として、その前後の寒い時期」、「夏とは、夏至を中心として、その前後を含む暑い時期」、「春とは、春分を中心として、その前後を含む暖かい時期」、「秋とは、秋分を中心として、その前後を含む涼しい時期」という季節理解をするようになったのです。寒い季節を冬、暑い季節を夏、暖かい季節を春、涼しい季節を秋と名付けたわけではなく、あくまでも季節の境の線引きの基準は、太陽高度(影の長さ)によるのです。

 さあここまで読んで下さった方は、きっと理解してくださったことと思います。ところがネット上には、季節と暦についての誤解が氾濫していますので、いくつか拾ってみました。まるまるコピーしていることは、ことの性格上お許し下さい。

①「しかしながら、そもそも二十四節気は中国から伝わったものなので、気候や風土が違う国の季節感がそのままぴったり日本に当てはまるものでもないと思います。」

②「二十四節気は古代中国の黄河中流域のいわゆる内陸部で生まれ、そこでは1年で一番暑いのは夏至を過ぎたあたりで、1日の最高気温が下がり始めるのも立秋を過ぎたころからです。気温の変動と二十四節気はほぼ一致しているわけで、そしてその二十四節気がそのまま島国の日本に伝わりました。四方を海で囲まれた日本の気温は海水温の影響を受けやすく、海水温の比熱のために気温の変化が遅れます。そのため、同じ時期でも二十四節気の季節感、つまり中国の内陸部と日本では季節感は違って当然ということになります。日本での二十四節気が季節感を取り入れた中国のものより一ヶ月遅れたものになったたらよかったのに、と思ってしまいますね。」

③「中国、といっても黄河の中流域。古代中国で王朝の治乱勃興が繰り返された中原(ちゅうげん)と言われる辺りが、二十四節気の生まれた場所です。大陸の内陸部です。その昔地理で勉強したところによれば内陸性気候とは、寒暖の変化が激しく、乾燥した気候。現在日本で使われる二十四節気はここで生まれたものをそのまま用いていますから、今回採り上げた「立秋」も日本の気候に合ったと言うよりは大陸内陸部の「中原」の気候にあったもの。この中原付近の気候からすると、立秋の頃は気温が一番高い時期から半月~一月程後の気候。これに対して周囲を海に囲まれて気温の変化が太陽の動きからずれる傾向の強い日本では、この立秋の頃が暑さの一番厳しい時期となってしまいます。」

④「二十四節気は中国古代に生まれました。そのころの文化の中心は現在の太原市が位置する黄河中流域でしたから、二十四節気の「節気の名称」にその地の気候が反映されたのは当然のことです。そしてそれが遠く離れ、気象条件の異なる日本に伝えられてきても、そのままの形で使い続けられているのですから、我々の感じる季節と二十四節気の間にずれがあるように感じられるのは仕方のないことでしょう。」

⑤「西安市での季節感覚である用語を気候の違う日本でそのまま借用していることが,「きょうは立秋ですが…」の理由かと思われます。」

⑥「実は、この立秋というのは二十四節気(にじゅうしせっき)という中国で考案された季節の分類法なんです。つまり中国の気候に合わせて作られたので日本の気候とは食い違いが生じているわけですね(以前には日本に合った日本独自の二十四節気を作ろうという動きもあったそうですが、反対意見が多く中止されたそうです)」

 共通しているのは、中国で生まれた二十四節気を、そのまま日本に当てはめるから実際の季節感とのずれが生じるという理解でしょう。しかし二十四節気の中には、「芒種」のように農業と密接な関係を持っているものもあります。このような呼称については、中国の特定の地域の農業を反映していますから、そのまま日本に当てはめることには無理があります。しかし二至二分四立については、世界中どこでもほぼ同じで、中国の立秋は日本でも立秋なのです。ただし中国や日本以外の地域の季節の線引きが日本や中国と同じであるかは、また別の問題です。世界の気候を考えてみると、そもそも四季がほぼ同じ長さで巡ってくることの方が珍しいからです。

 私は古歌の歳時記の研究をしていますが、古人は涼しくなったから秋を感じるのでありませんでした。暑いさなかに一瞬でも涼風が吹いてくると、そこに涼しさを予感し、秋が空には来ていることを実感したのです。これ以上は暑くはならないというところに「秋の気」を感じ取ったのです。言い換えれば、暑い盛りであるからこそ、「秋の気」を感じ取ることができるのです。この繊細な感覚が、日本人が伝統的に持っていた季節理解の根底にありました。部屋の中に入れば途端にクーラーの冷気にホッとする現代の生活をしていると、そのような繊細な感覚は次第に麻痺してくるのかもしれません。我が家にはクーラーはありません。暑くても扇風機があれば凌げます。それで人一倍、そのようなことに敏感であるのかもしれませんが。

 余談ですが、今日は7月12日というのに、我が家の周辺では、春の鳥とされる鶯が盛んに鳴いています。それでも8月の半ばには鳴かなくなるでしょう。夏の鳥の時鳥も時々聞こえます。そして早くも秋らしい数十匹の赤とんぼが、翅をきらきらさせながら滑っています。庭には女郎花が咲き、散歩道には葛の花が落ちています。季節は混沌としながらも、少しずつ移ろいつつあります。


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