まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

小野田線・本山支線を行く

2015年01月29日 | 旅行記F・中国
1月2日、まだ真っ暗な下関駅のホームに現れる。これから1日かけて大阪に戻るわけだが、仮にまっすぐ鈍行と新快速を乗り継いでも、大阪に着くのは15時とかそのレベルだ。

ただ、自宅には2日の終電までで戻れればよいとなると、「最大何時まで引っ張れるか」ということが出てくる。時刻表で何度となくシュミレーションを行っていた。

ポイントは2つ。昨年夏の豪雨で甚大な被害を受けた広島の安佐南区八木を訪問すること。そしてもう一つが、タイトルにある小野田線の本山支線に乗ることである。

本山支線は小野田線の雀田から伸びる支線で、一時は昭和8年製造の旧式国電車両、クモハ42という車両の最後の生き残りが走るということで、その筋から人気があった路線である。私もJR乗りつぶしで1往復、そしてそのクモハ42が廃止になるという噂が出た時に1往復乗っている。中は完全に木でできており、正に博物館にありそうな骨董品の現物が走っている感があったものだ。

その車両がなくなって久しいが、今は本山支線そのものの存続が大丈夫なのかというところである。私が過去乗った時も本数はかなり少なかったはずだが、2012年のダイヤ改正で、朝に2往復、そして夕方に1往復というとんでもないことになった。関西では考えられないことだが・・・いや待て、和田岬線の休日ダイヤもそんな感じだった。まだ和田岬線の場合は、車両工場からの搬出があるとか、平日には三菱重工などの通勤客があるとかいう話ができるが(それでも廃止の話はちらほら出ている)、本山支線はこの先どうなるのだろうか。JR西日本が次に路線を廃止するならここではないかとも言われている。

今回、山口県に来たこともあり乗ることにする。できれば雀田からの始発に乗り、終点の長門本山では折り返し6分の滞在ではもったいないので一本ずらし、もう28分後に出る(まあ、同じ車両が行ったり来たりするのだが)朝の2便で雀田に戻ることにする。これで決めると、下関出発は朝の6時。まあ、普段の通勤とさほど変わるものではなく、藤井寺からの始発に乗ってどこかに出かけることと比べればゆったりである。

ただ、冬の山口県まで来ると、日の出の遅さを感じる。下関から小野田まで山陽線に揺られ、すぐに接続する小野田線の宇部新川行きの123系単行電車に乗り継いで走っても外は暗い。ようやく、雀田まで来てそろそろ周りの景色が見えるようになった。

雀田駅のホームは独特で、小野田から宇部新川に向かう本線のホームはカーブ状になっており、駅舎とホームを挟んだ向かい側に長門本山行きの乗り場がある。ちょうど扇を少しだけ開いたような造りだ。こちらにも同じ123系が停車している。この車両、元々は荷物車だったのを改造して走らせているが、この車両も今では小野田線、宇部線に残るくらいとなっている。ロングシートだがトイレもついている。6時59分発の始発電車に乗ったのは私を含めて6人。いずれも一目見てその筋の客とわかる。いずれもロングシートに横座りして前方を眺める。

近郊の田園地帯を走り、5分で終点の長門本山に到着する。折り返しまでの数分間、列車と駅の撮影会である。線路も途中で切られたかのような感じで車止めがある。ただ線路脇には花壇があるものの、どこまでが駅の敷地で、どこからが民家なのかはっきりしない。

折り返しの便に乗車する組と、それを見送る組に分かれる形で電車が出て行く。私は見送り組。普段なら宇部あたりへの通勤通学客が乗るのかもしれないが、1月2日の朝からそのような動きをする人はいない。

電車が出た後には寒々とした終着駅の風情が漂う。しばらく周囲を歩く。駅前にはバス停があり、小野田駅方面へ向かう便がある。本数が多いというわけではないが、本山支線の朝2本、夕方1本に比べれば地元の人にはまだ足として使えるだろう。そもそも、こんな中途半端な鉄道路線が今もよく残っているなと思わせる。もともと、この長門本山の沖に海底炭鉱があり、そこで採れた石炭を各地に積み出すために敷かれた線路である。昔はこの先の海べりまで線路が伸びていたし、長門本山の構内も貨車の側線が広がっていたそうだ。

現在その名残をとどめるものはないが、海が近いので行ってみる。空はどんよりとしており、風も強い。今回の旅、どこに行っても強風にあおられている。住宅の間を抜けるときららビーチというのがある。日本の夕陽100選の一つである。もっとも、アクセスとして本山支線は現実的ではない。無理に来るとすれば、夕方の便で来て、ここで夕陽を見て、帰りは・・・・もう「終電」は出た後なのでバスで小野田駅に出るくらいしかないか。

この日はそんな夕陽に思いを馳せるどころではなく、風が強く寒いので一瞬で引き返す。電車がやって来るのをしばし待つ。

線路の上を高校生くらいの女の子が一人歩いて来る。次の便の地元の乗客は彼女くらいか。朝の2便目がやって来て、先ほどと同じようなその筋の客たちが降りて来て駅の写真を撮る。バスで抜けることでもない限り、これを逃すと次の電車は夕方までの「11時間後」である。

唯一の中間駅である浜河内から、朝の1便目で長門本山に降りたうちの一人が乗って来た。雀田から長門本山まででも営業キロは2.3キロしかない。30分の折り返し時間があれば歩いて次の電車を捕捉することもできるようだ。それなら3駅とも訪問ということで、本山支線制覇である。

雀田に到着。列車行き違いで少し停まるので一旦外に出る。「もうじき100歳」というポスターを見る。2015年、小野田線は開業100周年を迎える。もともとセメントとか、上に書いた石炭とか、工業資源と関係することの多かった宇部線と小野田線。それが山口県の産業を支えた時期があった。今は地元の人たちのローカル輸送で粛々とやっているが、このうち宇部線は今でも運賃計算は「幹線」扱いである。そうしたものを見るのも面白い。

シュミレーションでは宇部新川まで行き、宇部線に乗って新山口に出ようということだったが、この日は宇部新川の一つ前の居能で下車。行き違いでやってきた列車に乗り換えて宇部線で宇部に出た。山陽線の宇部駅は幹線らしい広さを持つ駅だが、駅前にはこれといったものがない。看板にも「宇部の中心部へは宇部線で宇部新川へ」ということを書いている。

目的の一つであった本山支線を乗り終え、まずは東へ向かう。宇部からの新山口行きは外面は黄色一色に塗られたが内装はオリジナルをとどめる117系。そして新山口から岩国行きに乗り継ぐ。ただ徳山に来たところで、時間はかかるが変化球とすべく岩徳線に乗り継ぐ。さすがにここまで来ると早朝からの移動ということもあるし、また外も晴れていて暖かく感じるほどだったということもあり、睡魔が襲ってくる。トコトコいう単行気動車のリズムに合ったのかもしれない。いつの間にか岩国に到着していた。

ここで乗り継ぎ、初詣客で賑わう宮島口を過ぎて広島に到着・・・・。
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