Maxのページ

コンサートの感想などを書き連ねます。

Nissay Opera「ラ・ボエーム」(6月18日)

2017年06月19日 | コンサート
昨今の日本のオペラ界では原語歌唱による日本語字幕上演が一般的である。こうした上演方法は1986年の藤原歌劇団「仮面舞踏会」で実験的に始まったもので、四半世紀をかけてすっかり定着してきた感がある。しかし今回はそうした流れにあえて棹差して「日本語上演」するという意欲的な試みである。訳詞は秀でたバリトン歌手であり、かつ日本語訳詞のオーソリティである宮本益光。一般公演は日生劇場における2回だけで、その他は4都市での中学生・高校生のための公演だというが、舞台の造作はとて立派で、作り込みも手抜きがなく、こんな上質な舞台装置で最初のオペラを体験できる今の若者達は何と幸せなことだろうか。今回の演出は第19回五島記念文化賞オペラ新人賞に輝いた伊香修吾、指揮は園田隆一というフレッシュな顔ぶれだ。指揮者がピットに登場すると幕が静かに開くが、舞台上には何もなく背景も白一色には度肝を抜かれた。舞台中程の床に四角いものが見える。そのうちミミを除く登場人物がその周りに集まり、もっていた白いバラを一人づつそれに供え、最後にロドルフォが登場して白百合の大きな花束を供える。聴衆はここで初めてそれがミミの墓であることを知るのである。そして集った人々が左右に散るとあの開幕の音楽である。空洞の舞台に左右からセットが急速に滑り出て真ん中で合わさり、そこに屋根裏部屋が登場するという心を掴む幕開きは見事だ。この墓の場面はフィナーレでも使われ、最後はベットのミミの周りに皆が集まりロドルフォが泣き崩れるのではなく、最初に戻ってミミの墓で終わるという具合。それはミミが居なくなって皆の心にポカリと穴が開いた状況をいやが上にも明確に描き出していた。さて歌唱の方は、砂川涼子の伸びやかだが愁いのこもった歌唱は何時聴いてもミミに打ってつけだ。一方宮里直樹のロドルフォの感情を一杯に込めた太い美声も聞き物だった。大山大輔の達者のマルチェッロも要の役を見事に歌い演じた。デニス・ビシュニャは台詞の日本語を見事に操り「外套の歌」でも美声を披露した。指揮はベルカントのマエストロのように受け取られがちな園田であるが、要所では感情を込めつつもテキパキと仕切って決してだらけさせない手腕は日本には珍しいオペラ職人である。彼の指揮の下オペラに不慣れな新日本フィルに一抹の不安もなかった。今回注目だった宮本の日本語訳詞であるが、それこそ四半世紀前のオペラで良く耳にした日本語訳詞が、日本語として不自然なイントネーションやアクセントに満ち満ちていたのに比べると、やはりその自然さには研究の跡がはっきりと聞き取れた。とは言え、CDやDVDなどで聞きなれた原語が聞こえてこない不自然さはやはりいかんともし難い。どうしても原語のほうが言葉の流れがメロディにきちんと乗っていて流麗な美しさが保てるのである。そした美しさを耳で聞きつつ、一方で字幕によって、細かな修辞や微妙な表現はともかくとしても、大方の内容理解をするという習慣になれた者にとっては、やはりいまさら日本語には戻れないという感じがした。それでもやはり、どうしても原詞の内容を全部逐次に知りたい場合には、優れた対訳本を傍らに置きつつという伝統的なオペラの聞き方しかないのかもしれない。
『芸術』 ジャンルのランキング
この記事についてブログを書く
« 第60回東響川崎定期(5月21日) | トップ | 山響さくらんぼコンサート201... »