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「御中元」の起原

2017-07-20 13:38:06 | 年中行事・節気・暦
 中元は日本では一般に「御中元」と称して、7月15日頃に御世話になった人へ感謝の贈り物をすることを指すようになっています。しかし本来は中国の土俗的宗教である道教の「三元」と呼ばれる節日の一つでした。三元は上元(1月15日)、中元(7月15日)、下元(10月15日)からなっているのですが、それぞれの日は、道教の神の一つである「三官大帝」と呼ばれる天官・地官・水官の誕生日とされました。そして三神のうち、上元である1月15日には天官が人界にに降臨して人々に福をもたらし、中元である7月15日には地官が降臨して人々の罪を許し、下元である10月15日には水官が降臨して人々の厄を祓うと信じられていました。この三神の信仰は後漢時代には確認されていています。これらの三元の信仰の中では、中元だけが日本に伝えられ、同じ7月15日に行われる盂蘭盆会と習合して定着しました。

 盂蘭盆会は亡くなった父母や祖先の霊を迎えて供養する仏事ですが、健在している親を「生身霊」(いきみたま)と称し、感謝してもてなす風習がありました。天明三年(1783年)に出版された季語の解説書である『華實年浪草』には、およそ次のようなことが記されています。「七月に公家や武家の家では、生身霊(いきみたま)、生盆と称して、父母に蓮飯や刺鯖を供えてもてなすことが行われる。一般庶民の間でも同様である。また親戚の間でも相互にこれらを贈って祝う。『和漢三才図会』によれば、刺鯖は中元の日の祝いである。鯖を背開きにして(塩干しにしたもので)二尾を一連とした干物で、能登産が最上、越中産がこれに次ぐ。蓮の葉で糯米(もちごめ)を包んで蒸した蓮飯は、亡き父母の霊前にも供えるが、親戚にも贈るのが礼儀である。これを『いきみたま祭』という。また『閑窓倭筆』には、我が国の七月の風習として、『生身霊』と称して健在するする父母を供養することも、盂蘭盆の修行となる、と記されている。」というわけです。このような風習は、七夕の7月7日もに行われることもありました。旧暦ならば七夕の一週間後には盂蘭盆が始まりますから、両者の風習が習合してしまった結果でしょう。中には「鯖代」と称して、鯖の干物ではなく、現金を贈ることもあったようです。このような生身霊の風習は、室町時代の公家の日記にも見られますから、その頃からの風習と見てよいでしょう。

 このように盂蘭盆には、両親はもちろんのこと、普段から世話になっている親戚に蓮飯や刺鯖を贈って感謝の意を表すことが行われていましたが、7月15日は人の罪を許す慈悲の神である地官を祀る日でもあったため、生身霊の風習と許しを請う中元の信仰が習合し、この日に普段から御世話になっている人に対してものを贈って、平素に無沙汰をしている非礼を謝罪するとともに感謝の贈り物をもって挨拶に行く風習が生まれました。これが現在のいわゆる「御中元」の起原となりました。このような風習は明治以後にも継続されますが、遠く離れている人へも送るようになるのは、もちろん郵便制度や宅配便の制度の発達に伴うことであるのは言うまでもありません。現在の御中元商品を並べる売り場には、素麺が定番として置かれていますが、素麺は七夕や盂蘭盆会の行事食ですから、御中元の品として大変に由緒のある物と言うことができるでしょう。また7月15日がそもそもの中元の日ですから、お贈りするならこの日までに送るのが本来の在り方ということができます。






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