すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないよ

2007-12-16 10:57:32 | メディア論
「SBMではいっさい異論・反論しない」なんて私は言ってないよ。

 ブクマ・コメントで異論を唱えるときは、私は相手を無用に挑発するような表現はしない──。たとえば過去の数エントリで書いた論旨のひとつはこうだ。

 なんか「松岡さんがネガコメしない宣言をしたぞ」とか言ってる人もいて(※1)、一部誤解があるようだから論点を整理しておきたい。

 ※1:参考「私の記事(12/12付)に対する、はてブ・ページ」

 で、確認エントリを書くことにした。それが今回の記事である。

■「ネガティブ・コメント」の定義とは?

 まず何度も例にあげるが、ここでいう「ネガティブ・コメント」とは便宜上、ekkenさんのカテゴライズに準じる。定義は以下の通りだ。

-------------------------------------------------
【ネガティブ・コメントの4分類】

1. 事実確認
2. 異論・反論・批判
3. 誹謗・中傷・侮辱
4. コピペ(荒らし)

-------------------------------------------------

 つまりネガティブ・コメントとは、「モラルに反するコメント」って意味じゃない。相手から見て、「自分に否定的なコメント」のことだ。

 そして私がネガコメをしないと表明したのは、SBM上での話だ。ブログやその他のメディアは含んでない。また私は上記4分類のうち、1の事実確認や2の異論・反論を「いっさいしない」とは言ってない。私がやらないと表明したのは、3:誹謗・中傷と4:荒しだ。

■「私はあまりネガコメしない」と書いた意味はこうだ

「えっ、だって松岡さんはネガコメしないって言ったじゃん」と、まだ疑問をお持ちの方がいるかもしれない。そこでもう少し説明しておく。

 文章というのは、簡潔に読みやすくするべきだ。ゆえに、「私(松岡)はSBM上において、あんまりネガコメする気にならない。理由はこうだ」てな論旨を文中で言おうとするたびに、「私(松岡)はSBM上で、ネガコメ4分類のうち事実確認や異論・反論はするけど誹謗・中傷や荒しはしない。その理由は~」などと長ったらしく書くわけにゃいかない。

 そんな書き方をしていると、ものすごく回りくどい文章になってしまう。

 で、文中のポイントになる数箇所では、文字数をたくさん使い上記の主旨を説明した。そして、その他の箇所では簡潔に「ネガコメしない」と記述した。こういうのは文章技法のひとつとして、ごく普通のことである。

 また私が「あまりネガコメしない」などと、注意深く「あまり」をつけて何度も書いたのはそういう意味だ。いうまでもなく「あまり」とは、上記の定義1、2に当たるネガコメはするが、3と4はしないって意味である。

 定義1~4のうち、すべてのネガコメをいっさいしないわけじゃないから、「ネガコメはあまりしない」と書いたのだ。

 では念のため、証拠物件として「私(松岡)はSBM上で、ネガコメ4分類のうち異論・反論はするが誹謗・中傷や荒しはしない」てな意味のことを書いた箇所をあげておこう。

【証拠物件】

●「(誹謗中傷じゃなく)相手に対する異論・反論は、正当なネガティブコメントであると私は考えている」
 (『私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由』)

●「正当な異論・反論をやり取りする議論は、大いに結構である」(同上)

●「ネガティブ・コメントの定義は、前回に引き続きekkenさんのカテゴライズに準じる。(中略)で、これらのうち、異論・反論は正当で有意義なコメントだと私は考えている」
 (『SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ』)

●「また(私は)「この部分は自分の意見とちがうな」と思えば、表現を考えて異論を書く。(ただし)記事の筆者を意味もなく挑発するような書き方は避ける。相手が抱く感情的な反発は、(無益な)議論に引火しがちだからだ」(同上)

●(上記に関連して)「同じ異論を述べるのでも、書き方の問題は実に大きいのである」(同上)

