まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅・町歩き、野球等観戦、寺社巡りについて書きます。元・JR全線乗りつぶし達成者です。

第8番「西方院」~新西国三十三所めぐり・24(小ぶりだがまとまっている)

2017年01月25日 | 新西国三十三所
叡福寺の石段を下りてバス道路を渡り、細い道の石段を再び上がったところに小ぶりの寺がある。ここが新西国の8番札所の西方院である。山門に仁王像が立つわけでもなく、見たところ普通の邸宅の門構えである。新西国を回るのでなければその存在に気づくこともないだろうなと思う。

この西方院は聖徳太子の3人の侍女が開いたとされる。その3人とは蘇我馬子の娘、小野妹子の妹(紛らわしいな)、物部守屋の妹で、太子の死後に出家して、それぞれ善信、禅蔵、恵善と名乗った。3人は「三尼公」と称され、太子の菩提を弔うためにこの寺に入ったという。場所からして当初は叡福寺の塔頭寺院だったようだ。

境内に入ると寺というよりは個人の屋敷に来たような造りである。中央が庭園としてまとまっているのでそう感じさせる。角に鐘楼があるから寺にいると実感できるところだ。本堂は東向きに建っている。寺としての本尊は聖徳太子作と伝えられる阿弥陀如来。だから西から東を向いている。ただ、聖徳太子がこのような阿弥陀如来を本当に作ったのなら、歴史の教科書や仏像の本に登場してもおかしくないが、初めて聞くことである。ここは伝説として受け止める。

新西国三十三所は観音霊場めぐりだが・・・と周りを見ると、本堂の右手に南向きの観音堂があった。こちらは恵心僧都の作とされている。寺としては両方が本尊という扱いである。他の参詣者はおろか寺の人の姿も見えないが、ここは本堂前で般若心経のお勤めである。

そして納経帳に朱印というところだが、寺の人の姿も見えないしどうしたものか。ふと本堂の障子を見ると、回向、納経受付の張り紙があった。これは本堂の中に入れということかと障子を開けると、確かに受付があった。呼び出しボタンがあったので押すと、本坊から寺の人がやって来た。

西方院は決してずぼらな寺ではなく、回向や永代供養もやっているし、寺のホームページもまめに更新されている。新西国の札所ではあるが、観光色を出さずに地道にやっているところと見受けられる。

それにしても、前の記事でも触れたが、叡福寺の塔頭寺院という成り立ちがある西方院に札所番号があり、本家の叡福寺が客番扱いというのはなぜかなと思う。まあ、それもいろんなことのある新西国の姿である。

さて次は当麻寺である。ここから上ノ太子駅に戻って南大阪線で当麻寺駅に行くのが普通だが、今回は近場である代わりに、ウォーキングを組み合わせることにする。キーワードは「日本最古の官道」ということで・・・。
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