イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

えべっさんと最後のジェダイと大漁祈願

2018年01月11日 | Weblog
今日は寒い1日。釣りには出られない。スターウオーズだ!



映画なんかはDVDのレンタルがはじまってから観ればいいと思っているのだが、この映画は別物だ。僕も2年ぶりに映画館に足を運んだ。

その前に水門本ゑびす神社へお参り。
寒い朝で残り福の日とあって参拝者はぼくだけ。



ゑびす様は僕をよく見てくれていただろうか?

その後映画館へ。
今回の作品は2時間40分の長丁場だ。物語が長いのはありがたいけれども中年の男性には尿意が心配になる時間だ。少し早い目に到着し、館内の気温に体を慣らし3回もトイレに行っていざスクリーンのある部屋へ。
封切りから1か月あまり経ち、寒い日ということだろうか、ほぼ貸切状態だ。というか、400席の館内で5人くらいしか観客がいない・・・。


ストーリーは話さないけれども、なんだかあんまり進展がなかったような・・・。ただ、映像は素晴らしいし、レイはかわいいし、ルークもかっこいい。教団Xにもつながるようなテーマもあって、これはこれで2時間40分があっという間に過ぎてしまった。

ここはガーデンパーク和歌山というところにあるのだが、こんなところでもで何もやることがない老人が寒さしのぎと暇つぶしのためにベンチを占領している。映画を観る前に見た人が出てきた後でも同じ場所に座っているということは多分毎日、1日中この施設の中をウロウロしているに違いない。僕の勤務しているところにもそんな老人がいて、僕は地縛霊とあだ名しているが、開店から閉店前までずっとベンチに座っている。これも時代なのかと悲しくなるし、自分の行く末もこんなことになってしまったらどうしようかと不安になる。ジェダイはパダワンを導くものだが、こういう人たちは後輩を不安に陥れているだけではないのかと悲しくもなってくる。また、なぜだか、財布をそれもファスナーのついた大きいやつを人の目につくように持ったり置いたりしている。これはきっと、僕はお金がなくてここにいるんじゃないんだよ。ただここにいるだけなんだよ。お金はちゃんと持ってるからこの施設に来ているお客様なんだよと主張していかのようだ。あの財布はジェダイが持っているライトセイバーと同じ意味合いを持っているにちがいないのだ。

映画のあとはかねて訪ねたいと思っていた茅渟神社へ。

 

「ちぬじんじゃ」と読む。この、“茅渟”という言葉は、大阪湾の浅い海のことを指す言葉でもある。大阪湾はかつて「茅渟の海」とも呼ばれていたことがある。ちなみにこの浅瀬で船が座礁しないように澪筋を示すように立てられているのが大阪市の市章になっている澪標(みおつくし)である。
そんな海域にたくさん生息しているさかなだからチヌはチヌと呼ばれているという説もある。だからこの神社はいつのころからか釣り師のなかでは好釣果のご利益がある神社として知られるようになったのだ。神殿の鴨居にはなにやらチヌの剥製らしきものもある。確かにご利益がありそうだ・・・。





そしてこの神社の名前の由来になった茅渟の海と今の勤務地、そして水門本ゑびす神社、僕の住んでいる場所は不思議なつながりがある。それは古事記に出てくる初代天皇、神武天皇の物語だ。
神武天皇がまだかカムヤマトイワレビコノミコトと呼ばれていたころ、兄のイツセノミコトと九州から東征したとき、僕の勤務地から電車に乗って生駒山のほうに向かって行った今の東大阪の辺り、蓼津というところでナガスネヒコというこの土地の豪族らしき一団と高かったときに傷を負った。
傷を負ったまま南へ下り水門本ゑびすの辺りに上陸した。そこで力尽きて亡くなったとのことである。イツセノミコトが道中に血をぬぐった場所だったので“血をぬぐう”→“ちぬ”という言葉が生まれたらしい。
イツセノミコトは紀伊の国の竈山に葬られたと古事記には記されていて、そこは僕の自宅から目と鼻の先にある竈山神社になっているのである。



めったに買わないお守りを買い、今年の海上安全と好釣果ををお願いしてみたが、釣果はまあ二の次として安全に魚釣りをさせてもらえればと切に願うのだ。

コメント (3)
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