マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

読書感想文を考える

2016年10月02日 | タ行

 1、朝日新聞の記事

読書感想文マニュアルの記事に対し、読者から多くの反響をいただきました。感想文の書き方を示したマニュアルを子どもたちに渡すのは是か非か。主な声を紹介します。

 9月2日付の記事では、今年夏、童話「シンデレラ」を例に書き方を細かく指南するマニュアルを或る小学校が配ったところ、SNSで賛否の意見が飛び交う議論になったことを紹介した。記事への感想や意見の投書でも、賛否は分かれた。

 名古屋市内の中学校の国語教師、伊東達矢さんは、マニュアルの活用を提案する。生徒が提出してきた夏休みの宿題の読書感想文のなかには、書きなぐったような文字が連なっているなど、嫌々書かされたような印象を受けるものもあった。任意提出にしたら、ほとんどの生徒が出さなくなると考える。「ならばいっそ、マニュアルを整備し、制限された状況で伝えるべきことを文章化する訓練として感想文をとらえた方が、生徒たちにとって有益なのでは」。

 三重県鈴鹿市で小中学生対象の国語教室を開いている川戸恵子さんは、多くの子どもが感想文に苦手意識を持っていると感じる。自身も小学生の頃、読書は大好きだったのに感想文の書き方がわからず、苦しんだ。そんな経験もあって、感想文の「型」を教えるのは、安心して書くために必要だと思う。

 「型に沿って書けば、形の上では画一的に感じられるかもしれないが、子どもが本を読み、自分の力で書き上げたなら、まずそれを評価していくことが大切。それを出発点にして、書き方の工夫をしていけばいい」と指摘する。

 「マニュアル本は使い方次第でとても有効」との意見を寄せたのは、神奈川県の主婦だ。今年の夏休み、小学1年の長男に出された宿題の読書感想文の提出は任意だったが、苦手なひらがなを学ばせるために取り組ませた。マニュアル本を参考にしながら書かせたところ、感想文コンクールの学校代表に選ばれた。長男は生き生きとした顔を見せたという。

 一方、マニュアルに疑問を投げかける声も根強い。

 札幌市の元大学教授、伊藤進さんは、マニュアルを与えると、「課題を表面的に処理し、形だけ整った文書を書く習慣をつくってしまう弊害がある」という意見だ。大学でリポートなどの書き方を教える授業を担当した。大半の学生は調べたり考えたりしたことを簡潔、明瞭に書くスキルを身につけないまま入学してきていたという。「小学校から高校まで、書くことをもっと系統的に学ばせる必要があると思う」。

 大津市の元小学校長、安田直次さんは「目先の要求に負けてマニュアル化して済ませようとする現代教育に通底する問題ではないか」と感じた。感想文のマニュアルは必要ないが、子どもたちに「書き方」を教えることは大切だと思う。

 現役の教員時代、感想文を書く際の頭の整理の仕方を考えた。①読んだ本について、「○○と書いてあった」(A)と「○○と私は思った」(B)の二つに分けて書き出す、②Bの中から大事だと考えるものを三つ選び、その根拠となるAを探す、③BとAを組み合わせて文章を構成する──というものだ。様々な文章を書くのに応用できると考えている。

 児童生徒に感想文を課すこと自体に反対という意見もあった。千葉県鴨川市の主婦、石川真理さんは本を読み終えた後の余韻を味わうのが楽しいのに、感想文で結論を急がせる必要があるのか疑問だという。

 どうしても感想文を書かせたいなら、たとえば金子みすゞの詩を一つ指定し、「他人と同じにならないように感想文を書いてくるように」と指示してみては、と提案する。違う感想文を読むことで、「『私はこう思ったけど、○○さんはあんな考え方をするんだなあ』と新たな発見があるはず。それこそ金子みすゞの詩にあるように、『みんな違ってみんないい』教育だと考える」と結んだ。
(朝日、2016年9月23日。杉山麻里子)

 2、牧野の感想

 ・先生自身が文章を書いていない。生徒に言うことは、原則として、自分のできることか実行している事でなければならない。自分のできない事を生徒にやらせる場合は、「自分は出来なくて困った」とかの「反省」を言ってからにするべし。

・読書の習慣を付けさせることと文章を書く練習をさせることとを分けるべし。文章を書く練習をさせるには、書きたくなるような問題を出せば好い。特に学校の在り方や教師の態度や教え方には生徒はいろいろな不満を持っている。こういう「切実な問題」をテーマにすれば生徒は真面目に書くはず(拙著『哲学の授業』を参照)。

・生徒に提出させたものには、先生はそれこそ「読んだ感想」を書いて返すべし。自分がしていない事を生徒にやらせるな。更に、「教科通信」を発行して、いくつかのものを載せて、先生の考えなどを書くべし。これがあると、生徒はやる気が出る(この点も拙著『哲学の授業』を参照)。

・要するに、生徒の姿は先生の姿を映しているだけです。