テニスコーチのテニスとお酒ライフ

酔っぱらいテニスコーチの戯言です。

一長一短

2017-03-13 10:24:06 | ブログ
おはようございます



最近家のティッシュがものすごい勢いでなくなっていて、スーパーではオイルショッククラスの出来事が起きているのではないだろうかと、日本社会を心配するもうすぐ40歳のおじさんです。



さて、レッスンの合間に時間があったので図書館に行きまして本を読んできましたよ。



『子どもを壊す親たち』って本です。




ひきこもりとかニートとかを支援している方の本ですね。



で、この方の主張は、心理学とか医学、法学とかの学問が発達して人を弱くしているって話ですね。



これはなんとなく思う。



司法はサッカーの裁判がいい例よね。



「故意ではないが過失の程度は軽くない」みたいですけど、じゃあさ、ボクシングは?ってなんない?
法の矛盾についてはたくさん書けるけど、書いちゃうと明日になっても書いているから、またね。



多分つきつめると社会主義国家みたいになるはずなんだよねー。



人が平等だという事を法のみでは論じれないのはそこにある。



で、この心理学を否定する著者なんだけど、面白いのはその否定を心理学でしているところね。



子供が泣くと親がすぐに抱きかかえるという行為には否定的で、なんで親がすぐに抱きかかえるのかっていうと、その親は発達心理とか児童心理の専門家が書いていた本を読んだからみたいなんですが、昔ながらの教育論で、泣くことをほっといて、泣くことで筋肉が発達するから子供は強くなるってことを筆者は言いたいみたいね。



これは面白いね。



どっちも心理学のお話だね



ここからはおじさんの薄っぺらい知見なんですけど、抱きかかえるってことは皮膚接触と語りかけに当たると思いますね。



それをするとどうなるかっていうと、皮膚接触でセロトニンが出るんですね。



ストレスとかを撃退してくれるみんなの自衛隊みたいな存在ね。



子供が中学生くらいになると反抗期があるんだけえど、中学生くらいになると抱っことか、頭をなでるとかの行為を親にさせなくなるよね。



なので、反抗期の1つの原因とも言われているんだな。



もちろん、他にも原因はたくさんあって、複合的に出ると、現象としいて現われるってのが太っ腹のおじさんの薄っぺらい知見ね。



これは大人もそうなんですね。



夫婦で手をつなぐとか、皮膚接触していた方が精神的に安定しやすくなるのよ。



同じストレスでもセロトニンが出るのと出ないのとではキレたりするレベルが違うからね。



で、その批判なんですが、まさかのオペラント条件付けでの批判



これはよくある話で、子どもがおもちゃ売り場で駄々をこねました。



その時に購入すると、駄々をこねる→おもちゃがもらえるってことを学習するので、駄々をこねる事をやめなくなるんだなー。



だから、「子どもが泣いててもあやすな」ってことにつながるんだけど、心理学を批判しているのに、その根拠が心理学ってのが面白い所ね。



教育ってのはホント面白くて、「○○をすれば△△になる」って本が多いんだけど、そして教育に興味のある親はそう言う本をよく読んでいると思うんだけど、必ずその主張の裏にはそれぞれのエビデンスと恣意性が隠されているんだなー。



そこまで読みとって何かを選択しないと、一体何が起きているのかも理解できないとおじさんは思うわけですよ。



ただ筆者の言いたいことも理解できるところはある。



これはこの本には書いてないけど、親が子供をダメにしている例として、例えば、幼稚園でのクレームね。



「子どもが転んでけがをした、どうしてくれるんだ管理責任のもとに損害賠償請求するぞ」ってクレームが入ったとしましょう。



そうすると、訴えられることはイメージが社会的に悪いですし、お金を払っている側の要求に答える事が企業の責任だという哲学を持っている経営者であれば、先生に「転ばないようにしろ」と指示を出すとします。



