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私の授業 古墳時代の信仰 (1)

2016-10-17 13:57:47 | 私の授業
 以下のお話しは、かつて「もう一度学ぶ高校日本史」と題して、一般市民の方を対象とした学校公開講座での授業の一場面です。対象者は主に熟年の高齢者であり、自主的に学ぶ意欲をもっています。ですから高校の授業のレベルより少々踏み込んだ話をしても、理解する力を十分に持っています。録音をもとに再生していますが、一部省略したり加筆した部分もあります。しかし授業の全体的な雰囲気は、実際の授業そのままです。今回は古墳時代の信仰の1回目として、主に穢れと浄めという視点からお話しをしています。御参考になれば幸いです。
   

 古墳時代の人達の生活について、形に遺る物ならば、考古学的発掘で明らかになることも多いものです。実際、私は千葉県の菅生遺跡の発掘に参加して、布や琴や日常的な各種の道具を発掘し、当時の生活の様子を体験的に知ることができ、大変に驚いたものでした。しかし信仰的なことについては、祭祀遺物はともかくとして、目に見える形としてはなかなか残りにくいため、それを明らかにするためには考古学的発掘とともに、文献的に明らかにする必要があります。

 それなら古墳時代に書かれた文献があるのでしょうか。現存日本最古の文献である『古事記』は奈良時代のことですし・・・・・。それでも全く手掛かりがないわけではありません。中国の文献には、弥生時代以来の日本の様子を記録したものがありますから、参考にすることはできます。特に『魏志』の「倭人伝」には3世紀の日本の様子が詳しく記述されていて、なかなか興味深いものがあります。しかし日本の文献ではありません。

 それなら、 日本の文献としてはどんな物があるでしょうか。それは『古事記』『日本書紀』『風土記』『万葉集』など、奈良時代の文献に拠らざるをえません。編纂されたのは確かに奈良時代ですが、『古事記』『日本書紀』編纂の材料となった『帝紀』や『旧辞』は、7世紀後半の天武朝には存在していたと考えられていますから、そこに収録されている内容には、それ以前からの伝承が含まれていると理解してよいでしょう。ですから、上記の四つの文献、特に『古事記』『日本書紀』の神話や古い時期の記述には、古墳時代の信仰の断片が含まれていると考えてよいでしょう。そういうわけで、それらの文献や考古学的資料などから、当時の信仰の様子を探ってみましょう。実はその頃の信仰で、現在もなお少しばかり姿を変えて、現在まで伝えられていることが結構あるんですよ。今日の授業では、古墳時代の信仰でも、そのようなことに絞ってお話ししましょう。そういうことに絞ってお話しするのは、歴史というものは決して過去の遺物ではなく、現在という瞬間が歴史によって支えられているということをあらためて確認したいからでもあります。

 一般論ですが、信仰においては価値観ということが問題にされます。何が神の意志に添うことであり、また添わないことであるか、また何が神聖であり、その反対に何が不浄であるか、といった具合です。浄と不浄という問題は、現代日本人にもわかりやすいテーマですね。不浄は罪や穢れと言い換えてもよいでしょう。

 古代の日本人がどのようなことを浄・不浄と考えていたかは、記紀の神話の中によく現れています。現代人の誰にでも理解できるのは、記紀の神話の中で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国に死んだ伊弉冉尊(いざなみのみこと)を訪ね、腐乱している姿を見て逃げ帰り、禊ぎをする場面でしょう。つまり死は穢れであり、それは禊ぎによって浄められるという理解があったことがわかります。

 死を穢れととして忌み嫌うことは、遺体を放置しておけばどうなるかを想像するだけで、理屈抜きに納得できることであり、現代でも普通に見られることです。日本では一般的には葬儀は専ら仏事として営まれることが多いものです。葬儀に行くと、喪主の挨拶状と共に、一封の塩が添えられていることが多いのですが、それは葬儀に参列したことによって穢れが伝染してしまったので、塩によって浄めるようにとの心遣いです。

 葬儀の場にいただけで、穢れに染まるとか、葬儀に用いたものは汚れてしまうので使い回しはしないという理解は、現在でも色々な形で残っています。このことに関して、大変興味深い体験をしたことがあります。私の祖先は出羽三山の神主の家系なのですが、そのため葬儀は神式で行われます。先日に参列した葬儀では、大変な費用がかかりました。それは葬儀に使用する調度品は、すべて素木を用いて新調されるからでした。節のない柾目の通った素木の案(つくえ)の美しさに驚いていたのですが、それらは全て新調されたものであり、終われば全て然るべき方法で廃棄されるということでした。道理で高くなるわけです。

 話は先程の塩に戻りますが、そもそも塩に穢れを浄める霊力があるという理解は、塩漬けにするといつまでも腐らないという経験や、純白の色からの連想ではないかと思っています。葬儀の塩の他にも多くの例があります。わかりやすいとことろでは、相撲の各取り組みの前に、土俵に撒かれる塩でしょう。そもそも相撲は一種の神事でした。土俵は神聖な場所です。しかし一つ前の取り組みで、どちらかの力士が土俵に手を着いてしまうと、土俵には「負け」という穢れが着いてしまいます。それで次に土俵に上がる者は、塩を撒いて、穢れを浄めなければなりません。

 水で洗って穢れを浄めるとこもしばしば行われています。現代人が最も理解しやすいのは、寺社に参拝する際に、御手洗の水で手と口を濯ぐことでしょう。「御手洗」と書くと、まだ若い生徒は「おてあらい」、つまり便所のことと勘違いをしてしまうかと思っていたのですが、御手洗を知らない生徒もいたので驚きました。まして「御不浄」ではもっとわからない。でも皆さんくらいの年齢ならば、御不浄という言葉はわかりますよね。

