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新年は旧暦元日からか、立春からか?

2017-02-07 21:39:08 | 年中行事・節気・暦
先日立春を迎え、新しい年が始まりました。雪国の人には申し訳ありませんが、荒川の堤防で菜の花の若菜を摘み、芥子和えや胡麻和えにして春を満喫します。そして旧暦を常に身近に感じている私としては、ようやく新しい年が始まったなと実感しています。

 しかし先月の28日、中国では旧暦の正月を「春節」と称し、故郷に帰る人で国中がごった返すというニュースを耳にしたばかりです。

 一年の始まりは、つまり起算日は立春と旧暦の元日のどちらなのでしょうか。このことについては、市民講座でよく質問されることでした。結論から言えば両方とも新年の起算日で、場面によって使い分けられていました。ですからどちらが本当なのかということではありません。

 地球の公転によって1年の周期が決まりますが、公転面のどこかに規準があって、そこに地球が達すると、カチャッとリセットされて新しい年が始まるわけではありません。地球は何も言わずにただ公転しているだけです。ですから人がどこかに基準点、つまり一年の始まりとなる起算日を設けないと、年の数えようがありません。どこにそれを設けるかは自由ですから、それが立春であっても、旧暦元日であっても問題はありません。

 どこから数え始めるかは、それぞれの歴史と伝統により、自由なわけですから、世界の歴史上、いろいろな基準点、つまり年始がありました。早い話が古代ローマでは3月から新しい年が始まっていましたから、2月が年末となり、28日という半端な日数で終わってしまうわけです。私が住んでいたイスラエルでは、9月が新年となっています。。

 日本に暦が伝えられたのは、欽明天皇15年(554年)に百済の暦博士の来日したのが最初です。また暦が実際に行われたのは、持統天皇6年(692)のことです。詳しいことは学者ではないのでわかりませんが、『日本書紀』に「春二月癸酉朔丙子」(はる きさらぎ みずのととりの ついたち ひのえねのひ)というような年月日の表記があるように、新年は正月元日から始まり、春は1月から3月、夏は4月から6月、秋は7月から9月、冬は10月から12月とされていたわけです。このように月数によって季節を分けることを「月切り」といいます。

 しかし立春・立夏などの二十四節気の知識も、暦の基礎知識の一つとして伝えられたはずです。なぜなら一月・二月などの月名の決定や、どこに閏月を挿入するかは、二十四節気に基づいて決められることになっていたのですから。それにはなかなか難しい法則があるのですが、ここでは触れないでおきます。

 ですから立春を年始とするという理解も、同時に伝えられていたはずです。立春から新年が始まるとすれば、春は立春から始まり、立夏の前日まで、夏は立夏から小立秋の前日まで、秋は立秋から立冬の前日まで、冬は立冬から立春の前日、つまり節分までということになります。このように節気で季節を分けることを「節切り」と言います。年始の時期と季節の分け方には、最初から二通りがあり、ほぼ同時に百済経由で伝えられていたわけです。

 ただ正史である六国史の年紀表示が月切りによっているように、旧暦元日から新年が始まる表記が正式なものと理解されていたようです。もちろんそれは中国の正史に倣ったものでしょう。大化の改新の詔が正月元日に発表されたのも、元日が新しい制度を発表するのに相応しい日と理解されていたからにほかなりません。

 しかし実際の生活には、立春から新年が始まる節気に基づく理解が受け容れられていたようです。なぜなら、正史より実生活を反映している古歌には、節気に基づいた歌がたくさん詠まれているからです。

 そのような歌を、『万葉集』から二首載せてみましょう。

①み雪降る冬は今日のみうぐひすの鳴かむ春へは明日にしあるらし (4488) 三形王
歌としてはそれ程難しく、意味はすぐに理解できるでしょう。白雪の降る冬も今日で終わりです。鶯の鳴き始める春の到来は、もう明日に迫っているようだ、というのです。これは天平宝字1年(757)12月18日に三形王(みかたのおおきみ)の家で催された宴で詠まれた歌ですから、どこにも立春とは詠まれていませんが、12月19日に春になるというのですから、年内立春の歌ということになります。

②あらたまの年ゆき返り春立たばまづわがやどにうぐひすは鳴け (4490) 大伴家持
これもわかりやすい歌ですね。年が改まって新しい春を迎えたなら、鶯よ、まずは私の庭で鳴け、というのです。番号からもわかるように、これは①に応じて詠まれた歌です。

 このように実生活の中では、節気に基づいて季節が理解されていましたから、立春が年始だったのです。月切りの年始がフォーマルなのに対して、節切りの年始が普段着だったというわけです。ですからその場面場面で使い分けられていたというのが実際だったのでしょう。

 そうすれば八十八夜・二百十日・二百二十日が立春から起算されていることも納得できますね。それらはの農耕生活の中から生まれた雑節ですから、生活臭の強いものでした。普段着の暦であって、フォーマルな暦ではありません。

 ただ最近では旧暦の元日は、中国の春節のニュースであらためて思い出す程度で、あまり意識されることはありません。立春の方がよほどに身近です。もっとも節分の行事ばかりが行われ、若い世代ではその翌日が立春であるということさえ知らない人がいます。残念なことですね。