手話通訳と聞くと、たいていは声を手話にするだけのようなイメージがあるかと思う。
講演などほぼ一方通行の場合はこの通りとなる。
でも実は読取通訳と言って、手話を読み取り声に変える通訳とセットになることが多い。
昨日の呼魂太鼓25周年記念公演では手話通訳がいた。
通訳は法人や団体が依頼するとそれなりの代金を支払うことになる。
そういう意味でも、料金を取らない公演で通訳がついていることに感心(自腹……)。
休憩中に申し訳ないと思いつつ、手話通訳者と雑談。
私の手話は読み取りにくいようでした。本人の表現はなかなかよかったのですが。
柏市の登録通訳と伺ったので、夏の柏祭りに手話通訳がついてビックリしたことを話すと、
ろう協会と手話サークルとで要望を出し続けて、今年初めてついたとのこと。
だから去年までなかったんだ。
たかが祭りだけど、こういうことはすごく大事だと思う。
いつもパンフレットの情報しかないから、「生の声」が通訳されると
どういう団体なのか、どんな思いをこめているのか伝わってくるし、
何と言っても、手話通訳があるとそれだけで足を止めて聞く気になる。
とある宗教団体は先日の選挙のとき(多分自前の)手話通訳がいたらしいですよ。
宗教団体には手話ができる人が割りと多い、
それで「○○を信じれば聴こえるようになります」なんて勧誘してくるわけ。
話がそれたけれども。
手話通訳を必要とする人が何人いるか分からないのに、用意するのはすごいと思う。
また、代表以外にもいろんな方々に手話で「頑張って」「お疲れさま」と挨拶を頂いた。
たったの一言を手話で言って頂いたということがすごく嬉しくて。
昨日やっと竜の子太鼓の皆さん(6名)と話すことができた。
呼魂太鼓の中に、聾の組織(竜の子太鼓)があり、一番長い人で13年だそうだ。
それだけのつきあいをしてきたのだろうなと。
その歳月の積み重ねが、あの一言に表れているのかと思うと、
とてもありがたく嬉しくて、私も頑張ろうと思えるのだ。
決して手話で話せるということがベストというわけではなく、
ただ、わたし達の言葉(手話)を使って伝えようという気持ちが嬉しいということ。
昨日の客演は、あったかいギフトをたくさん頂き、とても嬉しかったです。
ありがとうございました♪
講演などほぼ一方通行の場合はこの通りとなる。
でも実は読取通訳と言って、手話を読み取り声に変える通訳とセットになることが多い。
昨日の呼魂太鼓25周年記念公演では手話通訳がいた。
通訳は法人や団体が依頼するとそれなりの代金を支払うことになる。
そういう意味でも、料金を取らない公演で通訳がついていることに感心(自腹……)。
休憩中に申し訳ないと思いつつ、手話通訳者と雑談。
私の手話は読み取りにくいようでした。本人の表現はなかなかよかったのですが。
柏市の登録通訳と伺ったので、夏の柏祭りに手話通訳がついてビックリしたことを話すと、
ろう協会と手話サークルとで要望を出し続けて、今年初めてついたとのこと。
だから去年までなかったんだ。
たかが祭りだけど、こういうことはすごく大事だと思う。
いつもパンフレットの情報しかないから、「生の声」が通訳されると
どういう団体なのか、どんな思いをこめているのか伝わってくるし、
何と言っても、手話通訳があるとそれだけで足を止めて聞く気になる。
とある宗教団体は先日の選挙のとき(多分自前の)手話通訳がいたらしいですよ。
宗教団体には手話ができる人が割りと多い、
それで「○○を信じれば聴こえるようになります」なんて勧誘してくるわけ。
話がそれたけれども。
手話通訳を必要とする人が何人いるか分からないのに、用意するのはすごいと思う。
また、代表以外にもいろんな方々に手話で「頑張って」「お疲れさま」と挨拶を頂いた。
たったの一言を手話で言って頂いたということがすごく嬉しくて。
昨日やっと竜の子太鼓の皆さん(6名)と話すことができた。
呼魂太鼓の中に、聾の組織(竜の子太鼓)があり、一番長い人で13年だそうだ。
それだけのつきあいをしてきたのだろうなと。
その歳月の積み重ねが、あの一言に表れているのかと思うと、
とてもありがたく嬉しくて、私も頑張ろうと思えるのだ。
決して手話で話せるということがベストというわけではなく、
ただ、わたし達の言葉(手話)を使って伝えようという気持ちが嬉しいということ。
昨日の客演は、あったかいギフトをたくさん頂き、とても嬉しかったです。
ありがとうございました♪









やはりそんな事情があったのですね。
私も以前別件で同じ事を体験しました。
通訳者は人材が限られているので、「いないかもしれない」イベントへの派遣は優先度が低くなりがちです。
でも、いろんな人に来てほしいのであれば、派遣してほしいですよね。
考えなければならない問題だとおもいます。