で、見事なまでに転ばせないようにつきっきりになるか、転ぶような運動をさせないようにするとどうなるかっていうと、メカノレセプターってのが関係しているんですけど、これが成長しないわけ。



そうすると、高校の体育の柔道の授業で、受け身だけの練習にもかかわらず骨折したりしてしまう可能性が出てくるんだなー



つまり、無知な親の「快」「不快」でのクレームが子どもの能力を奪っているという可能性のメカニズムがここにあると思うし、これが柔道の授業でなく、車が多く通る場所、または朝の満員電車とかのケースで考えるともっと恐ろしいよね。



だから、専門家ってのが先生になっているはずなんだけど、先生が信頼されない理由は多岐にあるよねー



これもパラドキシカルな構造だよね。



方法論が違う例を出せば、「子どもにTVを見せない」教育ってあると思いますが、これがいいのか悪いのか。



これは色々な統計サンプルがありますけど、まず学力とか集中力に差が出るとかね。



だから見せない方がいいってなるんだけど、見せた方がいいって意見の理論は、子どもがTVを見ることで、学校での友人との会話が増える。



同じ興味を持つ子との会話が増えると、友達が増える、友達が増えると子供文化が生まれ、倫理観等、色々な考え方に影響が出る、よって総合的に他者とうまくやったり、問題解決ができるような子になる。



ってな感じ?



あとは、TVを見ると芸人とかのものまねをするようになる、ものまねをするようになると流動性知能が発達して、より新しいものを取り入れようとする姿勢ができる、よって学力を含めた新しい事を取り入れる能力が成長する、ってな流れになったりもするわけ。



パラドキシカルな話はもっとあるよ



子どもが危険な行為(塀の上を歩くとか)の経験があるかどうかで精神的に強くなる、ってのは危険な行為を経験することで、リスクマネージメント能力が上がって、リスクが来ても対処できるって流れよね。



危険なことをすると危ないよね。



テーブルの上くらいだったらまだいいけど、ビルからビルに命綱無しでロープの上を歩くなんてのはリスクが大きすぎるよね。



だから、親が負荷を選択すればいいんですよ。



自転車でヘルメットをかぶせて片手運転させるとか、その片手に蕎麦のせいろを積むとか、そんなんでもいいと思いますね。



でも、危険なことは見ていて親にとって「不快」かもしれないね。



だから、裏にあるエビデンスを知らないと、本当に望むものは得られない教育になるって事。



一番いいのは、親が願う「こういう子」と子どもがなりたいと願う「こういう大人」という結果に向かう教育ね。



バッティングしたら子供が優先だと思います



結果の正解は無い以上、「じゃあどうすればいいのか?」って方法論になってくるからね。



科学が重要だって言ったって、50年後にその考え方は否定されることもあるわけで、真実にたどり着くまでには多くの犠牲が存在しているのは歴史が証明しているから。



うちの子が実験台に犠牲になるのがいいと思う親はいないでしょう。



なので、疑いながら信じるってのがいいのかもしれないね



また、意味不明なことを言っちゃいましたね



それでも、この『子どもを壊す親たち』の筆者の言いたいことはなんとなくわかる。



私なりの解釈をすると、親の「快」「不快」による子どもに対する教育の選択が、子どもにとって不利益になっている可能性を指摘しているのでは?ってこと。



これは安易に、つまり「快」で知識を獲得していることを含めてですね。



まあ、でも、難しいね



正解が一体何なのかわからないのに進ませようとすることが教育だからね。



でもって、それは一長一短の内容が多いって事ね。



40くらいになるとね、自分の正解はそこそこ見えてきているはずなんですねー



四十にして惑わず!!



だけどさ、牛丼のサイドメニューはいつも迷う



豚汁も食べたいし、キムチがあってもうれしいし、あ、生野菜は仕方なくつける感じね。



でも、こんなにたくさん頼んだら予算オーバーになっちゃうからね



やっぱり、孔子が言う話はおじさんにはマッチしないかもしれない



どっちかっていうと、仔牛ならマッチすると思います










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