Sparkring Life

旧・京都Sparkring Life
通って住んだ足掛け10年の京都生活を終え、横浜に住まい中。
書く人:maiky

【祗園祭】山鉾巡行(4)

2008年07月22日 | 【京都】祗園祭


動く美術館




巡行は御池新町で最後の辻回しを行い、南下、それぞれの町内へと帰ります。
新町通は幅が狭い上に電柱が乱立、道には観衆、両サイドに建物が迫る難所。
ここで活躍されるのが、鉾の進行方向を修正する屋根方さん。



新町姉小路の西角に建つこの建物は、新町通にせり出すように建っています。
おまけにここで新町通が若干東寄りに曲がっているので超難関!
今年は割りとスムーズにすり抜けていましたが、去年は引っかかってました。
それがよく分かる動画を去年撮っていたので、参考までに載せますね。

<!-- やね -->



こんなスリルを味わえるのも、新町通ならではの醍醐味なのです。
そして、目の前に迫り来る大きな鉾の迫力!

「動く美術館」と称される山鉾巡行を間近で堪能できる、新町通。
山鉾の全体像などはネット上にもたーくさん上っておりますので。
私はその美術品に、おニューの望遠レンズで接近してみましたヨ。



蟷螂山
tourou-yama

「かまきり山」とも称される、とってもユニークな山です。
車輪と連動して、首や手鎌、羽が動くので子供たちにも大人気!
「洛中洛外図屏風」にもその姿が確認できる、応仁の乱以前からの古い山です。



あらよっ。

…とまぁ、これは愛嬌のために鎌を振り上げているわけではなく^^;
車に轢かれそうになっている蟷螂が、怒って鎌を振り上げて威嚇している様子を、
「これが人間ならば、必ず天下に並びなき勇者になったであろう」
という説話から。

確かに、道端を歩いているとたまに地面でめっちゃ威嚇してるカマキリ居ますよね。
そーかー、あれは小さな小さな勇者であったかー。

このカマキリが動く様子は、あとで動画でお楽しみくださいね~。(↓)



伯牙山
hakuga-yama

中国・楚の国の琴弾き名人の伯牙をご神体にいただく山です。
琴を聴く名人であった友の死去を悲しみ、自ら弦を絶ち二度と琴を弾かなかった。
この悲しそうな表情は、置かれた琴を凝視する伯牙の悲哀を表しています。


伯牙像は何と高さ196.5cm! 1790年作という200年もの時を生きていました。

「凄い」と思うのは、これが神社仏閣の所有ではなく、町内の宝物ということ。
この身近さに、京都の底力を感じます。




郭巨山
kakkyo-yama

家が貧しく、子を養おうとすると母が養えない。
子は再び得ることが出来るが、母は得ることが出来ない。
…と、郭巨は子どもを棄てる決心をして山中に入りました。
すると土の中に釜があり、開けてみたら黄金がいっぱい入っていた。

という説話に基づいた山です。
郭巨像は伯牙像とほぼ同じ頃、1789年作。
衣装は昭和56年に新調したっちゅーので、私と同じ年だわね^^

この像も表情が良くて・・・ぐっと近寄って見るのがいいですね。
横に子どもさんの像がいはるんですが、写せませんでした~。



岩戸山
iwato-yama

走る姿勢で屋根上に乗る、イザナギノミコト像の表情にビックリしました!
巨大な目は黄金、大きな獅子鼻、むき出しの金歯、顔は紫黒のギョッとする容貌。
こちらも1791年作と箱書きにある古いご神体です。

山鉾の屋根には通常屋根方さんしか居ませんが、岩戸山はそこにご神体。
同じように見える山鉾だけど、もうこれで岩戸山はカンペキですね♪



ざばーん!!

来ました! 出陣の船鉾!!



船の舳先には、水難を避けるとされる想像上の瑞鳥、「鷁(げき)」がとまります。
この鷁(げき)のカッコ良さにファン多し。(注:maiky含む)
高さ1.3m、両翼長2.7mもの巨大な木彫り総金箔の鷁(げき)は250年前の作だそうで。
あー圧倒される。

そこな少年、波の具合は良好かな?




