風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/午後8時の訪問者

2017年10月11日 | 映画

秀作です。サスペンス映画です。
監督は、ベルギー出身のダルデンヌ兄弟、舞台はベルギーの工業地帯リエージュ近郊の落ち着いた町。



診療時間を過ぎた午後8時過ぎ、診療所の呼び鈴が鳴ります。
年老いた医師に頼まれて小さな診療所を切り盛りしている若き女医ジェニーは、有能な医師で、
大きな病院への栄転が決まり、そのときちょうどその歓迎パーティーへの誘いの電話を受けていました。
彼女は、診療時間が過ぎていたので、扉を開けずにパーティーに出かけました。
翌日、診療所に近い川のほとりで身元不明の黒人少女の遺体が見つかりました。
前夜に助けを求めて診療所の呼び鈴を鳴らした少女でした。
診療時間を過ぎていたのですから、彼女は責められるものではありません。
ジェニーは、少女が、名がわからないまま無縁仏としてこの見知らぬ土地で葬られるのが耐えらません。
「もし、私が扉を開けていれば…」と、彼女は自責の念に駆られ、少女の身元を調べ始めます。
彼女は、決して真犯人捜しではなく、彼女の名前を知り、家族に知らせ、墓標に名を記したいだけなのですが、
真実を恐れる人々が、事実を隠し、彼女を脅迫し、まさに‘サスペンス’です。
しかし、この映画の共感・素晴らしさは、サスペンスの筋書きや謎解きではなく、今ヨーロッパを席巻している
「移民排斥」など今日のヨーロッパ社会の問題を浮き彫りにしていることです。
この少女が、白人であったら、警察はもっと徹底的捜査をするはずです。
彼女がアフリカ系移民の娼婦であったことから、捜査は進展せず、うやむやになりそうです。
映画の冒頭のシーンは、現代ヨーロッパの社会を象徴しているように私には思えます。
診療所の扉は、ヨーロッパ社会への扉と同義です。その扉は、不法移民や貧しい娼婦達には閉ざされているのです。
また、映画は医療を巡るヨーロッパの事情と上昇志向する人々の葛藤の問題も見え隠れします。
大きな病院への栄転は、社会的ステータスの上昇であり、目標であり、あこがれでもあります。
町の小さな診療所は、真夜中でも玄関のベルが鳴らされ、病院に通えない人には往診もします。
ジェニーは、決して「赤ひげ」医者を目指しているのではありませんが、
この事件を契機に、恵まれた栄転を止めて、庶民に寄り添う医者を目指そうとします。
普通の映画では、場面が変わるごとに服装・ファッションが変わるのですが、彼女の服装は、
ブルーと赤のティシャツとありふれたコートだけ、アパートも質素で、普通の庶民の生活です。
そして、ついに彼女は、診療所に住み込んでしまいます。
映画の最後、亡くなった少女の死の真実が明らかにされます。
そして、彼女の姉が、ジェニーの診療所を訪れ、ジェニーにハグを求めます。
とても素敵なシーンでした。
ジェニーを演じるアデル・エネルは、まだ幼顔が残り、化粧っ気もない素顔で登場します。
彼女の大げさでない控えめの演技が素敵で、今後の活躍が予感されます。

ダルデンヌ兄弟を私はよく知りませんでしたが、『少年と自転車』(私のブログ) の楽しい映画もあります。
社会派・ダルデンヌ兄弟面目躍如、快なり、です。
原題は、「未知の女の子」でしょうか。       【10.9鑑賞】


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