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議論のない教育

2018年09月10日 | カ行
      
 「ハダカの学校」というメルマガがあります。題名から推察できますように、学校と教師を批判することを主目的にしているメルマガです。このメルマガの非民主的性格(自分に対する批判的意見は載せない)については本メルマガの第8号(まぐまぐでの配信日は2001年03月21日)に書きました。

 投稿がないと長い休んでいるようですが、最近は又々教師批判で盛り上がっているようです。次に2人の意見を引用します。

 第1の意見(女子中学生の意見です)

── 私は、今まで学校の校則を守ってきましたが、破ることに決意しました!「ハダカの学校」(241 ~ 243号)のおかあさんからのメールを見て、すごく感動しました。

 私の学校は、靴下の色・形・長さから、カサの色も決まっていて、個性の出せる場所がひとつもありません。

 このまえの掃除の時の話です。私は廊下の拭き掃除をやっていますが、長い制服のスカートがジャマで、スカートが汚れるし、拭きにくいし、つまずいて転ぶから、スカートを膝上程度に上げました。当たり前の行動だと思います。

 でも、それをみた担任の先生は「なにやってんだ! そのスカートは! 」と後ろからいきなり怒鳴ってきました。周りにいた友達は一斉に振り向いて、一瞬シーンとしました。

 びっくりして、足が震えたけど、ゆっくり「掃除のときにジャマだったので~」と説明しました。先生にはわかってもらえなかった。「でもここは学校だから、この校舎に入っている以上は制服をだらしなくすることは許しません」といわれた!もう、友達が見てるもおかまいなしに言い返した!

 「じゃー、スカートが汚れても、転んでも、膝下丈でしっかり掃除やれって言う意味ですね?」って言いました。
 「そんなこと言ってないじゃない。それに、掃除は膝丈でもできるでしょ。言い訳しないの!」
 「言い訳じゃないです。」

 こんな会話の後、先生は怒って帰っちゃいました(逃げた?)。

 何回か抗議はしたんですけどね ─- 。必ず逃げちゃうんです。「話にならん」って感じで。(←こっちのセりフだって!)

 校則を守ると、自分がダメになっちゃう気がするし、指示持ち族にもリモコンロボットにもなりたくない。よく友達が「校則は破るためにあるもんなんだ!」ってふざけて言うけど、その通りですね。

 学校は、「服装を自由にするとオシャレにエスカレートする」とか言ってるけど、掃除の時まで~っていうのは逆の意味での先生のエスカレートですよねえ。って後で思いました。 -

 第2の意見(元不登校で今は母親のようです)

 全国の大学、高校、専門、または予備校の先生方ヘ。

 言いたいことが山の様にあります。覚悟してくださいよ。ねえ。たまに良く耳にする言葉があるんですけど。あれは一体どういう了見なんですかっ。

 たとえば、「自分の説明がいいからだ」、「こんな問題も分からんのか」とか。「やな生徒(学生)」とか。まるで生徒、学生を馬鹿にしてません? それを聞いて呆れて物も言えませんですよ。情けないと思いませんかっ、大の大人がっ。

 はっきし言って、要りませんよ。そんなことばを言う先生なんか。だいたいな、あなた方は何の為に教飾をやってるんですか。「給料が良いから?」。ふざけるなっ。たいがいにしなさいよ!

 学生の親は高すぎる学校の学費を必死に働いて出してるんですからね。その代償として給料を貰ってるんですから。持ち逃げは、許しませんよっ。ちゃんと教師としての責任を果してください。只じゃないんですから。

 学生ときっちり向かい合ってください。逃げないことに挑戦して下さい。とくに、苦手な人は。お金でかたずけないでください。学生を褒めてあげてください。教師だということを自覚してください。

 皆、奇跡を持って生まれてきた人間ですから。学生にも可能性がある訳です。それを打ち切るような言い方で、馬鹿にしないで下さい。いいですね! 学生の将来も、勝手に能力差別で決めないで下さい。皆、同じじゃないんですから。

 まだ四の五の言うのなら、私は教飾を必要としません。時間の無駄ですから。教えてもらわなくても結構。自分でやります。元不登校者。─-

     感想

 このメルマガ(「ハダカの学校」)はこれをただ載せているだけですが、その後第1の意見を肯定するような別の母親の意見も載りました。これらの2つの意見を読んだ感想を箇条書きにします。

 第1に、これらの(元)生徒たちは未成年者であり、間違った教育(家庭教育と学校教育)の犠牲者ではあると思いました。ここで大切な点は、これらの2人のお粗末な考えは学校と教師のお粗末な教育の結果であるだけでなく、親のお粗末さの結果でもあるということです。

 これらの2人の生徒たちは自分の親の事に言及していませんが、親たちは「保護者」なのです。学校に子供をやる時、学校での事を、特に学校や教師に疑問をもったら親に相談するように、と言わなかったのでしょうか。多分、言わなかったのでしょう。ここには親と相談した形跡が全然ありません。そして、「ハダカの学校」の主催者もその点に注意していません。これでは困ります。

 第2に、それと関係していますが、この2人の方は自分が「直接」接した教師たちだけを批判していますが、その教師たちの言動が間違っていたとして、その間違いの本当の原因(校長、教育委員会、文部行政など)を考える姿勢がありません。その結果、こういう現実を是正するにはどうしたら好いのかも分からず、メルマガに投書して自己満足し、結果的には現状維持に貢献しているという訳です。

 私はよく学生にも言うのですが、目に見える事だけでいいなら学校に来て勉強する必要はない、目に見えないで頭で考えなければ分からない本当の事を考えられるようになるために学校にきて勉強しているのだ、ということです。

 そして第3に、これらと結びついているのですが、生活の中での個々の問題を教師(校長を含む)と親と生徒全員とでじっくり考えていく場も方法もないということです。しかるにこの話し合い(討論)こそ本当の教育の場であり方法なのです。

 日本の教育は1から9まで間違っているという私の持論を再確認する投書でした。

(最初はメルマガ「哲学のひろば」2004年05月20日。2度目はブログ「教育のひろば」2006年11月19日)


お断り・今、ブログ「教育のひろば」をやめて、「マキペディア」に一本化しようとしています。
 前者の残したいものだけは後者に移しています。
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