橋弁慶山
hashi-benkei-yama

多くの山鉾が中国の史話を基にしている中、日本の謡曲「橋弁慶」に取材した山です。
これはもー、日本人なら馴染みやすいですよね。
そのまんま、五条大橋の上で対決する牛若丸と弁慶の戦いの様子です。

橋弁慶山は、まだ巡行が17日と24日に分けて行われていたとき、
「くじ取らず」の山として24日の後祭りで先頭を行っていた古い歴史を持つ山です。



歴史に名高い美少年とされる牛若丸のご神体。
頭部に残る墨書きには・・・

「永禄六年(1563)六月吉日 七条大仏師 康運之作造」

と・・・あるそうで!!!

ひゃぁ~っ

maiky、息切れがしてまいりました。




黒主山
kuronushi-yama

そんな時は、大友黒主(おおとものくろぬし)翁と桜でも眺めて一息つきまひょ
翁の装束にも桜の柄。
鮮やかな桜はそのひとつひとつが、来年の粽に添えて授与されます。
去年、祗園祭デビューした私はまずこちらの粽をいただきました。

風流のある美しい山で、とても好きです。
オリジナルのグッズがとても人気なんですってー。



八幡山
hachiman-yama

さて問題。
「八幡宮」の扁額字の中に、鳩は何羽隠れているでしょうか!

この鳥居に何気なく飾られている可愛らしい鳩ぽっぽ。
なにげに、伝・左甚五郎の作。

ひ、左甚五郎といえば日光東照宮の眠り猫とか、知恩院の鶯張りの廊下とか!
めっちゃ有名な江戸時代の彫刻家さんです。
すごいわー。

では、問題の答え。

それは・・・あなたのその100万ボルトの瞳の中に・・・




鯉山
koi-yama

左甚五郎つながりで、この鯉も彼の作品とされています。
「登竜門」の説話から鯉をテーマにした山。
なんとヒレは取り外し可能だそうです。

会所飾りの時の鯉をクローズアップ!



あのヒレが外れるんですね。

さて、鯉山でビックリするのは山の後ろにかけられる「見送り」です。



同じく、会所飾り時の写真。
この見送りについては鯉山のHPに驚かされるので覗いてみてください。
鯉山公式HP



浄妙山
joumyou-yama

また、かっこいい山が来ました!
平家物語の宇治川の合戦をテーマにした山です。



三井寺の僧・筒井浄妙。
宇治橋の上で、平知盛(たいらの・とももり)を一人で食い止めつつ先陣を切る姿。
身にまとった鎧の胴丸は、何と重要文化財。
鎧は楠正成の所有という伝承を持つそうですが、実際は室町後半の品だそうです。

びっくりしたのが、臑当て(すねあて)
土佐坊昌俊(とさのぼう・しょうしゅん)の所有という伝承があるそうで!?
ととと、土佐坊昌俊といえば、義経の住まう堀川殿に夜襲した坊さんじゃないか!
平安時代の人です。
「伝承」とのことだけど、もし本当ならおったまげるわー。



そして躍動感溢れるこちらは、一来法師(いちらいほうし)像。

浄妙の頭に手を乗せ、鮮やかに飛び越えて先陣を果たした一瞬を表したもの。
浄妙像と同じ木の枝部分を使っているそうです。
左手の手のひらに20cmほどの突起があって、それを浄妙の頭部に差し込むんだとか。
肩に乗っている四角いのは座布団のようなものだそうです。


むむむー面白い!
来年は反対側からその表情にもっと迫るぞ!!



山鉾は全部で32基あります。
さすがに全部は紹介しきれませんので、今年はこんなところで。

では、お待たせしました。巡行の動画です。

見どころは、蟷螂山のカマキリが動くところ。
放下鉾の稚児人形、三光丸の稚児舞。
そしてきしむ鉾の唸り声。
(今年の放下鉾、すごい音してたなぁ…)

<!-- 巡行 -->



山鉾巡行シリーズ、次回で最終回です。
明後日には、後の祭りの花傘巡行!!!

その前に、ちょっとしたお報せがあるので明日書きまーす。

皆さん、今日もご覧頂き、ありがとうございます!