うたことば歳時記

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秋の夕暮

2016-10-08 14:58:57 | うたことば歳時記
 秋の夕暮の早いことを、「秋の日の釣瓶落とし」と言います。このことについては、先日、私のブログ「うたことば歳時記」に「秋の日の釣瓶落とし」と題して公表しておきましたから、そちらを御覧ください。

 『枕草子』の冒頭部には、「秋は夕暮。夕日はなやかにさして山ぎはいと近くなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ二つなど飛び行くさへあはれなり。・・・・・」と記されていることはよく知られています。高校の古典の教科書にも必ずと言ってよいほどに収録されていますから、日本人ならきっと「秋の夕暮れ」をそれと意識して、しみじみと眺めたことがあると思います。

秋には夕暮れが注目されたわけは、もちろんその美しい情趣に因るのでしょうが、秋の朝も昼も夜も、みなそれぞれに情趣がありますから、それだけでは秋に特に夕暮れが注目された理由にはなりません。秋の夕暮れが注目されたわけは、まずは7世紀に唐から伝来した四神思想の影響ではないかと思っています。

 四神とは、蛇と亀が合体した玄武、青龍、朱雀、白虎などの霊獣のことなのですが、この四神は四季と四方に配されます。つまり青龍は東と春を司り、朱雀は南と夏を、白虎は西と秋を、玄武は北と冬を司るものとされました。そういうわけで、秋には自然と西の方角に思いを馳せることになるのです。

 このような理解を発展させると、これを人生に当てはめて、春は青年期、夏は壮年期、秋は熟年期、冬は老齢期ということになるでしょう。また一日の時間に当てはめれば、太陽の動きに合わせて、朝は日の出の東の方、昼は太陽が南中する南の方、夕は入日の西の方に思いを馳せるのが自然です。すると秋には西が意識され、西と言えば夕日を連想しますから、西を意識する秋には、自然と夕方が注目されることになるのです。

 またもう一つの理由としては、浄土信仰の流行が考えられます。当時の人々は誰もが西方極楽浄土に往生したいと願っていました。まして人生の黄昏時とも言える秋の熟年期ともなれば、その願いも切実なものでした。西に沈む太陽や三日月を見て、この世の無常を嘆き、西方にある極楽浄土に思いを馳せなかった人は皆無だったはずです。以上のように、様々な要因が複合して、古人は秋と言えばすぐに西や夕方を連想したのだと思います。
 
 平安末期から鎌倉初期、浄土信仰が大いに流行していた頃、『方丈記』の著者として知られる鴨長明は、その歌論書である『無名抄』で、次のように述べています。 「秋の夕暮の空の景色は、色もなく、声もなし。いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、すずろに涙のこぼるるがごとし。」と。秋の夕暮れには、美しく鮮やかなものはないけれども、なぜか思わず涙がこぼれるようだというのです。

 ここに室町時代以後の美意識である「幽玄」や「わび・さび」を先取りしたような、枯淡の美しさを感じ取る感性が育っていることを見て取ることができます。これは『古今和歌集』にはあまり見られなかった美意識です。清少納言もそれなりに秋の夕暮れの情趣を感じ取っていますが、この『無名抄』に記されたような情趣とは少し異なっていたのでしょう。平安時代の末から鎌倉時代にかけて、日本人は新しい「美」を発見したと言うことができるのです。現代人は、たとえ歌を詠まない人でも、「秋の夕暮」の感傷的な美しさを知っています。松尾芭蕉の「枯枝に烏のとまりけり秋の暮」という句の情趣を、私たちは何の説明がなくとも十分に理解できることでしょう。

 古人が秋の夕暮れに特に思いを馳せていたことは、古歌によく表れています。末尾が「秋の夕暮」終わる歌は『古今和歌集』には見当たらないのですが、『後拾遺和歌集』以後にはたくさんあり、特に『新古今和歌集』の次の「三夕の歌」がよく知られています。

 ①寂しさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮(新古今 秋 361)
 ②心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮(新古今 秋 362)
 ③見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 (新古今 秋 363)

 ①の「真木」とは、堂々と真直ぐに聳え立つ姿の立派な樹木のことで、実際には杉や檜を指しているとされています。意味は、「何とも言えないこの寂しさは、特にどの色からということはないのだがなあ。杉や檜の茂る秋の夕暮れは。」とでも訳しておきましょう。おそらく黒々とした印象が勝り、『古今和歌集』以来の秋の定番の美しさであるもみぢは見えなかったのでしょう。

 ②の「心なき」とは、「情趣を理解しない」という意味で、「もののあわれをも理解しないような私でも、鴫の飛び立つ沢辺の夕暮れの情趣はよくわかることだ」「という意味です。謙遜していますが、実はそのような情趣をよくわかる人なのです。なぜなら、この歌の作者は西行なのですから。

 ③は藤原定家の歌で、大変にわかりやすい歌ですね。夕暮れ時の海辺には粗末な苫屋が並んでいるのですが、色鮮やかな花ももみぢも見えません。しかしそこに得も言われぬ情趣を感じ取っているのです。

 『新古今集』には「三夕の歌」が三つ並んでいるのですが、ほかにも「秋の夕暮れ」で終わる歌が13首もあり、常套句であったことがわかります。最後にその中からいくつか拾ってみましょう。

④村雨の露もまた干ぬ真木の葉に霧たちのぼる秋の夕暮 (新古今 秋 491)
⑤別れ路はいつも歎きの絶えせぬにいとどかなしき秋の夕暮 (新古今 離別 874)
⑥ながめても哀れと思へおほかたの空だにかなし秋の夕暮 (新古今 恋 1318)

 ④は①と同じような場面です。⑤別れはいつでも寂しいものですのに、秋の夕暮の寂寥感がそれを増幅しているのでしょう。⑥は恋の歌ですが、何と作者は鴨長明です。若い時の歌なのか、誰かに代わって詠んだものなのかはわかりません。おそらく恋の哀しみを相手に訴えて、もの悲しい空を眺めて私に同情してほしいというのです。

 私も四捨五入で70歳となり、先日、父が亡くなったばかりです。しみじみとした寂寥感をもって、ちょうど今ごろの夕日を眺めています。そこで私も一首詠んでみました。

   椎の実を拾ひつつ有馬皇子を偲びて
○椎の葉に飯盛る人の哀しみを拾ひ集むる秋の夕暮  
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