完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

あの炒飯はおいしいだろう。    ~「ヨルタモリ」のタモリは?~

2015年06月01日 | テレビ
私は初老男である。


・・・・一ヶ月も間が空いたしまったが、まったく気にせず行ってみよう。



「タモリ」と言う人の真骨頂は「ユルさ」に尽きる。


彼は生きる事の「芯」が「ユルい」ことであるを知っている。



いや、知っているのだけでなく「実践」している。


これは一般人ならいざ知らず、芸能人で出来ていることが彼の「偉大さ」を示している。




一般人なら、と記したが一般人であろうともそれを実践している人がどれだけいるだろう・・・。



いま「ヨルタモリ」を見ながら、その思いを強くした。



この番組は「笑っていいとも」を降りたのちに民放では初めての彼のレギュラー番組らしい。


何度か見ているが、残念ながら彼のパーソナリティが発揮されているとは思えなかった。


評判の良い「ブラタモリ」も同様。


やっぱり、彼の最大のハマリ番組は「タモリ倶楽部」であろう。



彼の「ユルさ」は、その年齢を感じさせない好奇心旺盛な姿勢と逆にその知識をまったくイヤミに感じさせない人間性から生まれている。


こうした人が現れるのはある意味奇跡的だと私は思う。


今日のヨルタモリの中で、彼の演じる中華料理人が「デミハンバーグ定食」を「炒飯」に仕立てるVTRが流れた。


数少ないこのブログの読者諸兄は忘れているかもしれないが、私は実は調理人なのである。


その調理人から、この炒飯のことを言わせてもらえば「見事!」だが「ツメ」があまい。


しかし、そのツメの甘さこそが「ユルさ」であり、ツメのしっかりした炒飯よりおいしく感じるはずだ。


調理人とすれば、ハンバーグはもう少し粗く刻んでよい。ほかの付け合せはあの程度でよい。
サラダは、逆にもっと荒く刻んでよい。


使った中華鍋は、ホンの少しだが大きすぎる。


油のしっかりしみこんだ中華鍋は「プロ」が用意したものだ。(間違いない)


そして、最初に入れたのが「冷や飯」


これは料理人のプロとすれば「主流」ではない。


炒飯は温かくて水分の抜けたごはんで作るのが一丸美味しい。


まして今回の具となった「デミハンバーグ」と「付け合せ」はかなりの水分が含まれていて炒飯の命である「パラパラ感」が出にくくなる。


鍋の振りもプロのそれと違いある意味「中途半端」である。


炒飯の仕上げは「一気に煽って水分を飛ばす」ことに真骨頂があるのであり、終盤の連続煽りをやらなければプロの仕事ではない。


盛り付けも荒い。もっと、ふんわりと盛らなければ・・・。


散々言っておいてなんであるが、これだけあれこれ言った私が作った「デミハンバーグ定食炒飯」が、タモリの炒飯よりおいしいかと言えば・・・。


タモリの調理技術はプロの物ではない。だからこそ、素人だからこそたどり着ける「トップ」のところにたどり着いている。


食べ物に限らず、仕事というものは「技術」と言うものだけで決まるものではない。


その人の「生きる姿勢」みたいなものが、仕事の後ろについて回る。


全く同じ具材をつかい、まったく同じ調味料を使ってもまるで違う炒飯ができるのが「調理」と言うものだ。


タモリとう人の「解き放たれた」これからの芸能活動と言うのが、とても楽しみだ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「ユルさ」を身に着けた人生を送れますように。



         May




この「ヨルタモリ」という番組の感じは・・・。そう「今夜は最高!」に似ている。(って知らない人の方がおおいか)












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