イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ナチュラリスト志願 (Kaiko Ken’s naturalist books)」読了

2017年02月13日 | 2017読書
ジェラルド・ダレル、リー・ダレル/著 日高 敏隆、今泉 みね子/訳 「ナチュラリスト志願 (Kaiko Ken’s naturalist books)」読了


ナチュラリスト(naturalist)という言葉を日本語に訳すると“博物学者”となるらしい。
この本は志願と書かれているが、どうしたら博物学者になれるか、博物学者とはどうあるべきか、というようなことが書かれているわけではない。
いままで著者が調査したであろういろいろな地域のいろいろな環境で見られる植物、生物を紹介しているだけだ。

監修が師であるということで読み始めてみたのだが、著者が外国人だと当然ながら外国の自然環境について書かれているのでなじみがわかない。おまけにたくさんの動物の名前が出てくるのでよくわからない。お金を出して買っているとそれでもなんとか読みきろうと思うのだが図書館で借りた本だと途中で読むのを止めて返却してしまえばいいじゃないかとなってくる。
しかし、そこを我慢して読んでいるとなんとなく面白みが沸いてきた。どんな形をしている生物なのかはわからないが書かれている奇妙とも驚きともとれる習性や行動を想像するだけで世の中には知らないものが山ほどあるということに気づかされる。
これほど複雑で多様な世界なら絶対に人工知能なんかには支配されることはないという確信さえ持てる。

これでも小さい頃は昆虫や水の中に棲んでいる生物が大好きで、いろいろなものを捕ってきては飼いきれずに死なせてしまい玄関の土間が腐臭であふれていることも多かった。ろくに観察もしないのでナチュラリストというのには程遠く、歳を取るごとにそういう興味もなくなった。と、いうか、身長が伸びると目と地面との距離が遠くなると虫を見つけるのが困難になってくるのではないだろうかと思うほどそういうものを見つけられなくなった。
最近はそれに老眼が追加された。小さいものがどんどん見えなくなってしまった。

気持ちの上でもそうで、山や川、海に出かけるのはいまでも大好きだが、そこで植物や生物を見ても、頭の中の分類基準の第一が、食べられるか食べられないかとなってしまっていてはナチュラリストどころではない。生物の詳細を観察するのではなく、美味いか不味いか、どんな調理法で食えるのか。そこだけしか考えない。

僕の勤務先、事務所の前の人気の少ないエレベーターホールにはいろいろな人がやって来る。僕たちが地縛霊とあだ名する爺さんは朝から晩までたったひとりでこのソファーにずっと座り続けている。(いつも居るから地縛霊・・)ひたすら何もせずずっと座っている。たまにスポーツ新聞を読んでいることがあるが・・・。僕より皆勤だ。また、お昼時になるとやってきてスマホを見ながらひたすら足踏みをしている定年間近のオッサン。どうもポケモンGOでモンスターを捕まえるために足踏みをして距離をかせいでいるらしい。毎日お昼ごはんを食べにくる主婦と思しきオバさん。週末にやってきて5時間くらいイチャイチャしているバカップル。
この人たちにはまず自然に親しむという愉しみはないだろう。僕も人に言えるほどのものではないがこの人たちよりもマシだと思うし、歳をとってもこんな場所で人生のほとんどを過ごさなければならいような人間にはなりたくはないものだと事務所扉を開けるたびに思うのだ。





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