茶の湯

茶の湯は、一碗の茶を媒介に、客をもてなす行為と言われていますが、私は、茶の湯を通して己を修めるてだにしています。

茶の湯

2006-06-16 09:44:18 | Weblog


茶の湯に思う

茶の湯とはと、よく聞かれますが、一口では、言い表せない広がりと深さを持って我々の生活の中に溶け込んでいるのが茶の湯ではないかと思います。日本人の心の中に無意識の内に培われて来た伝統的生活様式のエキスの凝縮したものが茶の湯ではないかとも思っています。私が茶の湯に引かれるのは、吾が内なる美意識の発露、表現、共有する喜びではないかと思います。美への憧れ、己の貧しさ、醜さを恥じて、その反動として、茶の湯の道に突き進ませた、その原動力が美を求める旅、茶道ではなかったかと思っております。茶道を始めて何年になるか、静かな茶室での一時は、滾々として汲めども尽きせぬ清水の様に溢れ出る至福の思いで一杯であります。茶の湯の核を感じさせる静寂さは、密室の茶室ではあるが、永遠の広がりを持ち、澄みきった空間をさえ感じさせ、たぎる茶釜の松風の音は深山幽谷に心を遊ばせ、現世を離れ、美の世界に誘うのであります。床に掛かる一幅の書は、清浄無垢なる世界への導きであり、 1輪の花は、極楽浄土を感じさせ、全ては美の権化の世界である。いとおしく、何にもかえ難い一碗の黒楽は、かた時も離しがたい想いの・・分身でさえあるかの如くに。水に濡れ、刻々に変化し、艶なる装を見せる伊賀の水指、花入れは、吾が胸に微笑みかけ、障子に映る笹の葉の揺らめきは、目に染み、心に響く陰影のドラマである。斯くある茶の湯の一時は、美の世界の境地に旅するが如くであります。この様な茶の湯を通して、多くの友を得、生きる喜びを感じ、この美の世界を醸成していくのも、また一入である。茶の湯とは、時として、私の全てと感じる時さえある。この想い、この楽しみを共に分ち合いたいものである。
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茶の湯

2006-06-14 08:47:09 | Weblog

茶道 2006-06-13 15:03:21

茶の湯により己の汚れをいやしています。
汲めども尽きせぬ茶の湯の道は、時に遠く、時に深く、
修行の一里塚ですが、生きている証かもしれません。

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