『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

佐久間信盛(さくまのぶもり)[5/6]

2017-05-21 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
佐久間信盛(さくまのぶもり)[4/6]

〔現代仮名遣い〕さくまのぶもり


1580年3月北条氏政が本能寺の信長へ、

    鷹13足・馬5疋進上。取次ぎは滝川

    一益。お礼の品々を氏政の使い笠原

    康明、氏照の使い間宮綱信・原和泉守

    が進上。取次ぎは佐久間信盛。

1580年3月北条氏政の使いが上洛し本能寺で

    土産を進上したとき、使いは二位法印・

    滝川左近・佐久間信盛がつとめ、関東

    衆は「関東八州を信長の分国に」と申上

    する。本願寺顕如光佐・北の方・家老

    衆が下問した所、下間頼総・平井越後・

    矢木駿河・井上・藤井藤左衛門らが

    評定を行い、勅定を受けることを決める。

    顕如光佐は、7月20日までに大坂を退出

    する旨告げ、下間仲之・下間頼兼・下間

    頼竜・北の方・門跡の連名で誓紙を提出。

    信長方青山虎が検使をつとめる。


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