うたことば歳時記

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人日の節句(五節句の誤解)

2017-06-13 08:50:11 | 年中行事・節気・暦
ネットで人日の節句について調べていて、いい加減な情報が氾濫していることに、少し腹が立ってきました。それで季節外れは承知で、少々書いてみます。

 一般的に歳時記について解説した本やネット上には、1月7日は「人日の節句」であると解説されています。しかし日本では歴史的に、人日本来の内容を伴う「人日の節句」など、行われた形跡がありません。人日の意味がよくわかっていないようです。一般には節句には「五節句」といって、人日・上巳・端午・七夕・重陽の5つがあると説明されています。しかしこれらの節句は江戸時代の初期に、江戸幕府が幕府の式日として選定した節句であって、古来からこの五節句が行われていたというわけではありません。

 「人日」については、ネット上には以下のような説明が見られます。「古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を羊の日、日、4日を猪の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する死刑は行わないことにしていた」というのです。

 実はこの解説には根拠があって、6世紀の長江中流域あたりの年中行事について記した『荊楚歳時記』の文を、そっくりそのまま載せているのです。ですからどの解説も文言まで全く同じで、解説としてはこれ以上でもなく、またこれ以下でもありません。『荊楚歳時記』の原典を読んでいるかどうかさえ怪しくなります。みな先行する情報を意味も確認せずに書き写しているだけのように見えます。

 『荊楚歳時記』にはさらに次のように記されています。「元旦には鶏の絵を門にはる。七日には人の形をはる。現在では一日は鶏を殺さない。二日は犬を殺さない。三日は羊を殺さない。四日は猪を殺さない。五日は牛を殺さない。六日は馬を殺さない。そして七日に人を死刑にしないのはこれに拠っている。昔は鶏を磔にしたが、いまは殺さない。」というのです。動物を殺して食べることがなかった日本では、定着するはずのないことだということがわかりますね。かつては血だらけの鶏を門にぶら下げたのですから。また指定された日にはその動物を殺さないというのは、それ以外の日には普通に殺して食べていたということなのです。

 人日について述べた記事で、これまでに見たことのある文章では、小林夏冬氏による『季語の背景 (1・人日)-超弩級季語探究』という論文が最も優れています。歳時記について書こうと思うほどの人は、この論文を読まずに書くことはあってはなりません。そう思うくらい優れています。

 『荊楚歳時記』には人日の説明の他に、7日には「七種の菜を以て羹(あつもの、熱いスープのようなもの)をつくる」とも記されていて、この慣習は日本にも伝えられ、七草粥として定着しました。『荊楚歳時記』には「正月七日を人日と為す」と記されていますから、1月7日の節句を「人日の節句」と呼ぶことは間違いとは言い切れませんが、古来日本に伝えられてきた1月7日の節句の七草の風習は、「人日」という言葉とは全く無関係なのです。江戸幕府が「人日」という言葉を式日の名前に採用したため、内容の伴わない解説が流布することになってしまいました。たまたま江戸幕府が『荊楚歳時記』の「正月七日を人日と為す」という記述によって、七草粥の風習のある日を「人日」と呼び、五節句の1つとして定めただけの話です。

 ネットで「節句」と検索すると、例外なく五節句があると説明されています。しかし「節句」という言葉は、もっぱら江戸時代以降に主流になったのであって、古には「節」「節会」「節供」と言われていました。そして元日節会(1月1日)、白馬節会(あおうまのせちえ、1月7日)、踏歌節会(1月16日)、上巳節会(じょうしのせちえ、3月3日)、端午節会(5月5日)、相撲節会(7月7日)、重陽節会(9月9日)、豊明節会(11月新嘗祭翌日の辰の日)などの他にも、いくつもの節会が行われていて、決して5つしかなかったわけではありません。

 節句と言えば幕府の定めた「五節句」であると早合点し、1月7日を幕府が意味と実態を伴わないのにただ機械的に「人日」と呼んだために、七草の節句を全く関係のない「人日の節句」と呼んでしまっているのです。



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