紫の物語的解釈

漫画・ゲーム・アニメ等、さまざまなメディアにひそむ「物語」を抽出して解釈を加えてみようというブログです。

ソフトバンクのお父さん、変身したのが「犬」でよかったね

2010-02-16 23:55:28 | その他
今日は、ソフトバンクのCMに出てくる「お父さん」を見てて思ったことを書こうと思う。



ご存知、「お父さん」は白い犬である。
でも、しゃべる。すごく渋い声でしゃべる。(声:北大路欣也)

 奥さんは日本人女性(役:樋口可南子)
 長男は黒人男性(役:ダンテ・カーヴァー)
 長女は日本人女性(役:上戸彩)

という、変な設定がウケて、今ではお茶の間で見ない日はないほどCMが流れている。
一応、現在までCMで流れている世界観をまとめると、以下のようになるかと思う。

 お父さんの周りの人は、お父さんが犬であることを不思議に思っていない
 お父さんは、以前は人間だった
  (いとこの女の子が「この間までは人間だった」という発言をしている。犬になったのは最近?)
 お父さんは現役の教師である(奥さんはその学校の校長)
 お父さんは長男には異様に冷たい
 島根の親戚に、しゃべる白イルカがいる(このイルカが元人間かは不明)

といったところか。
お父さんが犬であることを、周りが異様に思っていないというところがミソだ。
要は、そういう世界観なのである。

なにかのきっかけで、人間が他のものに変わることが珍しくはない世界観。
その世界観の外にいる者から見れば異様だが、世界観の中にいる者にとってはそれが普通。
そんな、世界。


で、これで思い出すのがスタジオジブリ作品の【紅の豚】だ。



主人公の「ポルコ・ロッソ」は見ての通り、豚である。
どうやら以前は人間だったようだが、何がきっかけだか不明だが豚になってしまった。

周囲はポルコのことを「豚」と認識しているが、それを特別異様には思っていない。
「ブタ野郎!」とか蔑称を使って呼んだりするが、扱いは普通の人間と同じなのである。
ソフトバンクのお父さんの世界観と同様である。

混同してはいけないのが、「登場人物が全員動物」だとまるで意味がないということ。
登場人物が全員動物だったら、ポルコやお父さんは、外から見ても全然異様ではなくなってしまう。
あくまでも、周りが人間のなかに一部だけ動物のキャラがいて、しかも人間のようにふるまっていて、
なおかつ周囲の人がそれを異様と捉えていないという世界観が良いのだ。
CMにしろ、アニメ映画にしろ、変な魅力を感じてしまう。


こういう世界観の元ネタってなんなんだろうなーと考えてたら、
フランツ・カフカの【変身】あたりがそうなんじゃないだろうかと思い当たった。



主人公の「グレーゴル・ザムザ」がある朝、目をさますと自分の姿が巨大な虫に変わっていた。
どうして虫に変わったのかは最後まで不明なまま、日常が展開されていく。
ここまでは、ソフトバンクのCMや紅の豚と同じようなシチュエーション。

でも、ザムザが可哀想なのは、周りが思いっきり引いてるということ。
父親にボッコボコにされるわ、母親に怯えられるわ、妹に汚物のように扱われるわ、
もう悲惨極まりない。

そりゃ、まぁそうだろう。
犬や豚ならまだ愛らしいが、リアルに巨大な虫に変身されたのでは、家族もたまったものではない。
そして読んでる方も気持ちが悪くて仕方がない。

ザムザも変身する動物を選べればよかったのに・・・。
犬か虫かで家族の対応の違いがここまで変わるとは。
ソフトバンクのお父さん、変身したのが犬で本当によかったねぇ。

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