 御手洗とは「水屋」とも呼ばれ、寺社に参拝する前に穢れを浄めるための水のある所を指していますが、原始的には、社殿の前に流れている清流でありました。「御手洗団子」という串刺しのお団子がありますが、そもそもは、京都の下鴨神社前の茶屋が売り出したことに起源があるということです。江戸時代の絵図を見ると、境内の境には「御手洗川」が流れ、茶屋が向かい合って描かれています。御手洗川の側にある茶屋で売り出して名物になったので、御手洗団子と呼ばれたのでしょう。

 平安時代のことになりますが、旧暦六月の末、半年間の罪穢れを浄めるために、社殿の側の清流で禊ぎをする習俗があり、「夏越の祓へ」と呼ばれていました。百人一首に収められている「風そよぐ楢の小川の夕暮は御禊ぞ夏のしるしなりける」という歌は、この時の様子を詠んだものです。

水によって穢れを浄める行為を「禊」(みそぎ)と言いますが、「みそぎ」は「水注ぎ」のことであるという説があります。「水削ぎ」という説もあり、本当のに所はわからないのですが、「み」が「水」であることは間違いありません。

 「水に流す」という慣用表現がありますが、わだかまりを清算することを穢れを浄めることに譬えた、日本人独特のものでしょう。現在ではさすがに本当に水に浸かって禊ぎをすることはめったに見られなくなりましたが、信心深い人は、正月や何か重大なことを祈誓するに当たり、滝を浴びたり水をかぶったり、海や川に浸かって祈ったりする。これらはみな穢れを浄めるための、古来の禊ぎに由来する信仰的行為ということができます。

 古墳時代には禊ぎとよく似た祓えということが行われていました。これはいわゆる「お祓い」として、現代でも生活の様々な場面に見られます。神前結婚式、地鎮祭、交通安全や合格祈願などをする際に、神主が御幣を下げた榊を振って、神前に頭を垂れる参拝者を浄めることは普通に行われています。

 「はらえ」なのか「はらい」なのか、そもそもは動詞の活用によって異なるのでしょうが、ここではそこまでは踏み込まないでおきましょう。

 祓が最初に記されているのは天岩戸の神話です。高天原で須佐之男命が乱暴をしたため、天照大神が天岩戸に隠れてしまうのですが、須佐之男命は、その罪を許されるために多くの贖い物を供えなければなりませんでした。そして髭と手足の爪を切られ、高天原から追放されてしまうことになります。この贖い物は「祓へつ物」とも呼ばれ、罪の償いとして差し出す物を意味していました。神社でいわゆるお祓いを受ける際に、それ相当の「祓えつ物」を差し上げることは、歴史的に見れば当然のことなのです。「高い料金をとって・・・・」などと不謹慎なことを考えてはなりません。

 神主が御幣を左右に振ってお祓いをするため、風を起こして埃を払うように浄めることを「祓」と考えられがちですが、それは本来の祓とは異なる誤解と言わなければなりません。本来の祓とは、罪の許されるために祓えつ物を供え、神前に祓詞の祝詞を奏上して祈ることなのです。禊ぎは身心の穢れを水で洗い浄めることですから、微妙に異なっています。もっとも両者はよく似ていますから、先程の百人一首の歌の「夏越の祓えとして禊ぎをする」というように、禊と祓の区別は曖昧になってきます。

 日本古来の信仰では、最も理想的な心の在り方、つまり罪穢れや邪な心のないことは、「清き明き心」「清明心」と表現されました。「汚穢」の対極が「清浄」であり、それを色で表せば「暗黒」の対極が「明白」ということになります。

 話はそれますが、子供の頃、便所の汲み取りに来る人を「汚穢屋さん」と呼んでいました。意味もわからずに言っていたのですが、今は差別用語としてもう死語になっています。でも、江戸時代には、都市近郊の農民は、肥料とするために汚穢舟に桶を積んで、少々の野菜と引き替えに、汲み取りに来ていたものなのですが。

 そこで問題となるのは、具体的にはどのようなことが罪穢れとさたのかということなのですが、それは民族や宗教によって全く異なります。旧約聖書では、贖罪のために牛や羊や鳩などの動物を屠って神前に捧げたことがたくさん記されています。当時の神殿の様子は、日本人が見たらむごたらしいと思う場面が見られたことでしょう。ユダヤ教では血は聖なるものでしたから、イエス・キリストは十字架上で流した血によって人々の贖罪を完成するとされたわけです。血は命の象徴であるが故に、血が「祓えつ物」とされたのでしょう。私はイスラエルに留学中、過越の祭という宗教行事で、目の前で生きている子羊を屠る瞬間を見て、大変に驚いたものです。

 一方古代の日本では、血は穢れと見なされていました。それは女性が汚れていると考えることにつながって行きます。『延喜式』の巻八祝詞には「六月晦大祓」が記されていて、古代における罪穢れが具体的に示されています。しかしその内容は、現代人の感覚では差別にあたる病気であったり、言葉に表すこと自体おぞましい近親相姦や獣姦であったり、田の溝を埋めるというように、今となっては罪穢れの範疇には入らないものであったり、不明なものであったりと、なかなか取り扱いが難しい。そのため神社本庁が定めている大祓祝詞では、この部分が削除されているほどのものです。そういうわけで、ここでもこれ以上あまり踏み込んだお話しはしないことにしておきましょう。

 古墳時代の信仰について、穢れと浄めという視点からお話ししてきました。禊や祓は現在でも少々形を変えながらも続いています。誰も古墳時代以来のなどとは、その都度考えるわけではないのですが、あらためてよくよく振り返ってみると、そういうことなのです。 
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