まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅・町歩き、野球等観戦、寺社巡りについて書きます。元・JR全線乗りつぶし達成者です。

第19番「行願寺革堂」~西国三十三所めぐり2順目・12(初めての1300年記念印)

2017年04月19日 | 西国三十三ヶ所
新西国めぐりの途中だが、一旦「本」西国めぐりの記事になるのでご容赦のほどを。

京都御苑の南西の端に当たる烏丸丸太町から、京都御苑の南端の塀に沿って歩く。途中に裁判所があり、その両側の小路沿いに植えられた桜がきれいである。そういえば、前に革堂、そして六角堂を訪ねた時は雨に見舞われたなと思う。それに比べると天候も良く、暑く感じるほどである。

京都御苑の南東の端で寺町通に出て南に下る。寺町通の名前の由来は、豊臣秀吉が寺院の管理、税の徴収と、町の防御のためにこの通りに寺院を集めたからとされている。これから訪ねる行願寺革堂、そして後から新西国として訪ねる誓願寺も、秀吉の施策でそれぞれ移された寺院である。

ただ江戸時代以降、火災や町の開発などあって、寺そのものが移転するなどした。その跡は商業地や住宅となっており、革堂もこうやって見るとパン屋さんや蕎麦屋さんや写真屋さんなどと並ぶ「お寺屋さん」とでも言いたくなる(1000年を超える古刹に対して失礼な表現だが)。それだけ、町中に自然と溶け込んでいるということで。

山門をくぐるとすぐ正面に本堂がある。今度は西国先達の輪袈裟を取り出してのお勤めである。この革堂の名は、行願寺を開創した行円上人が、自ら殺生を悔いて出家するきっかけとなった鹿の皮(革)を身にまとって諸国を回ったことから取られている。本堂の内陣、そしてその衣や、幽霊の絵馬というのが、寺宝として1年の限られた日のみ公開しているそうだ。あいにくこの日は何もなく、納経所で「宝物館はどこから入ればいいですか?」と訊ねて、「普段はやってないんですよ」と返されていた参詣者がいた。

その納経所で先達用の巻物型の納経帳に朱印をいただく。2年前に来た時には、その筋(どの筋や)では有名、名物とされるお婆様も納経所にいたのだが、この日は姿が見えない。わざわざご健在かどうかを訊くのもどうかと思い、そのまま納経帳を出す。すると、「記念印は押しますか?」と訊かれる。記念印とは、西国三十三所の開創1300年記念行事の一つで、今年は納経帳には各札所オリジナルのスタンプを押していただくとある。ただ、2月末に訪ねた壷阪寺では押されず、「押しますか?」とのやり取りもなかったので、先達用の納経帳は対象外なのかなと思っていた。どうやらそんなことはなかったようだ。まあ、今さら壷阪寺はいい。前後の朱印を見て、「この人は記念印がいらない人なんやな」と判断した・・・とでもしておく。

この後で、狭い境内を一通り回る。革堂は都七福神のうち寿老人を担当していて、そちらで回る人も結構いるようだ。BSで、俳優の船越英一郎さんが京都の見所を紹介する番組があるが、その中で、1日で都七福神を回るという回があったのを思い出す。その時革堂で特別に宝物館を開けていたかな。

さてこれで次に行こうとすると、本堂の前で年配の男性から声をかけられる。西国三十三所に関する本を書かれているとのことで、また新しいのを著すための取材という。どこから来たかとか、どのような目的で西国を回っているのかなど訊かれる。別に隠すことでもないので淡々と答えたのだが、果たしてこれからどのようなものを著そうとしているのか。いつの日か、書店で「これや!」というのに出会えるか。

これから、同じ「本」西国の頂法寺六角堂に向かうか、同じ寺町通沿いの新西国の誓願寺に向かうか。それをサイコロで決めようかとも思ったが、結局は寺町通のアーケード街を途中で右折して、六角堂を目指す。それにしても寺町通、革堂の近くには個性的な雑貨や古美術の店も並ぶ。外国人観光客も結構行き交っており、ここも京都の隠れた見所なのかなと思う。

一旦西に歩き、また同じ通に戻る形だが、六角堂に到着・・・。
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