日本で日本語教師

東海地方で、日本語を教えている。

8月26日 中絶後遺症候群

2016年08月26日 18時31分23秒 | 日本
赤ちゃんとお別れしてから4週間が経つ。
その間、泣くことはあっても身も心も回復しているのだと思っていた。

が、おととい爆発してしまった。

赤ちゃんも仕事もうしなって、もう自分には何もない、と思った。
赤ちゃんをうしなったといっても、それは自分の決断でそうなったのだ。
後悔と罪悪感につぶれそうになる。
こんな自分が妊娠を望んでいいのか、セックスをしていいのか、許されないのではないのかと思う。

前向きになろうと思っても、次の妊娠はこわい。
また同じ先天性疾患の子が生まれるのではないか、
もしくは、そうでなくてもほかの疾患や異常があるのではないか。

楽観的にいいほうに考えようとしても、神様に祈っても、こちらの願いや希望と反対の結果になってしまった。
次もそうなるのではないか、と考え出すとこわくなる。

夫はすっかりふつうにもどったようにみえる。
赤ちゃんを失ったことを、いまはまったく悲しんでないように見え、
また、わたしが次の妊娠がこわいとうったえてもそれを理解してもらえない。

夫は赤ちゃんのことを悲しんでない、すっかり忘れてしまった、そして中絶のつらさ、かなしさをわかってないから、次の妊娠にたいするわたしの恐怖がわかってくれない。
そう思うとひたすら自分が孤独に感じ、死にたいとすら思った。

なぜ夫に対しこんなに不信感をもち、孤独を感じ、前向きになれないのか。
夫はもともとかなしいとかさびしいとか、そういった負の感情を出さない。
よくもわるくも、そういう人なのだ。
冷静にかんがえれば、夫が悲しんでない、わたしのつらさをわかってない、そう思ってしまったのはわたしの見方の問題だ。
夫にたいする不信感と孤独。
この理由はなんだろうと書き出して考えた。

わたしは、自分の決断でお腹の中の命を絶ったことを、許せていないのだ。
許せないと言っているのも、そして許さないと言われているのもわたし。
だから、こんなにつらいし、許されないと思ってしまう。

いまのわたしにできるのは、赤ちゃんが次は五体満足で健康に生まれかわれることを祈るだけだ。
四十九日のあいだ、たましいはこの世にいるという。
それなら、まだわたしの近くにいる赤ちゃんに話しかけようと思う。

中絶は女性の権利だと思う。
ただただ、いまかかえている自分のつらさの原因が、わたしはわたしを許せないからだ、とわかって腑に落ちた。
許せるまでには時間がかかるだろうけど、いつかは受け入れられますように。

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