21st schizoid mannerism

書き殴り捨てさkdぁえjlうぇfかdさ

エスキス

2008-03-27 13:59:37 | Weblog
卒論では、あるかけがえのない固有の「場所」に新たに建築を設計するときの、その場所と設計されたかたちの相関関係、設計プロセスにおけるそれらの取り扱いに関して分析・考察した。

「場所」に関する様々な思想―ウィトルウィウスの時代から始まり、トポス、コーラ、ゲニウス・ロキといった様々な場所をめぐる言葉、近現代、実存主義以降の建築場所論、地理学などを参照した上で、現代都市において、場所性、場所の固有性と都市、建築との関係を考察したい。

グローバルに資本が流動化、世界化する現代都市においては、場所の固有性をはぎ取り、複製可能な技術・建築が様々な都市を覆っているが、それでもなお現代人は、情報化された世界の中で場所の差異を認識し、みずからの身体を都市の場所に投入して生きている。

現代都市における場所性を考えるうえで、インターネットという超物理・超時間的なツールが日常化し、大量の情報・記号が提供されることによって、身体的な経験、場所の体験なしに、場所が記号的に認識されている、という状況がある。
一方、もう既に存在する場所、かたちに実際に触れる、身体的に経験する中で、記号として認識された場所でなく、所与の環境の新しい意味、機能を身体が発見することもある。

現代都市における場所性は、人々が実際にそこで生を生きる中で、「認識された場所」というフェーズと、反対に「場所から発見される認識」この二つの相があるのではないだろうか。

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