イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝」読了

2017年05月06日 | 2017読書
中原一歩 「私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝」読了

以前にも書いたが、最近読んだ新聞のコラムに、「基本的に、自分の器を大きくすることはできない。」という一文があった。
そういう意味では小林カツ代という人は相当大きな器を持った人であったのだろう。

30歳を過ぎてテレビ局に投書したことがきっかけで料理研究家としてスタートしたそうだ。それまでは普通の主婦で結婚するまではほとんど料理をしたことがなく、味噌汁に出汁を入れることさえも知らなかったらしい。実家は大阪のそこそこの大きさの商家であったらしく、小さい頃から一流の料理を食べ、舌は相当肥えていた。その味覚を元に夫に美味しい料理を食べさせたい一身で料理を覚えたとか。

この人の信条は、「興味を持つ、知識を得る、行動に移す、世界が広がる。」というもので、もともと行動力とチャレンジ精神は旺盛で、ラッキョウは塩漬けしてから酢に漬けなくてもちゃんとラッキョウ漬けになるということを聞いたことがきっかけで、料理というもの手抜きをすることなくもっと簡単にできて美味しくなる。ひいては時間の節約になり、仕事を持った人でも家族に美味しい料理を食べさせることができることをひたすら伝えたいということだったらしい。それが1万を超えるレシピを考案する原動力になった。

まあ、普通の主婦の人たちでもそんな考えをもった人たちはたくさんいるけれども、ここまで有名になることができるというのはご本人の努力や生まれ育った環境もしかりだが、もともとの器が大きかったかということにほかならないと思うのだがどうだろう。
この人もやはり、簡単に美味しい料理の作り方を広めることが社会貢献になると考えて行動してきたのだろうが、そこが大きな器と、穴が開いた小さな器かの分かれ目になるような気がする。
大きな仕事を成し遂げるには、今の仕事と直接関係のない、異質なコミュニティを持つことが有用であり、幅の広いさまざまな体験や勉強を通じて、自らはどんな目的や意義を持って働きたいのか、どう社会に貢献したいのか、という社会的使命感を育むことが大事だとネットのコラムに書いていたが、この人もイラストレーターを目指したり合唱団を作ったりと様々なことを経験してきたというが、それも一般人より大きな器を持っているからこそできる技でもあるのだろうか。
僕には世間に迷惑をかけてはいけないという認識はあれども、社会に貢献しなければならない使命感というものがどうもわからない。

ただ、それが幸せに生きることに直結しているのかというとどうなんだろうか。多忙を極めたことが仇になり、くも膜下出血で植物状態になり、その前に夫とも別れてしまっていたそうだ。それでもこの人はベッドの中で人生をやり遂げたと思っていたのだろうか。
大きい器なんかを持っていたら持て余してしまう、穴の開いた器しか持っていない人間には、そこまでして料理しなくてもいいのじゃないだろうかなんてしか感想が浮かばなかった。

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