意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

多様性を認めるかはコスト次第

2017年08月12日 | 社会
ちょっと前からちょいちょい出てましたけど『多様性を認めなければいけない』みたいな議論がある。
その中で、多様性を求めるやつが多様性を認めない、とかの議論がありますけど、多様性とかダイバーシティとか言われてますけど、この多様性って何なのでしょうね?

辞書的に言えば『いろいろな種類や傾向のものがあること』ってところでしょうけど、これを認めるかどうかってのが意味がよくわからない。
現実的にそこに『ある』のなら認めるも何もないだろう。
あるものを否定しても意味がない。

ですので、現実的に使われる意味はおそらく『自由』と同義として使ってるのだと思います。
好き勝手したいから多様性を認めろって言ってるだけですね。

しかしながら、なぜ『自由』という言葉でこと足りるものを多様性などという言葉を使うのか?
おそらく自由という言葉が手垢が付きまくってますし、おおよその答えも出てるからでしょう。

『自由』は公共の福祉に反しない限りとか、他人の迷惑にならない限りとか制限がついてるわけです。
どんな自由でも認められるわけではないというのを否定する人はまずいないでしょう。

それで公共の福祉とは何か、という議論になり自由は制限されてるわけで、その部分からの逃避としての言葉として『多様性』を使ってるんでしょうね。
そういう意味では『自由』と『公平』を兼ねてるのかも知れませんが。

ただ、こういうことを主張する人たちの多くが勘違いしてますが、そもそも社会・共同体を構成するには納税など法律で決まってる義務だけを果たせば良いわけではないのです。
社会に対し奉仕もまた必要なのです。
例えば、義務化されてませんけどボランティアとかがそうですよね。
行政が全部できればいいけど、コストがかかりすぎますから、そういったものがなければ社会が回らないわけです。
他にも、子育てとか、一番卑近でいえば挨拶だって奉仕として必要なわけです。
挨拶を返さないのも多様性なので本来なら認めるべきだ、これこそ多様性の象徴だって言えればいいわけですけど、そんな人はいないわけで、きっと『何だあいつ、感じ悪い』だの『無礼だ』だの『挨拶ひとつできないクズ』とかを裏でコソコソいうでしょう。(笑)

社会を回すのに必要なもので、むしろこういう義務化されてないことの方が重要なんですよね。
多様性などと言って、好き勝手していいわけではなく・・・それらをどうやって落とし込むか?

実のところそこが問題で、多様性を認めるかどうかってのはコストパフォーマンスです。
物事は均質であるほうがコストとして安いわけで、多様性などと言って複雑にしてしまえば当然コストも増大するわけで、増大した・増大するコストをだれが払うのか?
多様性を求める側つまりは少数派が払えばすんなりいくと思いますけど、少数派が払うにはコストは膨大で、結局は多数派の人間も払わないといけないわけで・・・・・・それに納得するかどうかにかかわってくるわけです。

コストに見合うから認める、見合わないから認めない。
それだけなんですよね。
個々人の考えによって、どこに許容の閾値があるかが変わってきますけど、そこらをきちんと考えている人ほど多様性という言葉に反発するわけですね。(自由とか平等もですが)

いずれにせよ多様性にしろ、平等にしろ、平和にしろ、全てのことにおいて『コストがかかる』わけで、そのことの意識が抜けている現状では、話し合っても時間の無駄だと思います。


2017.08.19   後半をコピーし忘れてましたので追記。こんなミスするなんて・・・orz。
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