日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足

2016-12-10 | Weblog
  出エジプト記21章 
 
  23節「もし、その他の損傷があるならば、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足…」(新共同訳)

  20章22節「主はモーセに言われた。イスラエルの人々にこう言いなさい。あなたたちは、わたしが天からあなたたちと語るのを見た」。新共同訳では、20章1~21節を十戒を一つの枠に括り、21章~23章は「契約の書」という小見出しにしている。新共同訳「小見出し」の通り、「契約の書」として区分される
  22~23章19節を16項目の別の小見出しとして付している。これは24章7節「契約の書」として記しているものである。20章23~26節の小見出し(1)『祭壇について』これは第二戒を補則している(20章4節)。金の神々を造り拝んだ事件が32章に出て来るが、それを先取りして述べている。「土の祭壇」24節、「のみを入れない石の祭壇」25節、「階段を用いない祭壇」26節についての規定である(申命記28章42~43節see)。
  2節「あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる」。小見出し(2)『奴隷について』。レビ記25章に安息の年とヨベルの年について詳述している。期間が終了し自由の身になっても主人の元に生涯奴隷として過ごす忠誠を、戸口の柱の処で、彼の耳を錐で刺し通す事で言い表わす(5~6節)。耳は敬順のしるしである。
  7節「人が自分の娘を女奴隷として売るならば、彼女は、男奴隷が去るときと同じように去ることはできない」。彼女を外国人に売る権利はない。息子の奴隷と定めた時も同じだが別な女をめとった場合身代金を払い去らせる事が出来る(8~11節)
  12節「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。」小見出し(3)『死に値する罪』これは故意の殺人である。第5戒違反(20章12節)。誘拐犯は売った場合も手元に置いた場合も父母を打った場合も、また父母を呪うことも死罪である(13~17節)。故意でない場合は逃れの場所が定められている(民数記35章10~15節)。
  18節「人々が争って、一人が他の一人を石、もしくはこぶしで打った場合は、彼が死なないで、床に伏しても、回復して杖を頼りに外を歩くことができれば罰をのがれる」。小見出し(4)『身体の障害』。目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにやけど、生傷に生傷、打ち傷に打ち傷をもって償わねばならない(25節)。
  26節「人が自分の男奴隷あるいは女奴隷の目を打って、目がつぶれた場合、その目の償いとして、その者を自由にして去らせねばならない。」無制限の報復を合理的裁定であるが、様々な理由から決定的な解決には至らない。主イエスはこの解決を否定された(マタイ5章38~39節)。傷害致死も故意でない場合、賠償は難しい(28~32節)。牛は現代社会では車、その他交通機関等に当てて見るとよい。
  33節「人が水溜めをあけたままにしておくか、水溜めを掘って、それに蓋をしないでおいたため、そこに牛あるいはろばが落ちた場合」小見出し(5)『財産の損傷』。。現代の日本で抱えている深刻な事柄は、東日本で起きている地震・津波による原発事故での放射能汚染賠償は、第一義的に事業主(電力会社)が負わねばならない。しかし莫大な賠償能力を支払えない為に避難した住民らが国や東京電力の民事上の 責任を問い損害賠償を求める集団訴訟が 全国各地で相次いで起こされている。
  37節「人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わねばならない」小見出し(6)『盗みと財産の保管』これは22章1~14節で述べられる。
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