マッサ・カンタービレ 

有坂まさよし 音楽家 テノール歌手です。
アリサカスクール(ありさかピアノ教室)を主宰しています。

机上の空論!!

2016-10-30 23:50:44 | イタリア語
イタリア学会に行って来ました。
10個の研究発表がありました。私がその中で興味深いと感じたのは1つの研究発表でした。なぜなら、うまく研究計画を立て、その計画を行っていけば、面白い研究になるからです。ただ、残念ながら、その研究を行っている人の話を聞いていると、その人の研究はより価値のあるものにはならないだろうと思いました。それは、研究スタイルが机上の空論にしか過ぎないからです。
文系の研究スタイルというのは、大きく2つの問題があると思います。
1つは、仮説を立て、そのため実験計画を立て、実験を行って、仮説を立証していくというスタイルではありません。端的に言えば、自分の研究に関連する書物を読み、そこから自分の研究テーマにそった意見なり、事実らしきものを拾い上げ、自分の仮説・意見・考えがいかに正しいのかを人々に納得してもらうというようなスタイルです。つまり、主観的な領域から脱することのない実践なき研究となります。
文系の研究は実践なき研究というのが本当のスタイルなのかというと私はそうは思いません。工夫次第では素晴らしい実験・実践を伴う研究に変貌すると思います。つまり、私は、文系の研究といのは、まだまだ可能性を秘めたものだと考えています。私がイタリア学会で大変興味を持った研究は、やり方次第で素晴らしい研究になるし、我々の日常生活にも良い影響を与えるものだと思いました。また、その実践・実験をどのように行っていけばいいのかと思って、他の人に尋ねる研究者がいるかもしれませんが、それは自分で考えていくものであり、その専門家であれば、様々な発想ができると思います。それが研究の醍醐味だと私は考えます。
2つ目は、ニュー・ファインディング論文・研究ではないとことです。新しいことを発見し、それが実在したり、新しいものを生み出したりという研究ではないということです。つまり、視点を変えて、もしくは、新しき観点と思われる方向から物事を考え直すという研究なのです。私は新たな視点で物事を見直すということはとても重要なことだと思います。しかし、やり方をきちんと考えないと、これも独りよがり、自己満足の研究に陥ってしまうのです。それを回避するためには、上記で述べた実験・実践を加え、最終的な着地点をしっかりと見定め、常に自分の研究目的をはっきりとさせ、常時自分の研究を世の中のために役立てようという心がけを持つことが肝要だと思います。なぜなら文系の研究というのは、ある意味、私たちの普段の生活に近いところにあるからです。本当に可能性があふれるものです。
最後に文系の研究者の姿勢にも問題があるように思います。
例えば、イタリア文学を研究している人が他のイタリア文学研究者が翻訳のできない、もしくは、翻訳するのに本当に難しい本を翻訳した時にそれを誇らしげに言っているということです。私はそういう様子を見たり、また周りの研究者が称賛しているのを見ると非常に残念な気持ちになります。なぜなら、翻訳の仕事は翻訳家の仕事だからです。もちろんイタリアの文学作品の研究するときは、翻訳をするのことはあると思います。つまり、研究過程で称賛されて喜んでいるということです。周りの研究者が「あなたが今度、賞を受賞すべきだ」と発言をしているのも見ると、さらに気持ちが重くなるし、なんておかしなことだろうと感じます。我々音楽家でいえば、新しい作品を演奏するために譜読みをし、この譜読みの段階で称賛されているのと同じなのです。我々は譜読みではなく、演奏を披露して称賛されるのはとても嬉しいし、誇らしげに思います。また、翻訳家のほうが素晴らしい翻訳をすると思います。なぜならその道のプロだからです。
イタリア演劇の研究者やイタリア美術の研究者などは実際に演劇を演じたことがなかったり、美術活動(絵を描いたりなど)をしてなかったりと実践がなく、理論だけを語るのです。イタリア文学の研究者も1つも作品なんて書いたことがなかったりすることがあります。実践も実験もしていないということになります。私は、「言うは易く行うは難し」と言いたいですね。
それにイタリア語の研究者はもっと比較研究をするべきだと考えます。日本人よりのイタリア語スタイルを採用するのではなく、もっと言語学的なところから比較研究をするべきだと感じています。それはイタリア語専門の日本人とイタリア人とでは、使う表現がかなり違う時があるからです。確かに、日本語をイタリア語に変換したり、日本人の気持ちをイタリア語で伝えたりするのは、かなり難しいことです。それは、日本語とイタリア語の表現スタイル、理論などがかなり違うからです。ですから、もっと言語の根本から比較研究をし、さらにそれをイタリア語を学んでいる人たちに分かりやすく教授する必要があります。イタリア語の学習者が減ってきたと嘆くばかりではなく、自分たちの状況把握力の甘さを正し、その高慢な態度を改めることが必要なのです。
つまり、全体的に勉強不足であり、研究不足であり、傲慢であり、高慢であるということです。そして、自分たちの価値は自分たちの研究でもって示すべきであり、その態度で示すものではないのです。
私は、文系の研究者は「言うは行うより易し」ということを肝に銘じ、謙虚に研究にあたるべきだと考えています。そして、老若男女の研究者がこの可能性に満ちた研究分野を停滞・衰退させるのではなく、創意工夫をし、さらに発展させることを考え、遂行していくべきなのです。もうデスクプランはやめるべきなのです。
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