 いったん要点をまとめよう。

【ポイント】

1. 私は文中の要所では、「SBM上で、ネガコメ4分類のうち異論・反論はするが誹謗・中傷や荒しはしない」と説明した。

2. 一方、その他の箇所では文章を簡潔にするため、単に「ネガコメはしない」と記述しておいた。

 つまり2の「ネガコメしない」は、1と同じ意味である。前述の通り、文章表現上の都合でそうした。どうも「ネガコメはしない」の部分だけを読み、誤読されている方がいそうなのであらためて付記しておく。

 自分で自分の文章をくどくど解説するのは本意じゃない。けど、こういう基本的な前提に対する認識が食い違ったままでは、それこそディベートにならない。で、あえて自分で自分の文章を解説した次第である。おしまい。

【本日の結論】

1. 私はSBM上で、ネガコメ4分類のうち事実確認や異論・反論はするが、誹謗・中傷、荒しはしない。

2. ただし相手に異論を唱える場合でも、書き方に注意する。記事の筆者を無用に挑発するような、愉快犯的な表現はしない。それは無益な誹謗中傷合戦の呼び水になるだけだからだ。

3. また異論の書き方に注意する理由は、もうひとつある。SBM上では、私が考えるスタイルの議論がしにくいからだ。

(だからといって私は、議論が可能になる機能をSBMに実装すべきだとは必ずしも思っていない。理由はこの記事に書いた通りだ)

4. では「私が考える議論のスタイル」とは何か?

 第一に、字数制限やその他モロモロの制約がないことだ。そのことにより自由に相手が私に反論でき、かつ私も自由に相手に問題提起できる

(ただしこれは平等主義で言ってるんじゃない。理由はこの記事を参照のこと)

5. では「私が考える議論スタイル」の第二点は何か?

 自分や相手、およびネット上の第三者がディベートを見やすいよう、できるだけ議論のやり取りが同一のメディア上で行われることだ。当然だが、そのほうが閲覧性や公開性、機能性が高い。

 上記5の理由は、少し説明しておく必要があるだろう。まずネット上における議論は、自分と相手の「2者だけ」がやり取りできればコト足れり、とは私は考えてない。

「当事者だけがやればいい」ってのは単なるケンカだ。それは議論ではなく、勝ち負けにこだわるただのプライド争いではないか? なるほどそのテの議論モドキなら、2者だけがやればすむ話だろう。

 けど私はネット上における議論とは、広く公開原則にもとづいて行われるのが理想だと考えている。

 たとえば第三者がその議論を傍聴したとき、「なるほど。こんなものの見方があったのか」と新しい発見をする。

 あるいは「自分ならこう考えるぞ」と、当事者以外の人も自由に議論に加われる。また実際に参加しないまでも、頭の中で擬似的に討論(議題について思考)する。で、そのことによりインターネットにつながった人々が総体として、その議論から何がしかの利益を得られる。

 これがインターネットの本質だと私は考えているからだ。

 インターネットは基本的に、万人に公開・共有された場所である。ゆえにそこで行われるディベートや専門知識の披瀝は、本人たちだけでなく不特定多数の第三者にとってもメリットになる。

 だからこそネット上では集合知が成立するのであり、だからこそネットは私にとって魅力的でエキサイティングなのだ。


(追記1)冒頭に「※1:参考」として、当ブログの過去記事に対する「はてなブックマーク」ページへのリンクを追加した(2007年-12/16 21:00)

(追記2)今回はタイトルを深く考えず、「言ってないぞ」などという言葉づかいにしてしまったため、私には悪意(他意)はないのにキツイ印象になってしまったかもしれない。ただ、このタイトルはすでにブクマされてしまっているし、今後の反省材料として、あえてこのまま修正せずに残しておきます(2007年-12/17 2:22)

(追記3)タイトルは元のまま残そうと思ったが、あのタイトルは当ブログが続く限り残るので、やはり無用な誤解は避けることにした。よって悪い印象を招きかねないタイトルを、以下の通り修正した(2007年-12/17 2:55)

旧タイトル『「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないぞ』

修正後の新タイトル『「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないよ』
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自分で自分の文章を解説する... | トップ | 「過去ログ読め」がない時代... »
最新の画像もっと見る

メディア論」カテゴリの最新記事